第2話

「という訳で、その資料の彼女が今日からこの施設に来る新しい人材だ」

 管理人から手渡された資料のこまごまとした文字の羅列の右上にはカラーで顔写真が載っていて、その顔は紛れもなく、昨日の夕方、校舎のはざまに見た少女の顔だった。名前の欄には、R10183と赤字で印字されていて、その下に手書きで愛称は「トーイ」と書かれていた。

「まだ、彼女たちの一人が、下の機関になんかいたんですね。もうとっくに全員、上にいると思ってたのですが……」

「君のようなのが彼女たちの中に一人ぐらいたとしても不思議ではないだろうよ」

 わざとらしく管理人は息を吐いた。僕はいたって真顔で、資料に視線を下す。

 渡された二枚の資料には僕の知りたいことは載ってなかった。持っていても邪魔になるだけなので、資料を管理人の机の上に置いて、僕は直接訪ねることにした。

「それにしても、わざわざ唐突に上に上がってくるのも気になりますね。何か理由を知ってはいないんですか?」

 これには、本当に億劫そうに息を吐き出してから、管理人は口をゆっくりと開いた。

「知ってはいるが、ばかばかしい理由だし、すぐに君も知ることになるだろうよ。もっとも、それが本当の理由かどうかは知り由もないがね。どちらにしろ個人情報だ。いくら君とはいえ教えられないよ」

 ありがとうございますと、慇懃に礼をして立ち去ろうととすると、ちょっと待てと、管理人はもう一枚、別の資料を渡してきた。それには少女ではなく別の人物の写真が白黒で斜め上に印刷されていて見知った顔だった。二、三秒ほどで分かりましたとそれも管理人に返して、今度こそ管理人の前から立ち去って、管理室のドアを開け、廊下に出た。窓の外は明るく、所々朝日が差し込んで廊下をまばらに照らしていた。

 昨日、日が暮れてから来た管理室は電気をつけてもなく、ドアノブも回らなかった。それで、早朝、僕は久しぶりに施設の中に来ていた。

 廊下に響く自分の足音を聞きながら、僕は屋上に行くこともなく、一年ぶりくらいに、自分の所属するクラスの部屋のドアを開けた。中には、人が一人、椅子に座って本を読んでいるようだった。音もなくドアを開けたはずなのに、その人物は、こちらに顔を向けて、僕と視線が交わる。

「やあ、昨日もあったな、ガンダルフ君」

 そう言って、笑いかけてきたのは、橙色のような色の髪の、ついさっき資料でもみた少女だった。

 ガンダルフというのはこの施設の構成員が使う僕の呼び名で、個体識別用の正式に登録されている名前じゃない。久しぶりにその名前で呼ばれて、一瞬渋面を作ってから、重たい口を開いた。

「朝早いね。まだ七時だよ。何か探し物でもあるのかな?トーイさん」

 トーイは、手に持っていた本を机の上にうつ伏せに置くと、一息に僕の目の前まで迫ってきて、僕の顔を覗き込んだ。そして、すぐに元々いた椅子まで戻って、深く腰掛けてから、僕に向き直った。

「君は、良い目をしている。君なら申し分ない」

 一人、笑顔で頷いているトーイは、僕が眉間にしわを寄せているのに気づくと、くつくつと笑い出した。

「悪い悪い。何言ってる分からないだろ?要は君に、秘密結社に入ってほしいんだ」

 眉間にしわを寄せながら、今度は僕がトーイの目の前に詰め寄った。トーイは僕には無頓着にまだ面白そうに笑っていた。

「そんなに、怖い顔するなって。秘密結社とは言ってもホーマのような奴じゃないさ。部活のことさ、ガンダルフ君」

 「部活」と聞いて、ついさっき管理人の言っていた、ばかばかしいという言葉が耳によみがえってきて、僕は思わず顔を顰めた。

「部活なんて旧世界の遺物じゃないか。もう随分昔に廃止されてから、どこの施設にも設置されてないよ、ここももちろん」

「だから、わざわざここに来たんだよ。もちろん知ってはいると思うけど、ここの規則に則れば、部活を創ることができる」

 確かに、ここの施設を支配する規則の中にはどうしてだか部活を創っても良いという条文がある。でも、誰もそれをしないし、することができない。正確には、今現在、一人をのぞいて誰にもそれをすることは許されていない。部活を設立する権利のあるのは、この施設で最も優秀な人間だけだ。それは、つまり僕のことだ。

「トーイさんは、わざわざ宣戦布告に来たの?」

 トーイは、顎を左手で触りながら、ふふふと笑って、立ち上がる。目の前のトーイとちょうど目線の高さは同じだった。目には爛々と髪の色のように燃える炎が見えるようだった。

「その通り。次の定期試験で私は君に勝って、君から「権利」を奪う。そして、君には私が設立した部活に入ってもらうよ」

 言い終わると音もたてずにトーイは僕の隣を通って、部屋の出口に向かう。管理人と同じように、僕も自然とため息をついてしまった。

「ところで、何の部活を創るの?」

 返事が返ってくるか来ないかぎりぎりの距離で最後にそう言うと、今度会ったときね、と廊下の方から声が返ってきた。

 一人部屋に取り残された僕は、近場にあった、椅子に深々と座りこんだ。もうすぐ他の人間が宿舎からこちらの施設に流れ込んでくる。それまでに僕にはもう一か所、行かなければならないところがあるけど、あと数分、背もたれに背を預けておこうと目を閉じた。

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