第20話 はじめてを

オレは放心状態で、一の話を頭の中で噛み砕いて飲み込んで、理解しようとしていた。同い年の男と自分の父親のハメ撮りなんて、普通見つけたら吐くほど気持ち悪いものだろう。一は、それを見てオレのことを好きになったということか。一瞬、どん底の気持ち悪さに襲われて背筋が凍った。動画からオレを特定して、全部調べ上げて、高校も同じにして。こいつ、もしもオレと付き合えなかったらどうするつもりだったんだろう。強力な執着心の対象が手に入らなかった時の最悪を考えると、身震いした。

しかし恐怖と同時に、オレの裸を画面越しに見ただけで一目惚れして、それだけのきっかけでここまで愛して愛されるなんて、幸せなことこの上ないのでは、と思った。一の執着という頑張りがあったから、付き合い始めてから今までの苦難も幸せもあったとすると、全てが必然で、固く結ばれた運命なのかもしれない。もみくちゃにされた感情がオレの中でうごめく。一の抱えた重たい執着心に底なしの恐ろしさを感じて、それなのにあたたかく愛しくて。そうだ、相手の全部を知って、受け取って自分のものにして、今までと変わりなく愛して愛されるのがオレの望み。今、一の過去を受け取れたんだ、やっと。絶えず見え隠れして、掴めそうで掴めなかったものが、手元にある。幸せを感じたのか、それとも興奮したのか、体温が上がって、顔がほてった。

「一。ねえ、顔上げて」

感情を抑えて優しく呼びかけると、一は恐る恐る顔を上げた。怯えるような、潤んだ細い目で、オレを見る。ゆっくりと瞬きをした一の目から涙がこぼれた。オレが片手を掲げると、一はきゅっと目をつむる。ぶたれると思って顔をこわばらせる一を見て、可愛くて仕方なくなった。掲げた手で頰を撫で、柔らかいまぶたにキスをした。困惑して顔を上げた一に、体重をかけて抱きつく。一はバランスを崩して壁から床にかけて折れるように倒れ、オレは一の腹に跨った。

「オレを知ったきっかけはさ、異常で気持ち悪くて、最悪だなと思ったよ。怖いとさえ思った」

一が唾を飲む音が聞こえた。

「でもね、今知ったから、許せるんだ。どんな形であれ、オレを見つけて、出会って告白してくれて、ここまで愛してくれた一がいるから。ねえ、一。好き、大好き」

オレは優しく明るく、笑いかけた。

「話してくれてありがとう。一のこと、ぜんぶ嫌いで、ぜんぶ好きだよ。好きも嫌いも、みんなみんな愛しい。ね、一生一緒にいようよ。愛してるの」

感情が昂って、自分の目の端が濡れてるのを感じた。一は、何が起こったのかわからない顔をしている。危うく幻滅しかけたのは事実だけど、オレに振られると思っていたなら、不本意だ。少々手荒に、両手で一の顔を挟んで、薄くて可愛い唇に三回キスをしてから、大きな体を力強く抱きしめた。体温を感じてとろけそうになったが、まだやらなければいけないことがある。オレは立ち上がり、振り向いた。

「あー、これがオレの答えです」

彼は、面白くなさそうな顔をして、こちらを見ている。

「一のお父さん。一とオレはこれから二人で生きていきます。毎月の仕送りもいらないし、関わらないでほしいんです」

真っ直ぐと目を見て力強く声を出した。声と足は震えて、意識がどこかにいきそうなほどの緊張と少しの興奮を抑えながら、言い切った。一の父親はテーブルに肘をついて黙っている。一がのそりと起き上がって、姿勢を正した。

「親父、比嘉の言った通り、もう俺は決めたんだ。二人の力で生活する。親父には頼らない」

一が見開いた瞳に、蛍光灯の丸い光が映ってきらきらしている。真剣に訴える一は、今まで見たことがないほど、生き生きとした様子だった。

「潤と水那には、このことは話した。母さんには今度、今まで言わなかったことも全部、話をするよ」

申し訳なさそうに、でもはっきりと宣言する。

「ああそう、わかったよ。もういい」

あからさまに不機嫌な声で返した父親をしっかりと見つめたまま、一は少しだけ微笑んだ。

「ここまで育ててくれたこと、比嘉に出会うきっかけをくれた親父には感謝してるよ。皮肉でも何でもなく。でもやっぱりあんたのことはもう尊敬もできないし、嫌悪感ばかりだ。手を借りて生きたくない」

一の声は、最後になるにつれ感情を押し殺すように震えた。感謝も本当は示したくなくて、向こうも示されたくないはずだ。これはまだ、男二人の勝負が続いていたんだ。一の、最後の攻撃。

「……勝手にしろ」

一の父親はそう吐き捨てると、荒々しく立ち上がって、出て行った。

大きな音を立ててドアが閉まったのを合図に、緊張感が張っていた空気が解け、途端にオレは、腰が抜けて床にへたり込む。一は飛び上がって、慌ててオレの背中に手を添えた。

「比嘉……!大丈夫か?」

オレの顔を覗き込む一は、苦痛に歪んだように険しかった。それも可愛くて胸がきゅんとした。オレはおかしくなったのかもしれない、でも、おかしいままでいい。

「……あ、あはは。怖かった、超怖かったよ!」

オレは笑った。笑いが止まらなかった。本当に苦しくて怖かったのに、一から聞いた話の全貌や、話す時に頭が真っ白になりそうだったのとか、一の父親の態度を思い出したら、なぜか笑えてきた。笑い飛ばして、楽しかった記憶として塗り替えたいのかもしれない。しばらく一はおろおろしていたが、笑いで上下に揺れるオレの肩を寄せる。両肩からじんわり体温を感じて、幸せで、涙が出そう。一はまだ、苦しそうな心配の顔。一縷の望みをかけて、オレはまだ笑う。

「んは、ははは……お父さん、めちゃめちゃ怖かった。本当に、ふふっ、漏らすかと思った」

背中をさすっていた一の唇が、オレが笑うたびに少しずつ歪むのを細目で見ていたら、次の瞬間に一は吹き出した。一瞬息を呑んで、オレは一を見上げた。一は口角を上げて、目尻にしわを作っていた。

「くっ……あはは」

笑った、一が笑顔を見せた。

「おかしい。怖かったのに、そんな楽しそうに笑うんだ。ふっ、あははっ」

一は軽やかな笑い声を上げた。口は大きく開いて、毎日丁寧すぎるほど磨いている白い歯を見せる。しばらく笑っている内に、一は涙をこぼした。鼻をすすりながらも笑い続ける。オレも一緒に笑いながら、胸が締め付けられて苦しくなった。幸福感が刺さるように痛い。

泣き笑いが収まって、涙目を擦った一は、オレの肩に頭を置いてふうふう言いながら呼吸を整えた。

「……初めて見た。一の笑顔が、こんなに眩しいなんてびっくりしたよ」

一は無言でオレの腰に手を回して、少し自分の方にオレを寄せた。首元をくすぐる息遣いに悲しさを感じて、少し焦る。一だって、オレに笑顔を見せたかったんだ、きっと。

「ねえ、一もそうだった?オレを見た時。実際に会って目を合わせた時だよ、覚えてる?」

一の背中に手を回すと、じんわり温かくて、少し汗ばんでいた。

「覚えてるよ、綺麗だった」

一は掠れた声で小さく呟くと、オレの膝に倒れ込んで眠ってしまった。一の細くてさらさらしたこげ茶の髪を手櫛でとく。太ももに感じる体温と寝息でそこから体が溶けて、オレたちは一つになって、この部屋の床に染み込んで消えてしまう。そんな妄想をして、オレも眠りに落ちていった。

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