第29話 シエロ・瀬名

 一つのテーブルを挟んで、殺し屋たちは緊張感を滾らせていた。オムライスとハンバーグが載った皿からは、ほわほわと湯気が立ち上っていた。

「イーグルさん。手を腰にまわしたままの姿勢だと、ずいぶん食べ辛そうだけどいいのかしら」

 シエロはにこにこしたまま、テーブルの下でイーグルの足を小突いた。気ままな彼女に、イーグルは顔を強張らせていた。

「あなたも、せっかく頼んだハンバーグが冷めちゃうわよ」

 シエロはあごでハンバーグの皿を示した。Qは、目の前の少女の不敵さに息を呑んでいた。

「――勘違いしないでほしいんだけど」

 シエロは椅子の背もたれに寄りかかると、ふうと息をはいた。

「私はあなたたちに何もするつもりはないわ。ていうか私、別に殺し屋でもなんでもないし」

「……信じられないな」

 イーグルは眉間にしわを寄せたまま呟いた。

「まあ、信じるか信じないかはあなたたち次第よ。ねえ、あなたの名前は?」

 シエロはQを見て言った。

「……Qよ」

「へえ、Q。変わった名前ね。ねえQ、そのハンバーグちょっと食べてもいい?」

 思いもよらぬ言葉に、Qは黙って頷いた。

「ほんと?わーい、ありがと」

 シエロは喜んでハンバーグにスプーンを入れ、口に運んだ。「おいしー!」と無邪気にはしゃぐ彼女を見て、イーグルは低い声で言った。

「お前に殺傷能力がないのなら、ここから連れ去って人質にしてしまってもいい」

「そんなことして大丈夫?そうやってウチの家族に手を出したせいで、あなたの友達が困ったことになってるんじゃないの?」

 イーグルは小さく唸った。彼女を人質に取ればレイの身の安全を保障するための取引材料になる可能性はあるが、一方でレイと同じように、今度はイーグル自身も瀬名一族に身を狙われる危険性も大きかった。

「ね?ここで暴れても、お互い得をしないってことがわかったでしょ」

 シエロはスプーンを手の中で遊ばせていた。イーグルは少し考えて、ゆっくり銃から手を離した。

「……お前の言う通りかもしれないな」

 それを聞いて、シエロは微笑んだ。

「それなら、あなたはなぜここに来たのかしら。目的がわからないわ」

 Qが尋ねるとシエロは、

「たまたま、かな」

「……流行ってない喫茶店の中に、たまたま居合わせたとでも?」

 イーグルはうたぐり深い表情でシエロを見た。

「お買い物してたら、街中で女の子を担ぐ金髪の男を見かけたの。すぐに、お兄ちゃんが言ってた標的だって気づいたわ。で、ここまで後を追いかけてみたの」

 Qは「ほらみろ」と言わんばかりにイーグルの顔を覗いた。彼はわざとらしく咳払いをした。

「お兄ちゃんからあなたたちのことは聞いてたわ。敵を逃がしたって悔しがってたから、いい子いい子してあげたの」

 その時のことを思い出しているのだろうか。シエロはにやにやと口元を緩めた。無表情で手榴弾を投げつけてくるような殺し屋の男の頭を、少女が撫でまわす光景をQは想像してみたが、なかなか奇妙な絵面だった。

「ねえ、Q。あなた、きっと私とそんなに歳が変わらないでしょ?どうして殺し屋なんてやってるのよ。ほかにやりたいこととか、なかったの?」

 シエロに矢継ぎ早に質問を投げかけられて、Qは戸惑った。

 殺し屋をやっている理由。

 しかし、それは単純で、わかりきった答えのある質問だった。

「復讐よ」

 彼女は、感情を込めないように淡々と言い放った。その様を見て「へー、かっこいー!」とシエロは手をたたいていた。が、Qの隣のイーグルは、険しい表情を隠せなかった。

「復讐ってことは、誰かの命を狙ってるってことよね」

「そう。殺したい相手がいる」

「へー、へー。じゃあ、その人を殺した後はどうするの?」

「……えっ」

 Qは彼女の言葉を聞いた自分の頭の中に、何も浮かんでこないことに気がついた。  

 殺した、その後?

 レイを殺して、それから――それから私はどうなるんだ?

 ……わからない。

 黙り込んだQを見て、シエロは「私はね――」と口を開いた。

「私は将来、ファッションの仕事をしたいの。洋服を作ったり、お店で服を売ったり――モデルなんてできたら最高よね。考えてるだけでわくわくするわ」

 彼女は身振り手振りを交えて、感情豊かに夢を語った。

「Qは?その人を殺しちゃったら、殺し屋はやめるの?」

 そう尋ねられたQは、シエロの話を聞いているようで、聞いていないようで――。

 彼女は今、自分の将来の空っぽさに、呆然としていた。これから先のことなど、考えたこともなかった。目の前の敵を追いかけることで、いつも精いっぱいだったのだ。

「殺し屋は、やめようと思ってやめられるような仕事じゃない」

 イーグルは子どもじみたシエロをいさめるように言った。というか事実、彼女はまだ子どもだった。

「それもそっか」

 シエロは微笑んで席から立ち上がった。

「食い逃げする気か?」

「えー、おごりじゃないの?なら、お兄ちゃんを呼んでこようかな」

 彼女はそう言って悪魔のように笑った。イーグルは舌打ちした。

「じゃ、そゆことでね。……あ、そうだ。Q、うちの弟があなたを撃っちゃったのよね?姉の私から謝るわ、ごめんね」

 それじゃ、とシエロは店を出ていった。食べかけのパフェだけが、テーブルに残った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る