第108話 第五話 その29 指揮官の緩み

 2016年、その年のフランス24時間レースの劇的な結末を私はしっかりと覚えていた。

 いや、生涯忘れる事などできないだろう。


 我らがアルザス自動車は長年このレースに挑み続け、毎年毎年あと一歩で栄冠に手が届くか?という所までこぎ着けながら、寸での所で栄冠がスルリとすり抜ける、そんな展開を続けていた。

 アルザスを応援し始めた頃少年だった私は、今年は!今年こそは!と応援を続けてはいくが気が付けば既におっさんとなっていた。


 つまりはアルザスの勝利は私自身としても長年の悲願だったのだ。


 だが2016年!この年のアルザスは違った!


 長年に亘ってライバル関係であったドイツチームとの死闘を繰り広げながら、レースもあと一時間を切った状況でも快調に飛ばし戦場を支配していた。


 レース残り時間20分!


 アルザスとドイツチームは互いにゴールまでピットインをあと一回ずつ残し、両者は相手の出方を窺い神経戦を繰り広げていた。


 アルザスの誇り、そして象徴ともいえる最新鋭の火力発電所の熱効率をも凌駕すると言われた超効率ハイブリッドシステムを積んだマシンは速さでも、そしてもちろん燃費でもライバルを圧倒し、ピットインのタイミングを相手より遅らせることが出来た。

 この事実により燃料補給やタイヤ交換の方針を相手の作業と戦略を見てから自らの戦略を決定する事が出来たのだ。


 ピットイン回数はあと一回のみ、相手よりピットのタイミングを遅らせる事が出来る!


 最終ピットイン前の時点において先行しているアルザスは、戦略上圧倒的有利な立場にあった。

 アルザス側の最大の関心は


 相手チームがタイヤ交換をするか否か?


 この一点に尽きると言ってもよかった。


 交換をすればタイヤバーストのリスクを減らせる代わりに十数秒のタイムロスとなる。

 レース最終盤に来て、後続であるドイツチームがタイヤ交換する!という選択をしたのなら、ここに来てのそれは勝利を諦めるとほぼ同義語である。


 残り15分!


 予想された通りのタイミングでドイツチームはアルザスより先にマシンをピットに入れ作業を開始する!

 

 タイヤ交換は!?


 するのか!しないのか!?






 交換!!!





 サーキットには歓声とどよめきと悲鳴が激しく交錯した!

 

 ドイツチームは勝利を諦めて完走する事を選択したのだった。


 アルザスはドイツチームのタイヤ戦略を確かめた後、次の周回にピットイン、確実に交換作業をこなし、フレッシュなタイヤで栄冠に向けてマシンを送り出した。


 残り時間13分!…


 もうアルザスの勝利は目前!

 ただの勝利ではない!長年の悲願成就が目前なのだ!


 おっさんである私の胸はかつて少年だった頃のときめきを取り戻したかの如く激しく!熱く高鳴った!


 最後のピット作業をミスなく完璧に終えたアルザスチームのピット内の様子が国際映像に映し出された。








 ギクリ!!!!







 本当にギクリとした事を覚えている…


 アルザスの指揮官が周りの関係者から握手を求められ満面の笑みでそれに応えていた映像だった…



「おい!こらああ!」


 私の口から飛び出した言葉はそれだった。


 ふざけんなよ!


 レースはまだ10分以上残っているのだ!

 チェッカーを受けるまでがレースなのだ!

 いいや!チェッカー後の車検で合格するまでがレースなのだ!


 なのに!


 既に勝利に浮かれているかのような指揮官の態度に非常に腹が立ったのを覚えている。


 だが、長年の悲願成就が目前!

 指揮官の軽率な態度は、その悲願を思えばこそ、抗い難い誘惑だったのかもしれない。


 残りあと10分


 何事も無ければライバルチームとの差は半周以上、勝利は一抹の不安はあっても確実なはずだった。


 残り5分!


 突然、国際映像がトップを走るアルザスのマシンを捉え、アナウンサーが大声で興奮した様子で状況を伝え始めた!


「ノードライブ!」


 アルザスのエースドライバーから駆動が掛からない!と悲痛な無線が走ったのだ!

 

 風雲急!


(なんてこった!)


 国際映像は明らかにレーシングスピードを失くし、失速していくアルザスのマシンを捉えていた。


「動け!」

「おいこら!動けよ!」


 私はテレビ画面に向かって届くはずのない叱咤を大声で発していた。

 私の叱咤は追い風にはならず、マシンは無情にもホームストレート、大勢の観客の前に晒し者になりながら力なく端によってその走りを止めた。


 残り3分!


 ライバルマシンがアルザスの横を駆け抜けていく。


 時間にして23時間57分!


 99%以上サーキットを支配していたマシンから勝利の女神が去って行った瞬間でもあった。


 悔しかった。

 猛烈に悔しかった。

 ただただ悔しかった。


 腹が立った。

 猛烈に腹が立った。

 ただただ腹が立った。


 モータースポーツとはレースとはスポーツとは名ばかりの戦争である。


 なれば!


 戦争とは勝って終わらねば意味がない!

 そんな事はどこぞのアニメの仮面をかぶった人ですら知っている事なのだ!


 長年苦汁を飲まされ続け、それを最も理解していなければならないアルザスの指揮官があのザマでは!

 気が狂いそうなほど腹が立った事を覚えている。


 オカルトだという人もいるが私は車やマシンには、特に強い思いが込められたマシンには魂が宿ると信じている。


 AIを積んだマシンならともかくマシンに感情があったり意識があったりする!

 そう言うつもりはないがドライバーの操作、クルー達の整備、ネジの締め具合、部品の交換状況の把握、いくつもの何層もの小さなことの組み合わせがマシンの魂となって組み上がるのだと信じている。


 あの場面であの指揮官は緩んでいた。指揮官が緩めば現場も緩む。現場の緩みはドライバーへマシンへと繋がって魂を緩ませていく。


 レースには「もし」は無い…


 無いのだが!


 あの場面で指揮官が関係者や周りを一喝し、祈るような表情で画面を見つめ、ドライバーに最後まで油断するな!


 そう命じていたとしたら?


 指揮官が笑っていいのは勝利を確信した時ではない。

 確定した時である。


 私が得た最大の教訓であった。


 少なくとも私ならそうしていた!傲慢にも私は他人事であるがゆえにあの指揮官をずっと批判していた。


 が、同じ様な状況がいざ自分の身に降りかかってくると、成し遂げそうな栄光が大きければ大きい程、思いが強ければ強い程


 誘惑を振り払い喜びを抑えるのがいかに難しいか?


 あの時、私は思い知ったのだった。


 第五話

 その29 指揮官の緩み

 終わり

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