第24話 告白

 夜。

 冷たい風がクロネの頬をかすめた。彼女はバルコニーにいた。空は黒い雲に塗りつぶされて、降り注ぐ光は途切れ途切れだった。

「クロネ様」

 クロネの後ろに、レイが立った。「お呼びでしょうか」と、彼は続けた。

「レイ、私……」

 クロネはレイに駆け寄って、彼にすがりつきたい気持ちを必死に抑えた。

「私、どうしたらいいんだろう……」

 彼女の目を伏せた。「助けて」という彼女の胸中が木霊して聞こえてくるようだった。

「クロネ様。どうか顔を上げてください」

 彼の優しい声色に、クロネは引っぱられるようにして上を向いた。

 微笑を浮かべたレイは、手にナイフを握っていた。

「……レイ?」

 彼女は、目の前の光景の意味を理解できなかった。彼が自分にナイフを向けている状況を、認めたくなかった。

「何してるの……そんなもの下ろして」

「クロネ様、安心してください。これで刺すようなことはしません。これは、あなたへの殺意の表明です」

「……何言ってるの?」

 レイは、先ほどまで、もがき苦しみながら、目の前のかすかな光を手繰り寄せようとしていた女の眼から急速に光が失われていくのを見て、確信した。

 もう少しだ、と。

「クロネ・エルフリート。僕は殺し屋です。あなたの命を奪うために、ここにやってきました」

 そう言う彼の顔を見て、クロネの頭の中を記憶の濁流が駆け巡った。

 短い期間の記憶だった。いつも冷静沈着な彼。口が達者で、すぐ揚げ足を取ろうとする彼。しっかり仕事をこなす彼。私への気づかいを忘れない彼。私に手を差し伸べてくれた彼。私を窮地から救ってくれた彼。私のことをわかってくれるかもしれなかった彼。

 そんな彼は。

「……全部、でたらめだった。そういうことね」

「はい」

 レイは、にべもなく肯定した。肯定したが、それは今までの二人を全否定することを意味した。クロネは座り込んだ。だらしなく口を開けて。目の前に立つ男の足元を見ていた。そして、だんだん乾いた笑いが込み上げてきた。

「……ふふ。ふふふふふ。あはは。あははははは。はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」

 彼女は狂ったように笑いだした。というか、もう狂っていた。心が粉々に砕けていくのを、彼女は感じていた。それを見て、レイはナイフをしまった。もう必要のないものだった。

 クロネはひとしきり笑うと、呼吸を乱したままレイを見た。顔は歪み、眼は血走っていた。

「笑えるわ。傑作ね。私はまんまと、知らぬ間に、心の中に侵入を許してた。あなたに。殺し屋に。情けない女。ねえ、そうでしょ?ほら。あなたも笑ってよ、レイ」

「違います。レイ――レイモンドなんて人間は、この世にいません。造られた存在です」

 レイがそう言うと、クロネはがっくりと首を落とした。終わったな。レイは思った。エラルドを呼んでこよう。その間に、彼女はバルコニーから飛び降りているだろう、そう思った。

 勝利を確信したために、気が緩んだ。だから、背後の人影に気づくのに、数秒遅れてしまった。

 銃声。

 レイの横腹に何かが突き刺さった。彼は腹部を押さえた。何かが流れ出しているのが手の感触でわかった。振り返ると、小さな人影が立っていた。

「待ちきれずに撃っちまった。悪いな、あんたに当てるつもりはなかったよ」

 幼い少年の声だった。全身を包む黒の装束から、かすかに覗く無垢な瞳に見覚えがあった。

「あんたのせいで何度か仕留め損ねたよ。昨日の夜も、警備が多すぎて結局何もできなかったし。ほら、どいたどいた」

 少年が再び銃を向ける。レイは膝を引きずりながら、クロネを狙う射線上からずれた。少年は満足げに頷いた。

「結構結構。ご協力感謝するよ」

 狙われているクロネは、あらぬ方向を向いて呆然としていた。死期が迫っていることなど、まるで理解していなかった。

 レイは、エラルドに正体を打ち明けたことを後悔していた。裏切りに遭うのは想定外だった。あのような男でも、息子を苦しめた相手への報復心は持っていたようだ。かすみ始めた意識でそんなことを考えていると、廊下から足音が聞こえてきた。それはどんどんこの部屋に近づいてくる。

「――なんだよ。またお邪魔虫か」

 少年がため息をつくと、部屋に入ってきた影は少年に跳びかかった。二人は何度か拳を交わしたが、影の動きは鈍く、あっさりバルコニーの方へ吹き飛ばされた。光に照らされた影――9は、肩で息をしながらゆっくりと立ち上がった。

「……ちょっとちょっと、やめときなって。あんたボロボロじゃないか」

 少年は9の全身の打撲痕を、服の上から読み取ったように言った。彼女が立った時の姿勢が奇妙に歪んでいたので、本調子ではないと悟ったようだった。

「……」

 9は黙ってクロネの前に立った。少年が構えた銃の射線上だ。彼は困った顔をして、

「ねえ、僕は別にあんたたちに用はないんだって。その女さえ仕留めりゃ、報酬が出るからさ。頼むからどいてよ、お願い」

 しかし、9は少年をじっと見たまま、動かなかった。少年はため息をついて、

「あっそ。まあいいけどさ」

 と言って引き金を引いた。銃声が再び響いて、9の身体に弾丸が突き刺さった。

 彼女は力なく倒れた。床に伏した彼女の呼吸が、不規則に乱れ始めた。

「おい!しっかりしろ、Q‼」

 レイは叫んだ。しかし、彼女は目を開けたまま動かなかった。

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