変容する心 (花金企画いもむしに寄せて)
「何見ているの?」
頭の上から柔らかな声が降ってきて、僕はびっくりして振り返った。
美しい花々が描かれた茜色の着物の袖が目に入る。
「あ、いもむしだ! どんな蝶になるのか楽しみだね」
そう言った女の人の着物の袖がふわりと翻って、僕はこの人のほうがきれいな蝶々みたいだなと思った。
それは十歳の夏のこと。
お見合いで僕の家に訪れていたその女性は、年の離れた兄の嫁さんになった。
優しい笑顔溢れるその人の名は、
旧家の重苦しい伝統の中で、日に日に笑顔が消えていくのを、僕は黙って見ていることしかできなかった。
そうして十年の月日がたち、子どものできない義姉さんへの風当たりは強くなる。
わかっているはずの兄は、庇うどころか外に女まで作る始末。
対照的に僕の中に膨らむこの想いは何なのだろうか。幼き日の甘酸っぱい気持ちは、やがてどろどろに溶けた蛹の中身のように、別物へと変貌していくのを感じる。
自分で自分が恐ろしくなって、必死に抑え込もうとしていた。
だが、あの日、
それは始まりの場所での再会。いもむしを共に愛でた場所。
長年秘め続けてきた恋心は僕の心に溢れ出し、震えるような陶酔に浸らせてくれた。
「あら、
違うだろ。悲しい顔をしているのはあなたじゃないか。
「いもむし……」
「なあに?」
あの頃と違いやつれた面差しゆえに、
「いもむし、またその葉についていますよ。蝶になって飛んでいくまで、無事育ってくれるといいなと思ってそのままにしてもらっているんです」
「そう……蝶になったら、飛んでいかれていいわね。どこにでも、好きなところへいかれるんですものね」
「義姉さんも遠くへ飛んでいきたいですか?」
「……いいえ」
「一人で怖かったら、二人で飛びませんか?」
僕は細い腕に手をかけた。びくりとして固まる義姉の顔。
「もう、祥生さんたら、驚かせないでちょうだい。それにしてもいつの間にそんなに背が伸びたの? 同じ家に住んでいたのに、全然気づいていなかったわ」
「そんなはずないですよね。義姉さんのこと、俺ずっと見ていましたから」
広い庭の片隅とは言え、身内の者に見られる危険があることを、義姉は心配していた。綺麗に手入れされた生け垣が、幾重にも重なり合うように配置された庭園は、専属の庭師が常時手入れをしている。母屋からは二人の姿が見えないが、手入れの者がいつ現れるとも限らない。
「義姉さん、一つ聞いてもいいですか?」
「なに……かしら?」
「あの日、お見合いの日、なぜここに来たんですか?」
「……」
「本当はお見合いが嫌だったんじゃないですか?」
「……」
「あなたの父親が俺の親父に借金があった。そのせいで、あなたは無理やりこの家に嫁に来た」
「そんなこと無いわ」
「……幸せですか?」
「っ! なんでそんなことを。幸せです。何不自由ない生活をさせていただいていますもの」
「でも、子どもができないと責められる」
「……それは、私が至らないから……」
「時代錯誤な家ですよね」
「祥生さんは自由よ。
「……そうですね。やりたいことにチャレンジします」
僕は……俺は二十歳になった。もうこれ以上は待たない。手に入れたいものは手に入れる。
その夜、俺は
兄が帰ってきていないのは知っている。だって……
『殺人事件のニュースです。昨夜未明、男性が女性のマンションで刺殺体で見つかりました。警察は住人の女性を重要参考人として捜査して……』
殺したのは俺じゃないぜ。ほんのちょっと、辛い現実を愛人に見せてやっただけさ。
完
【お題】 いもむし
【レギュレーション】 体の一部を入れる
怖い話になっちゃいました(^^;
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