第26話 鷹

 エラルド邸の大きな玄関から、一人の男が出てきた。使用人の服装をした男は、やたらにガタイがよく、片手に箒を持っていた。彼が庭を歩いていくと、門のむこうに男たちが数人、うろうろしているのが見えた。

「あーあ、今日も来てるのか。懲りない連中」

 彼は頭を掻いて、門のそばまでやって来た。たむろしていた男たちが彼の姿を認めると、カメラやメモ帳を取り出して、彼のまわりをあっという間に取り囲んだ。

「レイノルドさん!今日も抜群の肉体美ですねえ」

 そう言ってカメラを持った男がシャッターを連射した。門をくぐったレイノルドはうれしそうにポージングを決めてみせた。

「ありがとう!僕に自慢できるものといえば、この体ぐらいだよ」

「ええ、ええ。それでレイノルドさん」

 一人の男が手を揉みしだいてレイノルドに近寄った。

「今日こそクロネ嬢に取材を――」

「ダメです」

 彼は男を一蹴した。取り囲む男たちは「ええー」「そこをなんとか」「お願いしますよ」と口々に懇願している。

「記者さんたちもしつこいですね。あんまりしつこいと……」

 と言って、レイノルドは手に持った箒を振り回し始めた。記者は慌てて彼のまわりから離れた。

 レイノルドは箒を自在に操り、まるでこん棒のように扱った。記者を散らすと、にやりと笑って、

「クロネ様には、絶対近づけさせませんよ!」

 と息巻いた。




「もーちょっとでお屋敷につくよ、ご主人」

 馬車の中に座る女が、目の前の男にそう告げた。彼は黙って頷いた。どこかやんちゃな雰囲気を漂わせる女は、男の前にいきなり手を突き出した。

「どーよこれ。昨日寝ずに作りあげたネイル。ヤバいでしょ」

 彼女は満足げに指先を見せびらかした。男は困ったような顔をして、感想に詰まった。普段の生活に支障が出そうなほど装飾された爪だった。

「だいじょぶだいじょぶ。意外と器用に動かせるもんだから」

 彼女はにやりと笑った。車両の前についているのぞき窓から、馭者が顔を覗かせた。

「キュロロさん。屋敷への道が工事で通行止めなんで、ちょっとばかし悪路に回ることになりますけど、いいですか?」

 それを聞いたキュロロはのぞき窓にがっついた。馭者は「ひぇ」と顔をのけぞらせた。

「絶対ダメに決まってるっしょ。うちの主人、病み上がりなんだから。真っ平に舗装された道を選んでね、馭者さん」

 キュロロは口調はおだやかだったが、その眼光は凄みを感じさせた。馭者は情けない声で返事をして馬に鞭を入れた。向きを変える馬の様子を見て席に座りなおしたキュロロを見て、男は微笑した。




「クロネ様」

 寝室のベッドに座り込んだクロネに、ケイトが扉の間から声をかけた。

「具合はいかがですか」

 クロネは俯いたまま、返事をしなかった。彼女は、意識だけどこか遠くに行ってしまったような、虚ろな表情をしていた。

 ケイトは、廊下の方をちらと確認して、またクロネに目を向けた。

「クロネ様、今日は、お客様が一人お見えです」

 ケイトはそう言って、扉をギィと押し開いた。

「……ケイト、面会は断ってと言ったはずでしょ」

 クロネは俯いたまま、力なく答えた。扉の方から、カラカラと車輪の回る音が聞こえた。

 音はクロネの方に近づいていき、下を向いた彼女の視界に誰かの靴が映った。クロネはため息をついて、顔を上げた。

「やあ、クロネ」

 そこには、車椅子に乗ったリールがいた。

 クロネは目をぱちぱちさせた。

「久しぶりだね、元気だった?」

 彼は、いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべた。

 クロネは床の上に膝から崩れ落ちて、目の前にいるリールの顔をじっと見つめた。彼女の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

「……。うぅ……」

 リールは、泣きじゃくるクロネの肩をそっと抱きしめた。車椅子を押すキュロロは、扉のそばで泣いているケイトに目配せした。

「感動の再会ってやつだよ、おばあちゃん」

 彼女の視線に気づいたケイトが、涙を拭いながら親指を上げてみせた。キュロロも同じサインをした。

 クロネはずっと泣いていた。




 ガシャン。

 鋭い物音がして、Qは我に返った。部屋の外で、何かが壊れたような音が聞こえた。白髪の男は、「おっと」と椅子から立ち上がると、彼女から離れていった。

「どうしたの?」

 Qは少し上体を起こして、男の方を見た。彼はブラインドが取り付けられた窓から外の様子を眺めていた。

「どうやら奴らにここを嗅ぎつけられたらしい。悪いなお嬢ちゃん、出発だ」

 そう言うと、彼はQの所まで早足で戻ってきて、薬品を注入するための管を彼女から外し始めた。Qは焦った顔で、

「ちょっと待って、どういうこと?奴らって誰よ」

「君と、君のパートナーを恨んでる奴らさ。そいつらが殴り込みにきたんだよ」

 パートナー――つまりレイ。私たちが狙われているとは、一体どういうことなんだろうか。

「ねえ。どういうことか説明を――」

 と彼女が言おうとした時、先ほど男が覗いていた窓の壁が爆発した。

「ひい!」

 Qはベッドから落っこちた。立ち上がろうとするが、体にうまく力が入らない。

「おしゃべりしてる暇はないみたいだ。残念だ、お嬢ちゃん」

 男はそう言うと、銃を取り出し、爆破された壁の影から、外に向かって銃を撃ち始めた。

「お嬢ちゃん!君は早くここから逃げろ」

 男が叫んだ。しかし、五日間寝たきりだった彼女は身体の筋肉が落ちて、思うように動けない。

「逃げろって言ったって――」

 彼女が泣きごとを言っていると、今度は部屋の天井が爆発した。壁が崩れ、その残骸がQのそばに落ちてきた。

「ぎゃあ!」

 Qは身をよじり、何とか瓦礫を避けた。天井に空いた穴から、何者かが部屋の中に飛び降りた。

「イーグル、ようやく来たのか」

 壁に背を預けて銃の弾倉を交換しながら、白髪の男は、飛び降りてきた者――イーグルに声をかけた。

「悪い。少し手間取った」

 イーグルと呼ばれたは人物は立ち上がると、顔に装着していたガスマスクを脱いだ。中から、金色の髪をうしろで束ねた美しい顔の男が現れた。レザージャケットに身を包んだ彼は部屋を見回し、瓦礫のそばに転がっているQを見つけると、ずかずかと近づいてきた。

「立てるか」

 Qは首を横に振った。彼はきれいな青の瞳で彼女の身体の状態を確認すると、自力での移動は困難だろうと判断したようだった。

「――うわっ!」

 イーグルはQの肩と脚に手を回すと、彼女をひょいと軽々持ち上げた。

「お前がQか」

 彼の鋭い眼光に、Qは生唾を飲み込んだ。

「殺し屋にしては可愛い顔だ」

「イーグル。馬鹿な事いってねえで、さっさと逃げろ!」

 イーグルの後ろで銃撃を続けている男が怒鳴った。イーグルはQを見て、

「Q、少し手荒な扱いになると思うが許してくれ。準備はいいな?」

 彼女はこくりと頷いた。イーグルがそれを確認すると、彼はベッドの近くの窓に向かってジャンプし、ガラスを突き破った。

 部屋の外に着地すると、Qの前には海が広がっていた。

「こ、ここは?」

「船の上だ」

 イーグルは甲板の上を走り出した。その船は港に停泊していて、陸へと続く階段がQのいた部屋の近くから降りていた。彼女はイーグルに抱えられ、船を降りた。青い海と、見知らぬ港の光景がQを出迎えた。

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