第11話 大切から目を背き、愛を貪る
「ねぇ零~。あざ、薄くなってきたし、明日帰るね」
食後、夕飯のカレーの残り香りの中。スマホの反射を鏡に顔を眺めながら玲奈さんは言う。唐突だったため、比嘉は聞き直すが、同じことを返される。
「マジでいきなりすぎる、姉ちゃんっていっつもそう……」
比嘉は玲奈さんに文句を言い出し、玲奈さんはごめんって~と笑いながら謝っている。
どうする。玲奈さんに俺の隠し事を打ち明けるつもりでいたが、今日明日しか時間がない。比嘉に聞かれずに、玲奈さんと話す時間はあるのだろうか。あったとしてもどう話すかを考えていないし、考えたところで吹っ飛んでしまうのも目に見える。女性に対して話す時、頭脳の全てが役立たずになる自分を呪う。
「もー。まぁいいや、オレ風呂入ってくる」
比嘉は下着と、お気に入りの薄黄色のパジャマを持って、脱衣所に向かう。浴室のドアの音がして、こもったシャワーの水音が聞こえ始めた。
今しかない。覚悟した俺はぐるぐると思考を巡らして、最初の一言を探した。緊張で顔が熱くなる。
「ねぇ、一くん」
「っ、はい?」
声が裏返る。向こうから声をかけてくるとは思わなかった。
「大丈夫だった?夕方。長いことトイレにこもってたでしょ」
「あ、ああ大丈夫です。なぜか寝てました」
「あはは、そうなんだ。大丈夫ならいいけど」
いつものくしゃっとした、眩しい笑顔を向けられた。ここから真剣な話に持っていくのが怖い。しかし今話さねばどうにもならない。
「あの、玲奈さん」
「ん?なあに?」
比嘉とよく似た優しい笑顔でこちらを見ないでくれ。
「その、俺が……隠してというか、誰にも言っていないこと、きっと知ってますよね。玲奈さん。比嘉とも関わりのあった、あの」
一瞬きょとんとした顔をした玲奈さん。言いたいことを理解したのか、真面目な顔になり少し身を乗り出して俺を見つめる。
「……関戸修一って人のこと?」
久々に名前を聞いて、顔を思い出して、死にたい気持ちになった。
吐き気がする。俺は思い出したくもない過去を俯いて震えながら、やけくそで全て語った。途中の記憶は飛んで、その後も朦朧としていたが、最後に振り絞ってお願いをする。
「玲奈さん、このこと比嘉には言わないでください」
「どうして?」
「まだ覚悟ができなくて。比嘉を信じてないわけじゃないんです。でも離れていってしまうかもしれないって、不安で仕方ないんです」
「う~ん、わかった。でも絶対にいつか自分の口で言うんだよ。その時は来ると思うから。あの子も一くんのことを知りたがってる」
「……約束します」
俺は怠くなった体を引きずって、ベッドに潜り込んだ。比嘉の匂いと俺の匂いが混ざった柔らかい毛布が眠りに誘う。寝ぼけた頭で比嘉のことを考える。ふにゃふにゃした笑顔、簡単に折れてしまいそうな細い体、手首にびっしりとある自傷の痕。誰にでも優しい態度、自分から愛情表現するのが下手くそ、でも求めたら一生懸命答えてくれるところ。全てが愛おしく、同時に憎い。俺が比嘉のことを縛り離さないように、比嘉だって俺のことを縛り付けてくれてもいいのに。
「あれ、一寝ちゃったの、お風呂は?」
「やっぱり具合戻らないみたい」
「そっか~……」
比嘉が風呂から上がって玲奈さんと会話をしている声が聞こえる。それをぼんやりと聞きながら、俺は眠りに落ちた。
掛け布団が軽く引っ張られる感覚で目を覚ますと、比嘉が隣で目を擦りながら上半身を起こしていた。時刻は7時を指している。
「んあ、起こしちゃった?ごめん」
「いや、もっと早く起きるつもりだったんだが」
「体調悪いんでしょ、たくさん寝なよ」
比嘉は微笑んで、まだ横になっている俺に被さり、額にキスをした。柔らかい唇が触れる感覚で、意識がはっきりしてくる。
「ご飯食べたら姉ちゃん送りに行くけど、付いてくる?」
「行く」
「ふふ、オッケー」
肩のあたりををぽんぽんとあやすように軽く叩いて、比嘉はベッドを出て台所へ消えていく。昨日の件でどっと疲れて何も考えられない俺は、朝ご飯ができるまでぼーっと天井を見ていた。
「あっ!あの車だよ、おーい!」
「ちょっと姉ちゃん、あんまり目立たないで!」
最寄駅に玲奈さんの友人が車で来てくれるからと、比嘉と俺で見送りをしに来た。玲奈さんは申し訳ないからいらないと言ったが、比嘉が心配だからと押し切った。朝の空気がいつにも増して澄んでいるように感じた。
「ゆいちゃん!ありがとう来てくれて」
玲奈さんが車に駆け寄ると、ご友人は窓を開けて顔を覗かせた。
「も~心配したよ、大丈夫?」
「平気よ~。あ、この子達、弟とその彼氏」
いきなり紹介され、緊張する俺と比嘉。
「あっ、こんにちは。姉がお世話になります……」
比嘉が挨拶して、お辞儀をするのと同時に、俺も会釈をした。
「わ~いいこたちだ!アンタと大違いね」
「ちょっと!ひどいな~」
玲奈さんはいつの間にか後部座席に座っている。他愛のない話をペラペラ話す玲奈さんたち。比嘉が何だかそわそわしていたが、窓から後部座席にぐっと顔を乗り出す。
「姉ちゃん!あの、元気でね。気をつけて」
「ありがと、零。心配かけてほんとにごめんね」
そっと車から離れた比嘉の後ろ姿は、ひどく悲しそうに縮こまっていた。そろそろ行くよ、と車が走り出す。玲奈さんは身を乗り出して比嘉の頭から頬を一瞬撫でて、離れる。
「零!幸せになってね!!」
玲奈さんは朝の日差しでエメラルドに光る髪をなびかせ、大きく手を振っていた。
車が遠く見えなくなるまで棒立ちで見送り、ひとつため息をつくと、比嘉は顔を手で覆って泣き出した。そんなに別れるのが寂しかったのだろうか、複雑な気持ちで俺は優しく比嘉の背中を撫でた。
「比嘉、大丈夫か。そんな、今生の別れじゃないだろ」
「ううん、もう会わないの」
「?どういうことだ」
「……オレ、姉ちゃんに、もう頼らないでってお願いしたの、連絡も取らないことにした。一がつらそうなの見たくないし、だから」
比嘉は肩を震わせてしくしくと泣き続ける。俺は落ち着かせるために背中をさすりながら、疑問に思ったことを口に出す。
「玲奈さんと今までずっと仲良しだったお前がそれだけで切り離すと思えないんだが」
「そんなこと……う~ん。一にはなんでもお見通しだね……」
少し落ち着いたのか、長い前髪の隙間から、困ったような笑顔が見えた。
「一、昨日トイレで寝ちゃう前に姉ちゃんと話してたでしょ。なに話してるかは聞きそびれたんだけど」
「ああ、話してたな」
「それで……えっと、あのね。オレ、姉ちゃんにも嫉妬しちゃったの。自分でもわかんないんだけど、姉ちゃんと話してる一を見たくないっていうか。姉ちゃんに、一を取らないで!って思っちゃって」
俺は少々早口な比嘉の話に相槌を打つ。
「姉ちゃんと話してるのとか、姉ちゃんの存在で体調悪くなるの見てても、なんか全部許せなくなってきちゃってさ……姉ちゃんと関係を切るのを選んじゃった。最低なのはわかってるんだけど、オレは一の方が大事だって思ったんだ」
俺は、安堵と喜びで満ちていた。比嘉は、ずっと仲のいい姉より、俺を選んでくれたのだ。
「あは、こんなこと言わないでおこうと思ってたのにな」
「……」
日差しが強くなって足元に影が伸びる。比嘉は突っ立ったまま俯いている。俺はそれを見つめて、何も言えないままでいた。
「一は重いのが好きなんだろうなって、わかってるんだけど。どんどん愛や言動が重くなったら、ウザがられるんじゃないかって。心のどこかで思っちゃうの……」
玲奈さんに聞いた、比嘉の元彼の話を思い出した。重くて振られたことが傷となって、俺との隙間を大きくしている。比嘉の心はまだ、俺に塗り替えられていないんだと思うと、悔しくて仕方がない。自然と体が動いて、比嘉を抱きしめていた。
「比嘉、俺は一生、比嘉を俺の元に縛り続けたいと思っているし、比嘉にも俺を縛って欲しい。絡まって離れられなくなりたい」
「あはは。なにそれ、なんか恥ずかしい。そんなこと思うんだね、一も」
「それは……比嘉のことになれば、恥ずかしいことだって考える。愛してるんだ」
比嘉が俺の胸の中で一瞬震えた。笑ったのか。
「ありがとね、オレもだよ」
抱きしめあって顔は見えないが、笑ったのではなく、すすり泣いているのがわかった。
比嘉は愛してると直接言うことは少ない。それでも、同じ気持ちだとわかれば、俺は満足だ。たとえはぐらかされても、そばにいるのが重要だ。
「……ね、帰ろ。もう学校遅刻だし、諦めて家でセックスしよ」
比嘉の体が俺から離れて、手を繋いで俺を引っぱって歩く。性に対してあけすけなのに、比嘉は雰囲気作りがうまい。ピンクのポニーテールが揺れてちらちらと見えるうなじと、少し汗ばんだ柔らかい手のひらの感触は、俺の心臓を激しく波打たせた。
家に帰る頃には、2人は今までの全てを忘れて、互いに愛を求める化け物になる。
この鬱屈を乗り切るには、そうするしか逃げ道はなかった。
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