第30話

 抱きしめた千花を感じながら、俺は彼女を自分のものだと証明するためには何が必要だろうと思った。俺は、指輪だと思った。

 

 結婚するときに、人は結婚指輪を交換する。


 許嫁の契約が本気であれば、その際に婚約指輪を渡す。俺たちは互いに学生だから、そのような話にはなっていない。なっていないが、俺は渡したいと思った。


千花に、精一杯の婚約指輪を。


 俺自身が、かせいだ金で婚約指輪を渡したかった。


 俺は、バイトをしようと決めた。


 その金で、千花に指輪を買うのだ。


 どんなバイトをしようかと考えて、俺は亮二に相談した。バイトを紹介する雑誌を見ながら、俺は近くの喫茶店でバイトをすることに決めた。


 家から近いし、初心者大歓迎と書いてあったからだ。


 ただし、千花には秘密にしていた。


 指輪をサプライズで渡したかったからだ。


 俺は、喫茶店でバイトを始めることにした。


 喫茶店のバイトの服装は、あたりまえだが地味なものだった。店員全員が同じ服装なので、知らない人からしたら全員が同じ人物に見えてしまいそうである。改めて考えれば、それこそが店側の狙いなのかもしれない。


 俺がバイトをする店はチェーン店で、客の単価が安い店だった。そのために、学生も多く利用する。俺は知り合いがこないかとひやひやしながら、バイトに精を出した。そんな店にやってきたのは、千花だった。

 

千花はマユと京子さんたちと一緒に店にやってきた。


「最近、真琴の様子が変なんだ。こそこそしているし。こっちに目を合わせようともしない」


 千花は、俺の最近の態度に不満を持っているらしい。それで、幼馴染のマユと何故か京子さんも連れてきたようだ。


「浮気を疑ってるの?」


 マユが、尋ねる。


「いいや」


 千花の返答に、マユはどこか得意げだった。


「真琴は単純だからね。一人を思っているのに、もう一人だなんて器用な真似はできないわよ」


 なぜ、マユが得意げなのかは分からない。


「あの……どうして私まで呼ばれたんでしょうか」


 京子さんはどこか居心地悪そうだった。


「私が、真琴のことを何も知らないのかもと思って。幼馴染のマユと真琴が好きな作家の京子に来てもらったの」


 なるほど、と俺は思った。


 マユは幼馴染だし、俺以上に俺を知っている。京子さんは俺が一番好きな作家だし、俺を理解するには一番の面子なのだろう。


「どうして、真琴は私にそっけなくなったんだと思う」


 マユはジュースを飲みながら、にやにやと笑う。いじめっ子みたいな顔だった。


「どうしてだと思う?」


「私にあきた……とか」


 千花はどこか悲しそうな顔で言った。


 本当はそんな顔をさせたくはないのに。


「あいつは、簡単に人に飽きるような人間じゃないわよ」


 マユは、そう言ってくれた。


 さすがは幼馴染。俺のことがよくわかっている。


「どうせ、なにかあなたを喜ばせようとして空回りしているんじゃないのかしら」


 マユの言葉は鋭い。鋭いが、俺のバイトは空回りなのだろうか。


「そうなのか。一緒にいられないのが、不安だ……」


 千花の不安げな顔。


 俺としては、どうして千花が不安になってしまったのかが分からない。けれども、指輪のことがあるのでバイトのことを打ち明けるわけにもいかない。どうするべきだろうか。俺は、途方に暮れてしまった。


 千花たちが、バイト先から出て行って俺はため息をついた。


 千花の喜んだ顔が見たかったのに、悲しませてしまっている。


 俺は一体どうすればいいのだろうか。


 俺は、思いのたけにマユに相談した。マユからは、早くバイトを終わらせてとっとと指輪を買えと言われた。

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