出会う人

灰を捨てるわけにはいかなかった。僕は灰を瓶の中に集め、家の隅においておいた。

 これからどうするべきなのか。

 なにか考え事をする時、僕は決まって行く場所があった。


「開いてる」


川越城。今日は空いていた。いや、もう永遠に空いている。僕は本丸御殿の前のベンチに座り込む。

座ると涙が出てきそうで、立ち上がる。

立ち上がると、妹や母の呼び声が聞こえてくるような気がして、また座る。ずっとそれを繰り返していた。

小学校のときはここと近くにある川で遊び、中学の時はここでたむろし、高校ではここは友人との待ち合わせ場所となった。川越城は、僕の10代を象徴する建物なのだ。


そうだ。あの時も。

あいつに、フラれた時も…


「随分と暗い顔をしてるじゃないか」


 後ろからの聞き覚えのある声。いつもこんな出会い方だった。 

 茶色い髪の毛を三編みにし、それを何個か作って重ね合わせた随分と複雑な髪型の、身長の低い女性。その低い声から発される罵倒に、何度頭を悩ませたことか。

 唖然とする僕の顔と、その女性の顔が、くっつきそうなほど近くなる。僕のぽかんとした目を、まるで知っているかのように見つめていた。

 


「私のことを言っている気がするぞ、君?」







三好風佳。 僕のあこがれの人であり、好意をずっと寄せていた人。高校生の時にフラれてから、ほとんど話していない。いや、正確には告白すらしていない。勝手に撃沈しただけだ。

マンションが同じで、母親同士が仲良く、僕と風佳もそれに連れ添って遊んでいた。学力も同じくらいで、同じ中学、高校に入学した。

僕が東京の大学に受験を決めた時、風佳に言った。「僕が第一志望に受かったら、付き合ってほしい」

「もちろん」。風佳は笑顔で答えた。


落ちた。


僕は風佳を、どうせ来やしない待ち合わせ場所でずっと待たせていた。

そんな風佳が。平気な顔をして僕の前に現れたのだ。

「生きていたなんて。驚いたよ」

「それは僕のセリフだよ…」

風佳が僕の隣に座る。なぜか、高校の制服を着て。

「して、随分とお疲れの顔だね。第一志望には落ちたのかい」

「落ちたよ…悪かったね」

「いいよ、私は気にしてないさ」。風佳のフォローすらも僕にはアイスピッケルのように見える。

「風佳は進路どうしたんだ?」

「私は父親に連れられてね。各地を転々としながら父親の仕事を手伝っていたさ。半年後にはロシアの大学に入れるハズだったんだが」

そういえば、彼女の父親は科学者だったか。 茶色かかった髪の毛は、三編みを重ねたいつもの風佳の髪型になっていた。ワンテールアレンジ、と彼女は言っている。

「この有様さ。私はどうしたらいいものか」風佳はため息をついた。

「ねぇ、この灰って、やっぱり人なの?」

「そう…じゃないと、説明がつかない」

「…」

僕は黙り込んでしまった。風佳も、灰で霞んだ空を見上げる。

「私、何をすればいいんだろうな。君、なにかやりたいこととかあるのか」

「さぁ……」

また沈黙が訪れる。だが僕には、この沈黙すら心地よかった。生存者がいる。それが気まずい関係でも、僕には嬉しかった。


「よし」

「風佳、どうしたの?」

「明日から13時にここへ集合。毎日。これからどうするか決めよう」




5月はこうして、二人は川越城に集まって話をした。

僕も風佳も、他愛もない話をするだけだった。小中高と同じ学校だったので、共通の友人はたくさんいる。あいつがごこにいったとか、あいつは今ニートだとか、あいつは東大にいった、とか。


「あははは、結局、私達いつもと変わらないな」

「全くだよ、みんな灰になったっていうのにな」

 二人でずっとこうしていたい。こう思っていても、別に悪くはないんじゃないか。






「はぁ、もう夜だ…僕はもう帰るよ」

「ちょっと待ちたまえ、君」

風佳はそう言って、いつまでも会いている川越城の中に僕を入れた。 

家老詰所。川越城の出身から江戸幕府の要職に就く人は多く、ここは未来のそういう人たちのいた場所であった。本当はここに長居してはいけないのだが、僕と風佳はそこの中に座った。


「今日は川越城で寝ないか」

「え、いやでも、男女でそういうのは」

「なんだね、男子高校生の名残が残っている癖に性欲ないとか言うのはダウトだぞ、そういうやつに限って童貞脱してるって私に愚痴ってたじゃないか」

「いやそういうのじゃなくて」


風佳は「はぁーーー」とため息をついた。「じゃあ君はあっち。私はここ」



障子一枚で阻まれた。とはいえ、ここにはベッドも布団もないので、畳に雑魚寝だ。 僕は畳に寝転んだ。

「なあ君、覚えてるか」風佳の声。風佳は僕に背を向けて座っているのが障子に映る影越しにわかる。

「私に第一志望に合格したら付き合う、って」

「あ、うん」

その話題は一番出してほしくなかった。僕はここで風佳との縁が切れるのか、という覚悟をした。しかし風佳は至って普通の口調だった。

「そのあと、私がなんて言ったか覚えてるか」

「い、いや…あのときはあれを捻り出すので精一杯だったから」

「じゃあ、その後の私の言ったことを覚えていない、と」

風佳の侮蔑するかのような声に、僕は、

「す、すみません」

としか言えなかった。

「まあいい。バカ正直なのは君のいいところだ」

「…」


風佳は少し間を空けてから言った。

「私の言うことをなんでも聞くといった」

「……言った?」

「もちろん」

覚えがない。あの時、彼女が「もちろん」といったこと以外、恥ずかしながら何も覚えていなかった。

「…パリに行こう」

「ぱ、パリ!?」

大声を上げ、起き上がる僕に構わず話を進める。

「パリ、行きたいって言っていただろう、君」

「まぁよく言ってたけど…でも、こんな状況でどうやって」

「歩くのだよ」


んな無茶な。

「んな無茶な」

「無茶じゃない」

「でも…」

「どうせ死ぬんだ。食料だって底を尽きるだろうし、このままだと私達はここで野垂れ死ぬ。ならせめて、憧れの場所で死なないか、って話だよ、君」


どうせ死ぬ、なんて。

何も考えていなかった。自分が死ぬ、という実感がなかった。死体を見ていないからだろうか。

死ぬ。

僕が、死ぬ。

考えると、なんだか怖くなってきた。 漠然とした恐怖。 これが一番怖いのだ。


「死ぬ、のか、僕は」

「何を当たり前のこと言ってるんだ君は。動く脊椎動物はみんないつかは心臓の動きを止めるんだぞ」

「なんで風佳は、そんなに平然としてられるんだ?考えだしたら怖くてたまらないよ」

 障子がゆっくりと開かれた。紙のATフィールドがなくなり、僕と風佳はまた対面した。

「さあな」

風佳はそう言って僕の目の前で寝転んだ。髪の毛からシャンプーのいい匂いがする。 ガスが動かなくなって、もうお湯は出なくなったはずなのに。お湯を薄めてたりして風呂にちゃんと入っているのだろうか。


「初めて私達が触れ合った時もこんな感じだったね、楓佳」

「初交尾の回想実況か?」

「言い方」


二人でクスクスと笑い合う。

結局僕と風佳は何もせず、ずっとどうでもいい話をしながら、眠りについたのだった。














「オリジナル、どうだ、順調か」

「……」

「君の使命は分かっているな。陛下をパリまでお連れするのだ。いいな」

「…さい」

「なんだと?」

「黙れ、クソジジイ」


入ってきた連絡を無理やり切った。


川越城の近く。埼玉県立川越高等学校のグラウンドへ向かう。前の私がここに埋めた、武器一種を掘り出した。

数日前に朝霞自衛隊の駐屯地まで行って、わざわざ倉庫を破壊してまで手に入れた、自衛隊の89式小銃、手榴弾、弾薬、ピストル、そして、黄金で塗装された筒。

 私は、その男の顔をそっと撫でてみた。子鹿ような弱々しい寝顔を見ると、私からも、思わず笑みがこぼれてしまった。











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