第34話 そういう女

 レイは、テーブルに置かれた瀬名涼子の写真を見た。ひどく冷たい表情をしていて、まるでこちらを睨んでいるかのようだった。

「写真の中の彼女と、話をしていたっていうんだね」

「そうだ」

 アーヤムは部屋の中をうろついていた。どこか落ち着かない様子だった。

「それにしても、写真の中の彼女は、ずいぶん機嫌が悪そうだ。これじゃ、せっかく写真を見ていても、あまりいい気分にはならないんじゃないかい」

「母がいつも俺に向けていた視線と変わりない。だから問題ない」

 アーヤムがぽつりと呟いた。さみしいこと言うね、とレイはおどけてみせたが、アーヤムは彼を無視した。

「もし、この写真を破ったり、燃やすような奴がいたら――」

 と、レイが言い終わらぬうちに、アーヤムは手榴弾のピンに手をかけた。全身に殺意がみなぎっていた。「冗談だよ」とレイは必死に弁明した。

「……あれ」

 レイは、写真が二枚重なっていることに気がついた。縛り上げられたままの手を器用に使って、上になっている瀬名涼子の写真をはがした。その下には、満面の笑顔でポーズをとっているシエロの写真があった。

「妹さんの写真が下敷きになっていたよ」

「……ああ、一緒にしまっておいたからな」

 アーヤムがちらりと写真の方を見た。殺気に満ちていた彼の目元が、少しおだやかになった気がした。

「彼女がくれたのかい」

「そうだ」

「こんなに笑顔で写ってる人は、あまり見たことがないなあ」

「そうか」

「見ていると、何だかやさしい気持ちになれる気がするよ」

 そう言ってレイがにっこり笑った。思わぬ彼の表情に、アーヤムは意表を突かれたようだった。

「シエロが、いつも俺に向けてくれている顔だ」

「君のことを、とても大切に思っているみたいだ」

 そう言われて、アーヤムはぱっと背を向けた。

「君は、母親の思い出を大事にしているようだけど、妹さんのことは、どう思ってるんだい。同じように、大切にしているかい」

「体を縄で縛られているくせに、説教でも垂れる気か」

 アーヤムの声色に、かすかな揺らぎが生まれていた。レイの眼が、赤い輝きを増していた。

「君はなぜ殺し屋になったんだい」

「……さっきから何が言いたい」

「君の母親が、殺し屋だったからかい」

 アーヤムは口をつぐんだ。彼は椅子に戻ると、短くため息をついた。

「……俺は瀬名一族の長男だ。母は俺に殺しの技術を教えようとした。俺は、うれしかった。いつも冷たい母からの愛情を感じることができたからな」

「君に冷たく当たる理由は何だい」

「さあな。母にとって、俺は望まぬ子どもだったのかもしれない。父も行方知れずだ。シエロもエリオットも同じだ。俺たちは皆、別々の父を持つ。でも、自分の父を見たことがあるやつはいない。俺たちは、自分の父の顔も知らない。瀬名涼子はそういう女だった。そんな女でも、親は親だ。俺はうれしかった。母にかまってもらえたことが」

 アーヤムは、また黙ってしまった。

「君は、それを愛だと思っているのかい」

 レイは――怒っていた。

「君は、自分の大切な人に、殺し屋になってほしいなんて思うのかい」

「さっき言っただろう。瀬名涼子は、そういう女なんだと」

「そうだったね。君の母親は、自分の息子を、殺しの道具の一つとでも考えるような女だったんだろう」

「言葉を選べ、ゴースト

 アーヤムはレイを睨んだ。感情らしい感情を、彼が初めて見せた。

「妹に『話してみて』と言われたから、俺はお前と話してやっているんだ。お前がエリオット釈放の交換材料じゃなければ、とっくに殺している」

「妹か。そう、君の妹はどうだ。『殺し屋なんてやめてくれ』と、彼女に言われたことがあるはずだ」

「もう黙れ――そろそろ出発の時間だ。部下が迎えに来る」

 アーヤムは席から立ち上がり、部屋を出て行こうとした。レイは、彼を逃がす気などなかった。彼の赤い瞳がアーヤムを捉えた。

「それは、君の妹が、君のことを大切に思っているからだ。家族が殺し屋だなんて、そんなの誰だって望まないはずだ。君だって、彼女を殺し屋の道に引きずり込もうなんて思わないだろう。それは君が、彼女を大切にしているからだ。それが普通なんだ。殺し屋だって、普通の人間だ。仕事なんて――自分のやりたい仕事をやっている人間なんて、この世界にほんの一握りだ。ほとんどの人が、自分の望まないことをして生きているんだ。君だってそうじゃないか。君は、殺し屋になることを、選ばざるをえなかったんじゃないか。親のくだらないエゴのせいで。自分の子どもの人生のこともろくに考えない、そういう女のせいで」

「だまれ!」

 アーヤムが叫んで、扉を思い切り殴った。興奮で、息が荒くなっていた。彼は振り返り、テーブルの上の写真を乱暴に掴んで、ポケットに押しこんだ。

 部屋に、瀬名の部下の男たちが入ってきて、レイの頭に袋をかぶせた。彼はじたばた動いて抵抗をみせたが、その甲斐もなく二人がかりで持ち上げられ、運ばれていった。アーヤムは、テーブルの前から動けなかった。




 Qとイーグルは、港の側の市場に来た。メモに書かれていた住所は、ここの中心から少し外れた番地の建物だった。二人は、人の波をかき分けて前身した。目的の建物は、廃墟となった二階建ての店舗跡だった。二人の十メートルほど先に、目的地が見えてきた。建物の前に、数台の馬車が止まっていた。嫌な予感がした。

「イーグル、あれ!」

 離れて歩くイーグルに、Qは叫んだ。建物の入り口から、頭に袋を被せられた人が、男たちに連れられて出てきたのだ。男たちの姿には見覚えがあった。間違いなく、瀬名の手下たちだった。

 Qとイーグルは必死に先へ先へと急いだ。しかし、休日の市場は活気と人に溢れていて、思うように進めなかった。二人が足止めを食っているうちに、男たちは馬車に乗り込み、そのまま走り去ってしまった。

 イーグルは、近くに停まっていた馬車を見つけると、わき目も振らずに乗り込んだ。「前の馬車を追ってくれ!」と馭者に怒鳴りつけた。彼のあまりの剣幕に、馭者は黙って馬に鞭を打った。馬車の扉を開け、イーグルが差し出す手に、Qは掴まった。

「全速力で飛ばしてくれ」

 Qを中に押しこんだイーグルは、扉を閉めながら言った。馭者は言われた通り、馬に追加の鞭を入れた。道行く人は、勢いよく走る馬車を見て、道の脇に逃げた。人の海が割れていき、馬車はその間を駆け抜けていった。

 馬の全力疾走の甲斐あり、二人は前を走る瀬名の馬車との距離を詰めていった。「いいぞ」とイーグルは小さく呟いた。腰に下げた銃を、強く握りしめていた。徐々に、徐々に、差が縮まっていく。両者は市場を抜け、港へ差し掛かった。

 すると、前を走る馬車の内一台の扉が突然開いた。中に乗る男がうしろ向きに顔を出し、銃を構えた。

「おいおいおい、まずいぞ」

 イーグルがそう言うのも束の間、乾いた音と共に銃口から煙が上がった。Qとイーグルが乗る馬車が走る道路の石畳が弾け飛んだ。

「ひいい!」

 怯える馭者を、イーグルは脅した。

「止まったらお前を撃つ」

 車内についている窓から、イーグルは馭者の後頭部に銃口を押し付けた。馭者の男は奇妙な悲鳴を上げながら、手綱をぎゅっと握りしめた。

 しかし、敵が再度発砲すると、弾は馬車の車輪に命中した。車輪のパーツが壊れて、回転が鈍くなる。馬は車体を引きずるように走り続けたが、やがて足を止めてしまった。

 Qとイーグルは中から飛び出し、どんどん離れていく瀬名の馬車を目で追った。彼らは停泊していた船のそばに乗り付けて、船に乗りこんでいった。Qとイーグルが、船が泊まる場所に辿りついた頃、船は既に汽笛を鳴らして出航していた。またしても二人は何もできずに、目の前で連れ去られたレイを、ただ見ていることしかできなかった。

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