第40話 二つの依頼
ゲレイロが
「誰かいたのか」
「それはあなたに関係あることかい」
媚びない霊の態度を、ゲレイロは気に入ったように微笑した。しかし、テーブルの上に無造作に投げ出されている銃を見て、
「こいつを片づけてくれ。話をする気にならん」
低く響く声で言った。霊はソファから立ち上がり、銃を手に取って懐にしまった。
「それじゃ、続きを」
「さっきも言ったが、殺してほしい女がいる。名前はミクル。この近くの酒場で働いている若い女だ」
霊だけに聞こえる声量で、「ほらね」とソファの裏からミクルが囁いた。
「どんな女だ」
霊は何食わぬ顔をして尋ねた。
「短い金髪の――どこにでもいるような奴だ」
「どこにでもいるような女を、ギャングの親玉がなぜ狙う」
「……それをお前に言う必要があるのか」
ゲレイロは、刺すような視線を霊に向けた。
「俺はこれから、人ひとりの人生をなかったことにするかもしれないんだ。黙って話せ」
霊は全くひるまずに、ゲレイロを睨み返した。二人はしばらくお互いを見合っていたが、やがてゲレイロがゆっくりと口を開いた。
「あの女は、うちの組織の重要な秘密を知った。だから消す」
「と、まあそういうことだ。残念だ」
ゲレイロたちが事務所を立ち去り、車の音が十分に遠ざかってから、ミクルはソファから顔を出した。そして、唐突に謝罪する霊に対し、怯えた顔つきで詰め寄った。
「……残念?ちょっと待って、それってどういうこと」
「あの男が提示してきた金額は、あんたの十倍以上だったよ」
悪びれる様子もなく言いのける彼に、ミクルは血相変えて掴みかかった。
「何言ってんの!あんた、マジで私を殺すつもり?!冗談じゃないわ‼」
頭をがくがく揺らせながら、霊は困り顔だった。
「おい、落ち着け」
目に涙を浮かべるミクルを、彼はなだめた。そんな霊を彼女は突き飛ばし、顔じゅうに絶望をあらわにして椅子にもたれた。
「殺し屋にも、ルールはある」
ソファに倒れ込んだ霊は、むくりと起き上がって言った。
「俺たちは基本的に、先に来た客の依頼を優先する」
それを聞いて、ミクルはゆっくりと顔を上げた。
「今回の場合は、敵対する依頼人同士が顧客。そういう時は、先に依頼に来たあんたの頼みを先に聞く決まりだ」
「じゃあ……!」
彼女は胸の前でぎゅっと手を合わせた。
「――とはいえ、ルールがあれば例外も存在する」
「最低!この人でなし!……あ、人殺し!」
ミクルはぎゃーぎゃーと騒ぎ立てた。
「おい、落ち着け」
霊は、コーヒーカップを手に振りかぶるミクルをなだめた。
「あの男が言っていたが、あんた、奴らのとんでもない秘密を握ってるんだろ。それを聞かせてくれ」
「知らないわよ、そんなの。あの男のでたらめでしょ」
彼女はそっぽを向いてしまった。
「理由もなく殺すのだっておかしいだろ」
「……あの男、私に言い寄ってきたの。『俺の女になれ』とかなんとか、って。ほんと、気色悪い。あんなやつ、ちっぽけな権力と暴力に溺れた、ただの小太りのおやじよ。だからはっきり断ったわ。『絶対無理』って」
ミクルはそう言ってふんぞり返った。なるほど、と霊は腑に落ちた。殺しの依頼は、痴情のもつれが原因のものが意外なほど多い。特に、プライドの高い権力者は、自分の思い通りにいかない相手を簡単に殺そうとする。それも、自分の手を汚さない方法で。
しかし、政治家などの権力者ならまだしも、ギャングの親玉ならば、わざわざ殺し屋に依頼せずとも、自分の部下に命令すればそれで済む話ではないのか。霊は首を捻った。
「どうしたの」
黙りこくっている霊を見て、ミクルは尋ねた。霊はふと顔を上げて、彼女のことをじっと見た。どうやら、彼が抱いた疑問の答えは、彼女の姿にあるようだ。
ミクルは、おそろしく美しい女だった。瞳が大きく、鼻は小さくすっと伸び、口元は愛らしい。整った顔の輪郭と、しなやかに伸びる長い手足。そっけない黒のワンピースも、彼女が着れば素晴らしい洋服に見違えてしまう。
もし、彼女のような美女が、ギャングの首領に殺されそうだと知ったら。それを聞いた組織の若い男は、ミクルの命を助けようとするかもしれない。傾国の美女、という言葉もあるくらいだ。彼女をめぐって、ゲレイロの組織が崩壊する未来が、はっきりと見えた。おそらくゲレイロはそういった事態を危惧して、殺し屋にミクルの始末を依頼したのだ。大きな集団をまとめる人間は違うな、と霊はひとり感心した。
しかし。
街一番のギャング集団のボスを殺せば、霊自身の身が危うい。かといって、彼がミクルを殺したとしても、彼女に想いを寄せていたギャングが、愛しい女を消した殺し屋の名前を聞きつけて、命を狙おうとする可能性もあった。ミクルの美貌を目の前にして、その考えは確信に変わった。
前も後ろも、進む先は地獄。
霊は頭を抱えた。
「えっと、あなたレイっていうんだっけ。ねえ、悪いけど、私をここに泊めてくれない?」
「……は?何で」
「だって、私の家の周りはギャングが見張ってるんだもの。見つかったら殺されちゃうわ。だからお願い!ここなら安全のはず」
ミクルは前のめりになって、顔の前で手を合わせた。
「あのな。この家だって、別に安全じゃないぞ。殺し屋なんて、いつどこでだれから命を狙われてるかわからないような仕事なんだ」
「そいつらが狙ってるのは、あなたでしょ。敵が来たら、私は関係ないですって言うもん」
口の減らない彼女に、レイはため息をついた。とはいえ、ミクルからすれば自分の生命の危機なのだから、そうやって必死になるのも当然だった。
「……仕方ないな」
レイは、とても仕方なそうに口を開いた。
「え、ほんと?やったー!」
ミクルはぴょんぴょん跳ねて小躍りした。
「言っておくが、この家にベッドはない。このソファは、俺が寝るために使う。だから、お前はそこで寝ろ」
そう言って、レイはテーブルの向こうの床を指差した。ミクルはそちらを見てから彼の方に顔を戻して、
「枕は?マットレスは?毛布はないの?」
「ない」
「ねえ。それじゃあ体中がちがちに凝っちゃうじゃないの」
「じゃあ外で寝るか?」
情け容赦ないレイの態度に、ミクルはしょんぼりと肩を落とした。
レイは明かりを消して、ソファに横になった。ミクルは言われた通り、床の上に寝転がった。まもなくうとうとし始めたレイの向こうで、ミクルは四苦八苦しながら、最も寝やすい姿勢を模索していた。いつまでもがさがさ動き回る彼女を見て、レイはやはり仕方なさそうに、自分の上着を彼女に投げた。ジャケットはひらひらと宙を舞い、ミクルの上に覆いかぶさった。「うわっ」と短い悲鳴を上げた彼女は、落下物のやわらかい手触りを確認すると、それをくるんで枕にした。それから、部屋の中が静かになった。先にレイが夢に落ち、ほどなくしてミクルも眠った。
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