第33話 瀬名涼子

 レイは地下室から連れ出された。目隠しをされたまま階段を昇り、いくつかの扉をくぐると、椅子の上に押さえつけられた。手荒く目隠しが外されると、視界が明るくなった。眩しい部屋の中に、大きな長方形のテーブルを挟んで、十字架の眼帯をつけた男が向かいに座っていた。レイのそばにいた男たちが部屋を出ていき、扉が閉められた。レイは、眼帯の男と二人きりになった。

「どうも」

 レイはにこやかに挨拶した。相対する男は無言だった。

「瀬名一族長男、アーヤム・瀬名だね。僕はレイ、殺し屋をやっている」

 アーヤムは、視線はレイに向けていたが――彼を認識しているのかしていないのか判断しかねる、虚ろな眼つきをしていた。

「さんざん君に痛めつけられて、途方に暮れていたところだ。まあ、君の弟を病院送りにした僕が、実刑判決を確定させたようなものだ、恨まれても仕方ない。そういう商売だしね。でもひとまず謝るよ。それで、君はこれから僕をどうするつもりなんだい。お得意の手榴弾で、跡形もなく吹き飛ばしてしまうのかい」

 レイは飄々と語りかけたが、アーヤムはまばたき一つしなかった。彼は、視線の先にいるレイの後ろの壁の、さらにその先まで見通しているかのように思えた。

「君の妹に会ったよ」

 その言葉に、アーヤムの眼の焦点が、初めてレイに当たった。

「君は母親をとても愛しているらしいね。妹さんが愚痴をこぼしていたよ。私はいつも後回しだ、ってね」

「……そうか」

 アーヤムは表情を変えずに言った。

「あの子は、君のことが相当好きみたいだね。君はどうなんだい」

「何がだ」

「彼女を愛しているのかい」

「あいつは妹だ。家族のことは、大切にしているつもりだ」

「ふーん、なるほど。でも――母親ほどではない、ということかな」

 無表情なアーヤムの鼻の穴が、少しひくついた。

「……何が言いたい」

「彼女の話によると、君が僕を執拗に追いかけ回していたのは、どうやら、傷つけられた身内に対する、君自身の愛情からではないらしいね」

 アーヤムは額に手を当てて、「シエロ……」と参った様子で呟いた。

「エリオット・瀬名は、君たちの母親にずいぶん大切にされているんだろう」

「……あいつは殺しの筋がよかったからな。母はよろこんで、あいつに自分の経験や技術を叩きこんだ」

「君はそうではなかったのかい」

 レイの問いに、アーヤムは黙った。レイから目を逸らし、テーブルに肘をついて指でテーブルを叩き始めた。

「……お前は海の向こうに送り返す。弟が裁判にかけられる前に、事件の真犯人として名乗り出て、罪を被ってもらう」

 ウォッチャー――エリオット・瀬名の代わりに、クロネ・エルフリートの殺人をレオネル・エラルドと共謀した者として、刑務所に入る。それが瀬名一族が考えた復讐だった。レイは、なんだか拍子抜けした。

「なんというか、意外だよ。もっとひどい目に遭わされるのかと思ってた」

 そもそも、クロネの命を狙っていたのは、レイも同じだった。

「弟を助け出すことが優先だ」

「それが、君の母親が考えた計画かい」

「……母と、俺とだ」

 アーヤムは再びレイを見た。彼の瞳に、人殺し特有のぎらつきが宿っていた。

「君の母親がここにいると聞いたんだけど、会わせてもらえないかな。彼女を説得するのは、君を説得する以上に大変かもしれないけど……。できれば僕も、牢屋には入りたくないからね」

「いいだろう」

 そう言ってアーヤムは椅子から立ち上がった。テーブルの縁をなぞるように歩いて、レイの前に立った。彼はポケットから一枚の紙を取り出して、レイの前に置いた。

「……これは?」

 置かれたのは写真だった。着物を着た黒髪の女が写っていた。

「母だ」

「ええと、それはどういうことだい」

「会いたいと言っただろう。だから会わせてやった」

「君はさっき、母親と一緒に計画を考えた、そう言ってたよね」

「ああ。話して決めた」

「写真に写った彼女と?」

「そうだ」

 アーヤムは平然とした顔で言った。

「これが母だ。彼女は常に、ここにいる」




「お母さんはね、死んじゃったの。三年……四年前だったかな。あれ、忘れちゃった。てへ」

 シエロは舌を出してみせた。彼女は例の喫茶店の、窓際の席に座っていた。

「お兄ちゃんは、あの人に全然かまってもらえなかったみたい。だから、殺し屋になって、もっとあの人のそばにいたかったんじゃないかなあ。でも、お兄ちゃんはエリオットみたいに要領がよくないの。不器用な自分が使えるのは手榴弾くらいしかない、そうお兄ちゃんは言ってた。お母さんは、お兄ちゃんを見放したのよ。だって、瀬名涼子は有名な殺し屋だもの。そんな自分の子どもが、武器もまともに扱えないなんて、いい気分じゃなかったんでしょうね。

 お兄ちゃんは、愛に飢えていたわ。小さかった私でもわかるくらいに。でも、お母さんは死んじゃった。それからお兄ちゃんは、お母さんの写真を肌身離さず持つようになった。それだけならいいけど、それだけじゃなかった。お母さんが死んだって、まだ受け入れられないでいるの。心の中にお母さんの幻をつくって、それにすがって生きてる。お母さんが望むであろうことを、いつも一生懸命考えてる。それをやり遂げれば、お母さんからの愛を受けとれるんだって、きっとそう考えてる。だから今回だって、とっくに疎遠になってる弟のことを、わざわざ助けようとしてるのよ。いつもそう。いつだって、『母さんならどうするだろう』って言ってる。お母さんは、もうこの世界にいないのに。

 そんなお兄ちゃん、見てられない。だから、私は決めたの。私がお兄ちゃんを愛してあげるって。いつまでも、死んじゃった人の妄想に囚われたまま、生きていて欲しくないから。私のことだけを見てほしかったから。殺し屋だって、やめちゃえばいいのに。お母さんがいないなら、殺し屋を続ける意味なんて、もうないはずだもの」

 そこまで一気にまくし立てて、シエロは水を飲んだ。テーブルの上に並んだパフェも、ほとんど手つかずのまま、アイスや生クリームがすっかり溶けてしまっていた。一人で長々と喋って疲れてしまったのか、彼女は俯いて窓の外を眺め始めた。

「……それは確かに大変なことだと思うけど。でもその話を俺にして、どうするってんだい」

 シエロの向かい側に座る白髪の髭男――ルーカスは困った表情をして言った。突然アパートにやって来た彼女に無理やり喫茶店に連れてこられてから、もうずいぶん経っていた。逃げようにも、店内の席を固めている瀬名一族の部下たちが、彼の挙動に、常に目を光らせていた。

「だって、あなたの友達の殺し屋さんは、武器も使わずに標的ターゲットを倒しちゃうんでしょ。だったら、お母さんのことも消しちゃえるはず。腕のいい殺し屋がどんなに性能のいい銃を使っても、切れ味の鋭いナイフを使っても、お兄ちゃんの頭の中からお母さんを消すことは無理だけど、言葉を自在に操って、相手の心に入りこんでしまう彼になら出来るはずよ。だって、私でも知ってるんだもの。あのレイって人――Iの殺し屋なら」

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