第18話 親子
オレたちのクリスマスと正月は、試験勉強と就職先探しで終わった。もう一の試験日が明後日に迫っている。学校は自由登校だが、オレたちは火曜と木曜に登校して、教室で自習に励んでいた。一は受ける大学の過去問を一通り解けるようになったようで、別の大学の過去問を開いている。
「別の大学の問題やって、当日の試験で役立つの?」
「んー、色々な問題が解けるに越したことはないと思う」
聞いてみたものの良くわからないので、そっかあ、と適当に相槌を打った。オレは先ほどまで就活の調べ物をしていたが、疲れたし飽きたので、窓の外の飛ぶ鳥や揺れる草木を眺める。外の音に意識を向けて、身体から心が離れるような不思議な感覚を楽しんでいた。机の上のスマホが長く震える音がして、外で葉っぱを弄ぶ妄想をしていた心が、身体にぱちんと戻ってきた。
「電話じゃないの、一」
「ん……」
一は伏せていた画面を持ち上げて、確認した。眉がひくっと動いて、眉間に皺を寄せる。
「誰?」
「また父親」
それだけ言って、画面を伏せる。ここ数日、よく掛かってくるようだ。一回も出てないらしいけど、正直出た方がいいんじゃないか。しかし電話が鳴って画面を確認した後の、一の本当に嫌そうな顔を見ると、出なよとは言えない。
「そういえば、姉ちゃんに連絡とろうと思うんだ」
なんでも良いから一の気を逸らしてあげようとしたが、まだ良くない話題だったかもしれないとすぐに気づいた。しかし様子を伺うと、一はそれほど嫌そうな感じではない。
「いいと思う」
「いいの?やった、よかった。色々相談したかったから」
一は喜ぶオレをみて、弾むように軽く息を吐いた。
「前連絡先を縛るのはやめようって話したのは比嘉だろ」
「そうだけど、まだ納得してないかと思ってた」
一は目を細めてオレを優しく見つめた。
「そんなことない」
普段から細い目をもっと細めるから、糸みたいになっている。きっとみんなから見たら、怒ってるように見えるきつい表情だけど、これが一の、精一杯の優しい顔だ。
「で、玲奈さんに何を相談するんだ?」
「姉ちゃんって、情報通だし交友関係も広いから、オレができそうな仕事見つけてくれないかなと思って」
「なるほど、あるといいな。頑張れよ」
一が就職のことも前向きに応援してくれるようになって、オレのやる気は最高潮だった。
久々に姉ちゃんと連絡を取る。すこしドキドキしたけど、返信はすぐ来たし、通話をかけてきた。連絡を断つ前と同じ陽気な雰囲気だったので、オレは安堵した。
オレが働けそうな就職先を探してくれないかと相談すると、『かわいい弟の頼みだし、探してあげよう!』と快諾され、早速聞いてくる、と言って通話が途切れた。今頃、片っ端から知り合いに連絡を取っているところだろう。そう簡単には見つかるはずがない条件だから、姉ちゃんにやらせるのは申し訳ない。それでも、見つかると信じて待つことにした。
夕方になり、そろそろ帰ろうとしていた時、一はスマホを確認したと思ったら、なにやら慌てて席を外した。待っててと言われたので大人しく待っているが、もう十分は経った。冬は日が落ちるのが早い。教室が夕焼けの赤い光で満ちて、どこか異空間のような不気味さがあった。そこに独りぼっちは心細くて、暖房で暖かいけれど、身震いをした。
教室のドアが甲高く叫んで、驚いて体が跳ねる。音の方向へ振り返ると、一が疲れた表情で立っていた。どこか血の気が引いてるようにも見える。
「悪い、遅くなった。帰ろう」
「うん。……何かあった?」
いそいそと帰り支度をする一に尋ねると、手は止めずに
「歩きながら話す」
とだけ返して、早く支度をするように促された。何かしらあったには違いないと、オレは慌ててノートや筆記具を鞄に詰める。一はいつもより動作に無駄が多く、手を滑らせてペンケースの中身やプリントをぶちまけたりして、何かに焦っているのがひしひしと伝わってくる。準備ができて一に駆け寄ると、強く手を握られ、引っ張られるようにして教室から出た。オレも不安な気持ちになってきた。
「……父親が家に来る」
帰り道を迷わず進みながら、一は声を絞り出した。
「嘘っ、いつ?」
「明日にはもう、来る可能性が高い」
「明日!?そんないきなり……」
恋人の親に会うなんて経験したことがないから、心の準備ができない、どうしよう。
一に手を引かれながら駅に入る。帰宅ラッシュの人混みで思うように進めない。改札を通り、ドアが閉まる合図が鳴っている電車に飛び乗った。車内も人が多い。空気が抜けるような音がしてドアが閉まり、発車した。最後に乗り込んだので、オレはドアに寄りかかる。一はオレを覆うようにして立って、辺りを見回したり、オレの手を握ったり、指を撫でたりつまんだりと弄っていた。一の落ち着かない不安な気持ちがオレにも影響して、最寄りまでの二駅が異様に長く感じた。
駅に着き、オレが寄りかかってたドアが開いた。手を繋いで降りて、焦っている一に引っ張られながら改札を出て、走る。避けきれなかった人に軽くぶつかって謝りながらも走った。アパートの方向へ一直線に急ぐ。
「一、なんでいきなりお父さんが来ることになったの?話し合い?」
答えがない。パニックになっているのか、オレが問いかけてもしばらく無言を貫いたりして、話が進まない。
「必要なもの持ってどっか泊まりに行こう」
やっと口を開いた一は前を向いたままそう提案し、アパートの階段を登る。
「え?ちょっと待って、会わないの?」
「明日会っても良い方向に進む気がしない、もう少し落ち着いてから……」
一が階段を登る足を止めて黙った。一の手の力が抜けて、オレの手はするりとこぼれ落ちた。ゆっくりと階段を登る一についていくと、部屋の前に、人がいた。一と同じくらいの背丈の大きな男性。
「お、帰ってきたか。電話の様子じゃあ逃げると思ったから、来たぞ」
「……親父」
恐る恐るオレも顔を出して、一の父親の顔を見る。瞬間、背筋が凍る。見たことのある人だ。見たことあるなんてものじゃない。以前オレが援助交際をしていた人だった。
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