第25話 目覚め
物音が聞こえた。
何か――金属と金属が触れ合うような音だ。あまり不快感はない。
Qは目を開けた。視界は、ぼやけていてよく見えなかった。薬品の匂いが鼻腔をついた。
「あー。腰痛い」
寝ている彼女の左の方から声が聞こえた。歳を取った男の声だった。
徐々に視界がはっきりしていく。Qが見上げる天井は、薄汚れていた。右側の壁の格子窓からは、光が差し込んでいる。薬品の匂いから病院を連想したが、それにしてはずいぶん錆びれた部屋だった。
「……お、気づいたのか」
横から歩いてきた男が彼女の顔を覗き込んだ。白髪の、顔の深いしわが目立つ男だった。口の周りに髭を蓄えて、白衣はやはり薄汚れていた。
「……」
Qは喋ろうとしたが、うまく声が出せなかった。頭がはっきりしてくるにつれて、腹部の痛みが、鈍く深くうずきだした。
「無理に動かない方が身のためだ。なんせ、出血がひどくて死にかけていたからな。傷口が開くから、安静にしていろ」
男は彼女の頭上で何やら医療機材をいじっていた。Qは、何が起こったのか思い出そうとしていた。
「……ここは?」
「ここか。病院――と言い張るにはちとボロいよな。まあ、なんだ。人目を忍んでこっそりやってる個人病院、かな」
つまり違法な医療施設だ。なぜこんなところで寝かされているのか――そんなことは自問するまでもないことで、それは彼女が殺し屋だからである。身分を証明できない彼女が正規の医療機関に入ると、何かと面倒ごとが生じるのは経験済みだった。
「……」
Qは屋敷での出来事がどうなったのか知りたかった。しかし、目の前の男がそれを知っているとは到底思えなかったので、黙っていることにした。天井を見つめる作業を再開した彼女の様子を見て、
「そうだ。君が目覚めたら、事の顛末を教えてやれってあいつに頼まれてたんだよ」
そう言って男はQの視界から消えた。左の方で、何やらがさがさとものを漁る音がした。
「ほら、まずこれだ」
男はQの目の前に新聞を突き出した。見出しにはこう書いてあった。
――『令嬢を狙った街の権力者!息も絶え絶えの殺し屋が全てを暴露』。
その文面を目にしたQの脳裏に、銃声を聞きつけた彼女が、屋敷のバルコニーに駆けつけ、撃たれるまでの映像が駆け巡った。男は新聞を持ち上げた。
「どれ、俺が代わりに読んでやろう。えー、『衝撃の事実が発覚した。かの有名なレオネル・エラルドが、氏の屋敷に同居するクロネ・エルフリートの暗殺を企て、屋敷内に殺し屋を呼び寄せたのだ!』」
警察が現場に踏み込むと、壮絶な光景が広がっていた。血の海に横たわる三人の人影と、呆然と座り込むクロネ嬢の姿だ。
屋敷で長らく働く使用人の女性は、部屋に入ると叫び声をあげてその場に崩れ落ちた。部屋に横たわっていた使用人の一人である男は立ち上がり、警官に言った。「この少年が僕らを殺そうとした」。部屋の壁にもたれる少年は、顔じゅう腫れあがり、全身傷だらけで、体を痙攣させていた。警官は当然、その使用人を疑いの目で見たが、泣き崩れる使用人の女性が「彼はうちの使用人です。嘘をついているとは思えません」と断言した。のちの尋問で、重傷を負ったその少年が、名の知られた殺し屋「ウォッチャー」であると判明する。彼は、レオネル・エラルドからクロネ嬢の暗殺を依頼されていたことを明かした。
「いくらウォッチャーだろうと、あいつを怒らせちゃあどうにもならないだろうな。あいつが病院に運ばれてきた状態を見たときは、どうしてあのボロボロの肉体で、実力のある殺し屋を瀕死寸前まで追い詰められたのかは、まったくわからねえけどな」
男は笑った。Qには、赤い眼を光らせて、理不尽な暴力を浴びせるレイの姿を容易に想像できた。
「続き読むぞ」
使用人である男女二名とウォッチャーは街の総合病院に担ぎ込まれたが、使用人の二人は病院内から姿を消し、行方不明となってしまった。彼らにも、嫌疑をかける余地は十分にあるのだが、ウォッチャー本人の証言やレオネル・エラルドとの暗殺の誓約書の提出により、レオネル・エラルドの罪は決定的なものとなった。ただ、一つ不可解な事実として、なぜウォッチャーがそこまで素直に、自らに不利な証拠を差し出したのかについては、全く謎である。
「そりゃ、殺し屋が脅されてるなんて、誰も思わねえよな。ははは」
男は笑った。よく笑う男だ、とQは思った。
レオネル・エラルド氏が逮捕され、今後のエラルド家の行く末が取り沙汰されるだろうが、次期当主であるリール・エラルドは重傷の怪我を負い入院中であり、渦中の人物クロネ・エルフリートも事件のショックにより、すべての面会を拒絶中である。進展がみられるのは、まだまだ先のことになりそうだ。
「だってよ。満足したか?」
男に聞かれ、Qは思い出したように尋ねた。
「……今はいつ?」
「君が病院に運び込まれたのをここまで引っ張ってきたのが五日前。つまり君は、五日間眠ったままだったんだ。それぐらい、ヤバい状態だったってことだ」
それを聞いて、Qの身体から力がすうっと抜けていった。
Qは、彼のことを考えていた。
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