第37話 脱出

 レイの収監は秘密裏に行われた。警察内部でも、それを知る者はごく少数だった。彼は、それまでエリオットが収容されていた檻に、入れ替わりでつながれた。

 エリオットの容疑を裏付ける証拠は既に揃っていたが、真犯人として名乗り出てきた殺し屋を、放っておくわけにもいかなかった。

 もちろん、エリオットを留置所から出してしまうのは、警察にとって不本意だった。しかし、瀬名一族の長男を目の前にした警察署長が、すっかり縮み上がってしまったのだ。瀬名の末っ子を牢に入れ、いい気になっていた彼のもとに、一番敵に回したくない男が、真昼間の署内へ乗り込んできたのだ。しかも、を手土産に。頭の固い署長でも、瀬名が暗に示していることがすぐに理解できた。それが、ウォッチャーの解放の要求を意味していることを。目の前で圧倒的な威圧感を放つ瀬名を相手に、強気の交渉は不可能だった。署長は、ウォッチャーの出所を、条件付きで認めた。

 とはいえ、どんな言い訳を用意したところで、殺し屋との取引に警察が応じたなんて事実が世間に知れれば、猛非難を浴びるのは目に見えていた。仮に、瀬名が連れてきた男が、事件現場に居合わせた別の殺し屋だとしても、ウォッチャーとレオネル・エラルドの結びつきを示す多くの証拠が出揃っている以上、ウォッチャーの釈放に納得する者が、一体どれだけいるというのか。新聞各社も、これまでの調査経緯を、既に大々的に報道してしまっているのだ。いまさら市民を納得させる手段など、全く思い浮かばなかった。

 解決策が見えてこない現状を鑑みて、ウォッチャー解放の件は伏せておくべきだと、警察署署長含めた警察上層部は判断した。エリオットの出所と並行し、レイの投獄は夜の闇に紛れて行われた。




 ウォッチャーことエリオット・瀬名には、厳重な監視態勢が敷かれた。留置所から数キロ離れた、中央区画に建つアパートの一室。警察関係者のための宿舎施設であるそのアパートの空いていた部屋に、彼は閉じ込められた。外部との接触は当然遮断され、部屋の出入り口、アパート周辺を常時五名の警備員が巡回していた。部屋に食事を運ぶ際は、配膳担当者の後ろで扉の隙間めがけて銃を構える警備員が二人ついて行った。警察署長直々考案の、満を持した監視態勢だった。ウォッチャー収容を完了した次の日の夜、アパートを監視する警官から異常なしとの報告を受けた署長は、安心して床に就いた。部屋の天井に穴を開け、上の階の窓から脱出し、悠々とアパートを去っていくウォッチャーに気づく者は、誰もいなかった。

 彼は寝静まった夜の街を駆け抜け、留置所へとまっすぐ向かった。レイに半殺しにされた肉体は疼き、彼に対する殺意を駆り立てた。瀬名涼子から殺しの遺伝子を色濃く受け継いだ彼の、本能とも言うべき殺人衝動が唸りを上げていた。ウォッチャーは留置所に到着すると、その屋上に軽々とよじ登り、建物内部へと潜り込んだ。

 夜間の留置所は、巡回する警官も少なく、警備が手薄だった。彼は、順調に下へ下へと降りていき、あっという間に地下牢へと辿り着いた。地下は、ホテルの廊下のように伸びる壁の両側に、扉が並んでいた。ただ、壁は石造りで、階層全体がかび臭く、宿泊のために整備されているホテルとはまるで反対の、暗く陰鬱な光景だった。

 レイやエラルドはじめ、重要な容疑者が捕らえられている階層ということもあり、地下の警備は厳重だった。常に二人一組で巡回を行う警備員が何組も配置されていた。しかし、ウォッチャーは警備の目を巧みに潜り抜け、一番奥に位置する管理室の扉を開いた。中にいた警官が彼の存在に気づく前に、あっという間に首を絞め落とした。床に転がる彼の装備を奪い、非常用ベルを押す。すると、地下牢全体に警報が響きわたった。警備員たちは次々と階段を上っていった。地下の廊下から、人影が消えた。ウォッチャーは管理室から悠々と顔を出し、昨日まで自分が閉じ込められていた牢屋の前に軽やかな足取りで向かった。

 彼は、鉄格子でできた扉の前に立った。その奥には、手錠をはめられ、力なく床に座っている男がいた。エラルド邸にて、致命傷を負った状態にも拘わらず、ウォッチャーが放った銃弾をかいくぐり、彼の側頭部に上段蹴りを直撃させたあと、馬乗りになり、相手が意識を失うまで全身を殴り続けた、狂気の殺し屋――ゴーストだった。

 ウォッチャーは、自由を奪われた状態のレイを見て、舌なめずりをした。管理室からくすねた鍵を挿しこみ、無邪気な笑顔を浮かべて鉄の扉を開いた。目をつぶったレイは、下を向いたまま動かない。

 さて、どういう風に殺してやろうかな。エリオットはにやにやしながら、頭を働かせてみた。とりあえず、顔を思い切り殴ってやる。次に腹も殴って、脚も殴って、そして――とにかくボコボコにしてやる。

 彼は指の関節をぽきぽきと鳴らした。レイの顔を持ち上げ、拳を撃ち込むポイントを見定める。右眼のあたりかな。それとも顎の下……。

「すみません。ちょっとどいてもらっていいですか」

 背後から突然発せられたその声に、ウォッチャーは驚いて咄嗟に振り向いた。素早く銃を手に取ったが、彼のにめり込んだ拳が、銃を握る右手から握力を奪った。体を負傷していた彼は、その一撃で気を失い、前のめりになって倒れた。倒れてくる彼を、Qはひらりとかわし、眠ったままのレイの頬を軽く叩いた。

「師匠、起きてください。出発の時間ですよ」



 

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