第32話 瀬名の内情
静かな地下室で、レイはそこがどこかも、いつなのかもはっきりしないまま、牢屋につながれていた。
彼が息を潜めるようにじっとしていると、金属の板を踏みしめるような、固い音が聞こえてきた。誰かが階段を下ってくる音だった。足音は大きくなり、レイの前で止まった。近くで、布の擦れる音がした。
「動かないでね」
少女の声がした。どこかで聞き覚えのある声だ。
彼女はレイの頭の後ろに手を回して、ごそごそと動かした。目隠しはあっさり外れた。
「あら、近くで見たらけっこうカッコいいじゃない」
レイの前で、にっこり笑う赤毛の少女が顔を覗いていた。
「……シエロ・瀬名か」
彼女はこくりと頷いた。
「助けにきてくれたのかい」
「ううん。遊びにきただけ」
シエロは無邪気に言った。
「シエロ。僕をここに閉じ込めた君のお兄さんは、一体僕をどうするつもりなんだい。僕は殺されるのかな。例えば、崖から突き落とされたり、ギロチンで首をはねられたりして」
「うーん、私は違うと思うけど」
彼女は可愛らしく首を捻った。
「できれば、ここから出して欲しいな」
レイは微笑を浮かべてみせた。
「そんなことしたら、私が怒られちゃうでしょ」
シエロは口をへの字に曲げて目をつりあげた。
「そうか……困ったな。体中に手榴弾を満載して敵地に乗り込んでくるような――つまり頭のネジが外れてしまっている君のお兄さんに、話が通じるとは思えなくてね。君が頼みの綱だったんだけど……」
「私が、あなたとお兄ちゃんと、どっちの言うことを聞くと思う?」
彼女にそう言われ、レイは苦笑いした。わかりきった質問だ。
「君も、弟を酷い目にあわせた僕を恨んでいるのかい」
「全然」
シエロはそっけなく答えた。
「兄弟っていっても、私たちはみんな別々のお父さんの子だし。私は、私のお父さんに会ったこともないし。家族って何?って感じ」
もちろんお兄ちゃんは別だけどね。そう彼女は付け足した。
「とはいえ、君たちの母親にとっちゃ、みんな可愛い子どもたちのはずだ」
「そうかな。あの人は、エリオットのことはすごく可愛がってたけど――ああ、あなたがボコボコにした子ね。私やお兄ちゃんのことはほとんど放置だったわ。まあ、私は全然それでもよかったんだけど、お兄ちゃんはあの人のことが大大大好きみたいだからなー。それなのに、あの人はお兄ちゃんにろくに構いもしないで……ひどい女でしょ、まったく」
シエロは腕を組んで頬を膨らませた。本人は怒っているつもりなのだろうが、その軽い口調のせいか、気迫がどこにも感じられなかった。
「じゃあ、君や君のお兄さんは、そこまで弟君に興味がないのかい?」
「うん。ドライってやつ」
「それにしては、僕を追いかけまわす君のお兄さんの執念深さは凄まじい気がするんだけど」
「さっき言ったでしょ。お兄ちゃんはお母さんが大大大大大好きなの。あなたを狙うのも、エリオットが大好きなあの人のため――たぶんね」
「君のお兄さんは今どこに?」
「この上よ。お母さんもいるわ」
「瀬名涼子もここにいるのか」
一応ね、とシエロが言って、レイの顔にまた目隠しを巻いた。
「そのままでよかったのに」
レイは不服そうに唸った。
「じゃあね、殺し屋さん。また会えるといいわね!」
レイは手を上げて抗議の姿勢を見せたが、足音は遠ざかっていき、階段の向こうに消えていった。彼は、暗闇の中でまた一人になった。
「おーいお前たち。マルタを見つけたら畑に戻るよう言っておいてくれよ」
馬車の中から、作業着の男が顔を出して手を振った。住宅街の入り口に降り立ったQとイーグルは彼を見送ると、アパートへと急いだ。マルタ――変装したレイの世話をしていた彼に助けてもらい、馬車でここまで送ってもらったの二人は、ひとまず、ルーカスと共に状況整理を行い、作戦を立て直す必要があった。
二人はアパートの前に辿りついた。古びた階段を駆け上がり、勢いよくドアを開けた。
中には誰もいなかった。
「ルーカス!」
イーグルは部屋の中を見回した。争った形跡はなかったが、おそらく彼も瀬名一族に連れ去られたのだろう。彼とレイ、二人ともが殺されてしまう――そんな最悪のケースがイーグルの脳裏をよぎった。
「イーグル、これ」
Qはテーブルの上に散らかっている書類の山から、一枚の紙を拾い上げた。丸っこい字で、どこかの住所が書かれていた。彼女はそれをイーグル渡した。彼は地図を開き、メモに書かれた場所を照合した。
「……罠でしょうか」
「十中八九そうだろう。しかし、他に当てもない。突撃して、二人の居場所を吐かせてやろう」
イーグルは息巻いて、紙をポケットに突っ込んだ。幸い、メモが示す場所はそう遠くなかった。二人は急いでアパートを出た。
Qは、メモに残された丸っこい文字が気になった。レイを攫っていった男たちの字にしては可愛らしすぎた。となると、このメモを置いて行ったのは――。
彼女が何のためにこんなものを残して行ったのか。単なる罠なのだろうか。Qには、とてもそうは思えなかった。
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