第4話 狭いベッドの幸福
日がほとんど落ちた静かな暗闇の中を、言葉を交わさずに2人歩く。握った手はじんわりと温かく、湿り気すらも心地よく感じた。
「ついたよ」
渋谷から数駅副都心線に乗り、数分歩いたところの小さなアパートに一の部屋はあった。高校生が都心の駅近で一人暮らしができるのは、親が金持ちで、ちょうど良い放任主義なんだろう。そんな家庭があるのか甚だ疑問だが。
「お邪魔しまーす?あ、ただいまか?」
「まだお邪魔しますかもな、明日は荷物まとめに行くんだろ」
「そだね、多分段ボールに詰めて送りつけるから、後で住所メモでちょうだい」
「了解」
靴を脱いでさらりと滑らかな床を踏みしめる。入ってすぐ横にキッチン、反対に風呂やトイレのドアが見えた。玄関から真っ直ぐ奥が一の部屋、生活感がない整った部屋に踏み入る。明日からここで一と共に生活すると思うと、色々な想像、妄想が膨らんで、なんだか恥ずかしくなった。
今日も泊まるから、実質今日から生活が始まるんだ。嬉しいような、緊張するような。
「比嘉、先に風呂入ったら?」
「へぁ!?あ、お先いただきます」
奇声を上げた上ぎこちない返事になってしまい、一は拍子の抜けた顔をしている。そして即座に理解した。
「もしかして緊張してる?」
「えっ、まあ……オレのこと好きな人の部屋に上がるの初めて、だし」
「はは、なんだそれ。意外と純情なんだな、比嘉は」
表情がほぼ動かないから、一の笑いは、呆れた笑いにも聞き取れてしまうが、これはたしかに微笑ましさを感じている笑いだった。
「そ、そんなことはないけど……風呂、入ってくるね」
「入っておいで」
「あがったよ~」
「結構長かったな、髪の毛が時間かかるのか」
「えっ?うん、そうそう」
言えない。そういうことがあるかもしれないと思って、下の準備をしていたとは、流石に言えない。いやらしい期待をしている自分を嫌悪した。
「じゃあ、俺入ってくる」
一が風呂に入って、一の部屋に1人になったオレは、緊張で固まっていた。ベッドのシーツや洗濯物の匂いがかすかに香り、シャワーの音が小さく聞こえて、さらに心拍数を上げる。
「いや……これ頭おかしくなる!オレのこと好きな人ってだけでこんなに……」
オレはローテーブルの脇に置いてあるクッションに座り、目を泳がせる。落ち着かない。
「ね、寝てようかな……」
よろけながらベッドに潜り込むと、一の爽やかながら男らしい匂いがオレを包む。強く目を閉じても、鼓動の暴走はおさまらず、どうしようもないので何も考えないように心がける。まもなく、一が風呂場から出てきた音がする。
「あれ、比嘉。寝たのか?」
「……」
起きてるけど、恥ずかしすぎるので壁側を向いて寝たふりをしてしまう。鼓動がさらに速くなる。
「……比嘉」
ベッドのバネがしなる音。一が顔を覗き込んできた気配を感じた。少しの沈黙の後、頬に柔らかく、少し湿った感覚を感じた。ちゅ、と音がして、頬にキスをされたことに気付く。
「寝たならしょうがないな……おやすみ、また明日」
一は耳元で囁いて、ベッドから離れる。まだ寝ないのだろうか。オレは罪悪感を感じた。きっとまだ話したいことがあったりしたかもしれない。オレが期待していたことを一も期待していたかもしれない。ベッドでうずくまる意気地なしな自分を呪った。根っこがネガティブだから、自己嫌悪に陥ると延々と悪いことを考えてしまう。
閉じた瞳から涙が溢れそうになる。その時、布団がそっとめくられて、一が入ってきた。ゆっくりと首と腰に手を回して、オレを優しく抱きしめる。
「……」
耳の後ろに吐息がかかる。
「……比嘉。寝てるから言えるけど、かなり前から比嘉のこと好きだった。脅してまで欲しかったんだ。……それでも受け入れてくれてありがとう、愛してる」
耳元で熱く囁かれ、オレは我慢ならず寝返りをうつ。
「っ……!一お前寝たふり気づいてただろ……!」
「おっと、バレてることがバレたか」
「クソー、全部お見通しで、悔しい」
「そんなことはない、俺だって基本わかりやすくても、わからないところはたくさんある」
「わかりやすいのかオレ」
「すこしね、比嘉について知らないことを知りたいから、これから教えてほしい」
一は、オレの顔にかかった長い前髪をかき分けながら、愛おしそうな目をして言う。
「比嘉の髪の毛、暗いと紫色に見えるな」
「え、そお?ピンクも紫も好きだからいいけど」
他愛もない話で笑いあって、2人は目線を合わせる。暗く静かな部屋で、聞こえるのはお互いの息遣いと鼓動。
「……寝ようか」
「ん、そうだな」
オレは、顔を寄せて、一の唇にキスをした。
「んっ……」
ちゅ、と音を立てて唇を離す。
「へへ、さっきのお返し」
オレは得意げに笑う。
「可愛すぎだ……」
「ふふっ。おやすみ、一」
「おやすみ。比嘉」
狭いベッドで抱き合って眠る。2人はただただ幸せで、これまでになく満たされていた。
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