肉親の呪縛
第16話 計画と決意
換気のため教室の窓が開いている。暖房の熱と、外から吹く冷気が交互に肌に触れる放課後。一は休んでる間に溜まった課題を片付けている。オレは授業に出ていたくせに、同じ課題を溜め込んでいた。一の解答を盗み見て課題を進める。
「比嘉、答えを写すだけじゃ身にならないから。少しは考えろ」
一はオレがちらちら見ていた解答用紙を裏返した。
「ええー、やだよ。わかんないし」
「うーん。じゃあ、教えるから」
一はシャーペンでオレのプリントを指して、説明を始める。オレは机に頬杖をついて、面倒臭いがしばらく説明を聞いた。
「わかったか?」
一がオレの様子を伺った。
「うーん、なんとなくわかったような、わからないような……」
「人に教えたことないから、教えるの下手かもしれない」
「そんなことないよ。オレが理解力ないだけだし、先生とかできるんじゃない」
軽くそう口に出すと、一は少し真剣な顔をして自分のプリントを眺めた。
「どうしたの?」
「……なんでもない。続きやるぞ、比嘉の課題、まだ半分も終わってないだろ。俺も自分のを終わらせたい」
「ゔっ、ダルい……けど、ほんのちょっとだけどわかってきた気もするし、頑張るかあ」
机に向き直り、次の問題の解き方を教わった。最初よりも段違いで、一の説明は分かりやすくなっていた。もちろん人一倍努力もしているはずだが、一はもともとの素質がいいんだろうなと、ぼんやりと思う。一時間後には、基本的な問題なら、時間はかかるが自力で解けるようになっていた。
「比嘉、進み具合は?」
一はもうほとんどの問題を終わらせていた。オレは脳の普段使わない部分を使ったからなのか、疲れたし頭がクラクラする。それでも自分の力で5問ほど進められて、達成感を感じていた。
「やっぱり、教えるのうまいよ。解き方教えてもらったら、自力でこんなにできた」
「そうか、それならよかった」
一は、ほんの少し口角を上げて(引き攣らせたという方が正しいが)柔らかい声を出した。
「もっと前から、比嘉の勉強具合を見て、教えていればよかったな」
日が傾いて、空は赤く染まっていた。一のまつ毛が光を透かして、茜色に見える。
「俺は自分の勉強ばっかりして、比嘉の勉強のこと、あまり見ていなかったから」
「一は、勉強するの好きだもんね。机に向かってるの生き生きしてるし」
小さく頷いてから、いつも姿勢良く座っている一が、背中を丸めて頭を机に置いてオレの方を見る。
「でも、わかった」
オレも同じ姿勢になって目線を合わせ、何が?と尋ねた。
「勉強は、教えることも楽しい」
ふふ、とオレが笑うと、一は目を細めてオレを見つめる。その顔が愛おしく切なくて、心臓がキュッと収縮した。
「課題、終わらせなきゃ。まだ少しわからないのあるんだ」
オレは体を起こし伸びをして、よし、と気合を入れた。一はオレが一回で理解しきれなくても、何回でも解き方を一緒に書きながら教えてくれた。オレも諦めない。オレはやっとの思いで全ての問題を解き終えた。思い出したかのように、集中していて手をつけてなかった紙パックのいちごミルクを飲み干す。外は日が沈んで、建物の明かりが弱く光っていた。
「大学受かったら、引っ越すか」
やっと家に帰ってきて、近所のスーパーで買った、値下げシールが貼られた食材たちを冷蔵庫にしまいながら、一が呟いた。
「んえ?どうしたのいきなり。目指してる大学、そんな遠かったっけ」
「いや、都内」
一は、オレが袋から出して渡した卵を持って、ぼんやりと冷蔵庫の前に突っ立っていた。これは、何か思い悩んでいるな。こういう時、放っておくと一人でどんどん抱え込むし、無理に聞き出そうとしても頑なに言わなかったり機嫌悪くなったりするから扱いが難しい。
「なんか悩んでる?」
ここですぐに言ってくれるなら、心配はいらないが。
「うーん」
言いにくいようなことを考えているのか、一は少し俯いて冷蔵庫を開ける。
「なんか心配事あったら言って」
「その……」
一は卵パックを抱えて開いた冷蔵庫を見つめたままだ。
「ねえー。冷蔵庫、卵入れてすぐ閉めてよ」
「父親と、縁を切りたいと思って」
オレの文句と被ったが、あんまり力強く言うもんだからちゃんと聞き取れた。一が父親を嫌ってることはわかったが、縁を切るほどなのだろうか。これからの生活を考えると不安になった。
「一さ、大学行くんだよね?学費もそうだけど、生活費とかさ、まだ実家頼ってるじゃん」
「それを悩んでる、というか……考えてる」
何か策があるのだろうか。一はやっと卵を冷蔵庫にしまって、しゃがみ込んで床に置いたレジ袋からもやしを取り出した。
「特待生で入学して、それと奨学金もらって、バイトもやればなんとかなりそうなんだ」
もやしは冷蔵庫か野菜室か、一は戸を開けたり閉めたりして迷っている。オレは野菜室を指差した。
「まあ、それでも前より生活費をかなり抑えないといけないが」
「なるほどねー」
一が最初からオレは戦力外という体で、自分だけで稼ごうという計画で話をしているのは、あまり気分が良くなかった。
オレはどうしたいんだろう。何がしたいんだろう。わからないなりに、今必要な答えを探す。
「……オレ、大学も専門学校も行く気ないからさぁ」
「うん」
「一が休んでる時に先生から就職の資料もらったんだよね」
一は一瞬目を丸くして、すぐに真剣な、少し不機嫌が伺える顔になった。一はオレが働くことを良しとしないことは予想していた。一はオレがニートだろうとなんだろうと家にずっと置いておきたいという考えなのだろうが、オレは、同い年の恋人の脛かじりになる気は全くない。今はかじってるけど。
「一はオレのこと閉じ込めておきたいかもしれないけど、オレは働くよ」
「……でも」
オレが外に働きに行くと、誰かの好意や誘いを受けて、なびく可能性がある。それを一は危惧しているんだろう。しかしその束縛を安易に受け入れてたら、オレたちは逆に壊れてしまうと思った。根拠はないが、勘とでもいうのだろうか、嫌な未来しか見えない。
何か言いたげで、しかし言葉に詰まっている一にしっかり向き直って目を合わせる。
「ねえ、不安なのはオレも一緒だよ。どこか行っちゃうかもとか、他の人を好きになるんじゃないかとか思うよね。オレも想像したら怖いもん」
一は黙って俯いた。オレは一と対等になりたい。外に働きに出て二人同じ不安を抱えたい。家に帰って顔を合わせて話をして安心して、愛を確かめたいんだ。
「一が父親と縁を切らなくてもオレは働くからね。このまま主夫って肩書きに甘んじたニートにはならない」
向こうが口を開く前に追い討ちをかける。オレが真剣なのが伝わったのか、一はわかった、と小さく言った。オレが働くと決めたことに動揺と不安を隠せない一は、えらく落ち込んでいるように見えた。
「さ、晩御飯作るね。寒いし、温かいの食べよ」
「ん、手伝うよ」
スマホのレシピサイトで、うちにあるもので作れそうな料理を探した。卵と鶏肉を買ってきていたので、親子丼でも作ろう。一に炊飯器のセットを頼んで、オレは具材を切った。
手際よく進めていくが、時折一が無言で抱きついてくる。いつもは邪魔!と言って無理やり剥がしていたが、今日ばかりはやたらと甘えてくるこの大男を軽くあしらえなかった。
オレはメンタルが弱い自覚があって、ストレスが溜まればすぐに解消するための行動を起こす。一方で一はメンタルが弱いのに平気なふりをしがちだ。いつもは頑固で自分の考えも曲げない。そんな一が今日はオレの固い意志に負けて、露骨に落ち込んでいる。もしかしたらオレの考えを曲げるための一の作戦かもしれない。曲げるつもりはないが、オレのことでこんなにしょげているのだから、少しは罪悪感がある。
オレは、一が抱きついてくるたびに頭を撫でて、「ごめんね」と何度も囁いた。一のために生きること、それは一にとって都合のいい恋人であるだけではダメなんだよ。
オレはこんなに一のことを考えているけど、一はオレのことを考えてくれているのだろうか。
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