第22話 死闘
……おかしいな。
リールは会場を探しまわったが、そこにクロネの姿はなかった。たしか二十分くらい前にここを出ていくのを見たのが最後だった。トイレにしては少々長すぎる。
彼は会場を出て、近くにいた警備の者を掴まえた。
「なあ、エルフリートを見かけなかったか」
「はい、少し前に女性と二人でどこかに行かれましたが。それが何か」
何かじゃないだろう――という間も惜しくて、リールはすぐ走り出した。何かあてがあったわけじゃないが、そうせずにはいられなかった。
一緒にいたその女が誰かはわからないが、クロネが誘い出されたのはあきらかだった。敵は男だと思い込んでいたが、もちろんそうとは限らなかった。先日屋敷に侵入してきた子どもの存在も併せて、女への警戒の目がすっかり抜け落ちていた。
リールは廊下を走った。何となく、自然と足が向かう場所があった。それは、小さい頃からクロネとよく二人で空を眺めていた、あの場所だ。
「クロネ!」
二階のバルコニー。リールがそこに辿りつくと、先客が二人いた。クロネと、銃を構えたヘレナ・ブラウンだ。
「あら、早かったわね」
やって来たリールを見て、ヘレナは不敵な笑みを浮かべた。
「リール!」
クロネも叫んだ。クロネの二メートルほど先に立つヘレナは、クロネの頭に照準を合わせていた。
「銃を下ろしてくれ、ヘレナ」
リールがヘレナに近づこうとすると、
「動くと撃つわよ」
彼女はリールに銃を向けた。
「あなたはそこで、その女が死んでいくのをだまって見てなさい」
ヘレナはにやりと笑った。
「リール……」
クロネは視線だけを動かした。顔はなんとか気丈さを保っていたが、手や足は小刻みに震えていた。
「……」
リールは黙ってヘレナを見た。そして、彼女とクロネの間に立ちふさがった。
「……何の真似?」
余裕の笑みを浮かべていたヘレナから、すっと表情が消えた。
「リール、やめて――」
彼はゆっくりとヘレナににじり寄った。
「……そんなに彼女が大事?」
リールを見て、ヘレナは眉間にしわを寄せた。目の前の男を、ぎろっと睨んだ。
「ヘレナ。やめてくれ」
銃を向けられているにも関わらず、リールは落ち着いた声で言った。彼女はそれに、無性に腹が立った。
「そう」
ヘレナは銃を握りなおし、それで思い切りリールを殴った。彼はよろめいた。
「リール!」
クロネの悲鳴が夜空に響いた。
ヘレナは銃を捨てて、リールのみぞおちに拳を入れた。彼は膝をついたが、ヘレナは容赦なく脇腹に蹴りを喰らわせた。うずくまるリールを一心不乱に殴り続けるヘレナの表情は、鬼のようだった。
「やめて……やめて!そんなにしたら死んじゃうでしょ‼」
クロネは床の上に崩れ落ちた。リールは抵抗もせず、されるがままだった。ヘレナの拳はあざだらけになっていた。
「クロネ様!」
息を切らせて、レイが現れた。ヘレナは彼の姿を認めると、リールを痛めつける手を止めた。
「ヘレナ・ブラウン。大人しく手を上げなさい」
レイはナイフを取り出し、ヘレナの逃げ道を塞ぎながら近づいた。彼女は退路を断たれたことを悟ると、銃を拾い、レイを撃とうとした。
しかし、銃を拾い上げようとした間にレイは一瞬で間合いを詰め、手から銃をはたき落とした。銃は宙を舞って、柵の外に落ちていった。
ヘレナは負けじとレイの手首を掴み、ナイフを奪った。二人は取っ組み合いながら暴れまわり、お互いを掴んだ状態で窓ガラスを突き破り、部屋の中に転がり込んだ。
レイはガラスの破片をヘレナめがけて投げた。それに彼女がひるんだ隙に、レイはナイフをはじき飛ばした。ナイフは部屋の隅に転がっていった。
二人は一進一退の攻防を繰り広げた。ヘレナが繰り出す鋭い回し蹴りをレイが肘で受け止め、片足で立つ彼女を足払いした。
ヘレナは支えを失って浮いた。しかし、空中で体をひねりながら受け身を取り、顔めがけて振り下ろされたレイのかかと落としを寸前で避けた。
ボロボロのリールに駆け寄ったクロネは、二人の戦いをバルコニーから見ているほかなかった。
立ち上がったヘレナは、拳や蹴りを連続でレイに浴びせた。彼は急所を守るように巧みに防御姿勢をとったが、どんどん後ろに押されていた。
レイは、つい大振りになったヘレナの蹴りをかわすと、腕を伸ばして彼女の首にラリアットを直撃させた。ヘレナは床に倒れた。レイは馬乗りになって、彼女の首を圧迫させた。
ヘレナは顔を真っ赤にしながら、上から見下ろすレイを睨みつけた。レイは疲れ切った顔で彼女を見つめていた。
「このままだと、君を殺してしまいそうだ」
覆いかぶさるレイが呟いた。
「そうですか。ではどうぞ、そうしてください」
ヘレナは目を血走らせながら言った。レイは無自覚にも、手が緩んだ。
今だ、とヘレナは力を振り絞って馬乗りの拘束を振りほどいた。床に転がったレイから距離をとり、廊下へ走り去った。
「レイ!」
バルコニーからクロネが駆け寄った。
「レイ、大丈夫?」
「わたくしは、大丈夫です。それよりも――」
レイはバルコニーで横たわったリールのもとによろよろと近づいた。目を閉じた彼は、全く動かなかった。
ヘレナは廊下を走って逃げた。後ろを振り返ったが、だれも追ってきてはいなかった。屋敷の三階の外れの部屋に、彼女は逃げ込んだ。
ドアを閉め、後ろに寄りかかった。背中をずるずると滑らせ、座り込んだ。レイとの戦いで全身傷だらけだった。
殺す気で向かっていったが、勝てる気がしなかった。おそらく、彼の言葉通り、あのままいけば彼女が死んでいただろう。
興奮状態が徐々に収まり、彼女は自分の手を見た。傷つき、汚れていた。大切な人を殴った手だった。
彼女の目が潤んで、雫がこぼれた。一度こぼれると、涙がどんどんどんどん溢れてきた。
彼女は顔に着いた合成皮膚を剥がした。涙で濡れて、ところどころ上手く剥がれず、Qの顔が中から半端に覗いていた。彼女は声を押し殺して泣いた。体中が痛かった。そして何より、心がずたずたに引き裂かれたのだった。
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