第19話 執着の男
一の父親はオレを見ると、一に似た一重の細い目を見開いた。
「あれ、“レイ”くん?なんでまた……あー」
オレを名前で呼んで、何かを察して一に目線を戻す。
「一。試験直前で悪いが、やっぱり話し合いが必要だな。上がっていいか?」
そう訊ねる笑顔は、見ると目が笑っていなかった。
「くそ……最初から上がる気だったんだろ、聞くなよ」
一は明らかに不機嫌を見せた。緊張感がオレの心臓を突き刺す。鍵を開けて窮屈な玄関、三人通るには狭い通路を抜けたら二人の生活スペース。一の父親は、部屋をじっくり見回して、用意されたクッションを整えておもむろに座った。
「へえ。こんな狭いところに、この子と二人で住んでんの」
嘲るような調子で一に問いかける。一は突っ立ったまま、父親のことを睨みつけた。
「怖いな。お前、そんな顔だったか?」
一を覗き込む父親は、薄ら笑いを浮かべている。オレは戸惑った。一と付き合う直前まで関係を持っていた彼は、プレイは少し手荒だったけど、対話するときは腰が低く、安心して自分を打ち明けられた。自慢の息子がオレと同い年だという話をされたこともある。そんな優しく穏やかだったはずの彼が、自慢であるはずの息子に、へらへらしながら悪意を向けている。
「親父こそ、そんな嫌味ったらしいやつだったか」
眉間にしわを寄せ、歯を食いしばって声を絞り出す一。それを聞いた父親は、ため息をついて体をのけ反らせ、天井を見上げた。
「そりゃあ。かわいいかわいい息子が、いつの間にか恋敵に代わってたら、そうもなるよ」
再度一に向けた顔は、挑発的な笑顔から一転、嫌悪感が丸出しだった。表情の切り替えが早いところも、一と似ている。
「恋敵?ふざけるなよ、母さんがいるのに」
「母さんは、また別枠だよ。お前にはわからないか」
「チッ、言い訳しやがって」
オレは、二人のやりとりを縮こまって眺めるしかできなかった。一触即発な雰囲気を感じて、不用意に口を出せない。一の舌打ちなんて滅多に聞かないから、怖くてたまらなかった。
「一。俺はこんな話をしに部屋に上がったわけじゃない」
また表情が変わり、一に真剣な目を向ける。鋭い視線に怯んだ一は、もう一回小さく舌打ちをした。
「幸せにしたい相手がいて、お前自身も幸せになりたいなら、ちゃんと話して受け入れてもらうのが筋じゃないのか」
一の父親は、オレを一瞥しさらに続ける。
「この様子じゃ、俺のことも話してない。お前自身のことも、話してないんだろ?」
「さっきから回りくどいな。先に親父は、結局俺の敵なのか、俺のこと応援してそれ言ってるのか、はっきりしてくれよ」
一が苛立ちを抑えるような震えた声を出した。父親は腕を組んで数秒考える。
「現状、争ったところで俺の勝ち目はないだろうな。だから、お前にも負けてもらおうってところかな。まあそれはこの子次第だけど」
今、人間の最も醜い、嫌な部分を味わっている気がする。全部オレのせいで、オレの行動が原因で、オレが生まれてこなければよかったんじゃないかという大きな負の思考に飲まれそうになり、踏みとどまった。
「最低だ。比嘉のことも、あの女を手篭めにしたのも、今も全部。たちが悪い」
一はひと息で言い切って、下唇を噛み締めた。
「はは、なんとでも言えばいいよ。母さんに告げ口できただろ、言わない選択をしたのはお前だよ」
「母さんに言えるわけないだろ!」
一はローテーブルに拳を叩きつけた。息が上がっている。
「それって、母さんのためじゃなくて、お前自身のためだろう」
一の父親は、見透かすような、鋭くも穏やかな目つきで一を貫いた。
「お前は中学三年のときから、レイくんと出会うために行動してきた。違うか?」
一は歯を食いしばって黙った。なんとか言ってよ、そんな前から?どうして?声に出したいけど、口が開くだけで声を出す勇気が出なかった。
「俺のパソコンから、あのフォルダを消したのもお前だろ。もしかして、動画とか、自分のためにコピーした?」
一の父親が鼻で笑う。ひゅ、と一の喉が鳴った。青ざめている。
「え、動画って」
思わずオレは声を出した。この人が持っていたオレ関係の動画なんて、もちろんわかってるが、脳と心は、理解したくないと喚く。顔が熱くなった。
「……ごめん、比嘉」
ローテーブルに突っ伏した一が、小さく唸ってから、ぽつぽつと話し始めた。
「俺が、中学三年の時、家庭教師から性被害を受けた後……しばらく学校も休んでて、その時に親父のパソコンで、調べ物や資料集めしてて」
中学生の一は、ダウンロードしたファイルが保存された場所を探していたら、奇妙なフォルダにたどり着いた。「0」と名前がついたフォルダ。いくつかフォルダの階層を抜けた先にあったそうだ。オレはよく、ゼロって書いてレイだよと、自己紹介として言っていたかもしれない。そう考えると捻りのないフォルダだ。そこには、画像ファイルが数えきれないほどと、動画がいくつか。
「画像を開いたら、ピンクの長い髪を後ろで結んで、だぼついた制服を着た、俺より幼く見える人が写っていた。比嘉だよ。一枚目は笑顔でこっちを見つめて、口から八重歯を覗かせてた。二枚目を見ると、一枚目では分からなかったけど、撮影場所はホテルの個室だった」
ベッドに中学生のオレが座ってる写真。一は、いけないものを見ていることに気がついて、念のため部屋の戸に鍵をかける。怖いもの見たさって本当に恐ろしい。
次のファイルは動画で、音が出たら困るから、一は手元にあったイヤホンを挿した。オレが裸で、ベッドに横たわってるところから始まる。そこで初めて男だとわかったらしい。
「イヤホンから親父の声がして、比嘉が答えて、親父の手が比嘉の体を触り始めた。で、はっとしたら、動画は終わってて、たぶん、意識が飛んでた」
体はびちゃびちゃに汗ばんで、ふと下を見たら、一は下着の中で自分の性器を掴んでいた。ここまででも、オレは衝撃で頭を抱えた。これ以上聞いたら狂ってしまいそうな気がしたが、一のことは、全部知りたい。
「手を離そうとしたら、精液で、下着がベタついてて、興奮の余韻と罪悪感と嫌悪感がぐちゃぐちゃになって、涙が込み上げたと思ったら、吐いた。慌ててゴミ箱を抱えて、全部戻した。もう出すものがなくなっても、しばらくは何かが込み上げてきて……」
吐くほど嫌悪感があったのに、その後も一は吐き気を抑えつけながら繰り返し動画を見たらしい。オレは言葉を失って、相槌すらできない。
「動画の中の比嘉は眩しくて魅力的で、俺の意識を鷲掴んで、頭から離れない。理由がわからなかったけど好きで好きでたまらなくなってた」
流石に、頭がおかしい。オレの理解の範疇はとっくに超えていた。それから一は、動画で言ってたハンドルネームとか、制服とかの小さな情報から、オレを突き止めた。インターネットってすごいな。感心してる場合じゃあないけど。
「SNSのリア垢とか裏垢とか、探して回って全部見て、高校も同じところを受験したんだ。俺は立派な……いや、最低な比嘉のストーカーだったよ」
「……ん、でも、高校三年まで、オレに関わらなかったよね」
「それは、ただ俺がビビリだったこともある。そもそも一、二年の時は接点がなかったから。三年で同じクラスになれてチャンスだと思って、4月から告白する前の日まで、比嘉が援交しにホテルに入るところを写真に収めたり、どうにか接点を作れないかと奔走してた」
オレは、それを聞いて、どう返したらいいかわからなくなって、険しい顔をしてしまった。オレの顔を伺った一は、絶望した表情で、ゆっくり俯いた。
「俺、相当にキモいな。……ごめん。本当に、ごめんなさい……ごめん」
一は掠れた声で何度も謝りながら、泣きじゃくっていた。
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