第19話 種火

「あの男、どうかしてるわ」

 ケイトは怒っていた。厨房で昼食の準備を彼女と一緒にしていた9は、

「どうしましたか」

 と、さりげなくそれとなく聞いてみた。

「三日後に、屋敷でパーティーを開くんですって。新しいワイン醸造所の計画書が受理されたお祝いですって。クロネ様が襲われたばかりだというのに、我が主人ながら信じられないわ」

 どうやら彼女は今朝、エラルドにパーティー開催の計画を聞かされたようだった。クロネ襲撃から、まだ二日しか経っていなかった。屋敷の警備を増やすことを渋ったことも、彼がケイトの反感を買った理由の一つだった。

「それは、おそらくもう決定事項なんでしょうね」

「だからなおさら許せないのよ。いくら何でも勝手が過ぎるわ」

 そう言いながら、ケイトは鮮やかな手つきで野菜を切り刻んだ。いつもより力が入っていたので、9は彼女が指を切ってしまわないかと少しハラハラして見ていた。

「リール様もパーティーの設営に巻き込まれて可哀想だわ。クロネ様を一番に思ってる人に対して、酷な仕打ちよ」 

 言い切ってから、彼女は「言ってしまった」と言わんばかりに口を押えた。横目で9をちらりと見たが、彼女は黙々と料理の盛り付けを続けていた。しかし9は、顔には出さなかったが、胸の奥底で「なんだか面白くないな」という思いが沸き立っているのを感じていた。




 レイは、例の窓から庭の景色を眺めていた。侵入者が入ってきた、クロネの寝室の窓だ。

 屋敷の門の前には、ガタイのいい男が二人立っていた。庭の中には一人。屋敷の警備は増えたが、エラルド邸の広さに見合った数かと聞かれると、そうとは言えなかった。

 エラルドが警備の補強を渋るのはごく当たり前だった。クロネに刺客を送り込んだのが彼自身だからだ。ただでさえ暗殺は失敗続きなのだ。これ以上過ちを繰り返したくないのだろう。

 さらに、侵入者のあの子どものことを、レイは思い出していた。クロネと訪れたブドウ農園で、遠くの丘から野鳥観察をしていたあの少年。おそらく彼が、あの襲撃犯だ。

「――レイ、聞いてる?」

 主人の声で、彼の思考は中断された。ベッドに腰かけたクロネが彼の方を見ていた。

「聞いております。わたくしも、警備の人員をもう少し増やした方が――」

「全然違う。あなたの好きな食べ物聞いてるの」

 それを聞いて、レイはぽかんとした。

「……え?」

「だからぁ、あなた、何か好きな食べ物ないの?ステーキでもカレーでも、なんでもいいから」

「ええと。そうですね、パスタは好きですが」

「そう、パスタね」

 クロネは満足げな顔をして靴に足をいれた。立ち上がり、大きな姿見の前で身だしなみをチェックする。

「それがなにか?」

「ほら、今日外に出かける仕事があるでしょう」

「はい」

「あなたは私の警護のために、一日付きっ切りなわけでしょ」

「ええ」

「昼ごはんは私たちで食べることになるから、あなたの好みを聞いておこうと思って」

「……そうですか。わたくしは、クロネ様が入りたい食事処が見つかれば、どこでもいいのですが」

 そう頬を掻くレイに、クロネは不服そうな顔を向けた。

「ねえ。あなたも、素直に『ありがとうございます』って言えばいいじゃない」

 彼女はしかめっ面をしていたが、愛嬌が同居する表情をしていた。レイは腑に落ちないまま、

「……ありがとうございます、クロネ様」

「それでよし」

 とクロネは言って、再び鏡を向いた。




「リール様」

 9は書斎の扉をノックした。返事がない。中では、リールが机に向かい、積みあがった書類と格闘していた。

 9はお茶を盆にのせて彼の隣まで近づいてみた。しかし、リールは仕事に集中しきっていて、彼女に気付かなかった。

「お茶をお持ちしました」

 彼女が落ちついた声で言うと、リールは書類からはっと顔を上げて、

「ああ、ごめん9。こっちにかかりきりで、気がつかなかったよ」

 問題ありません、とやや畏まった物言いをして、9はカップを置いた。机の上には、エラルド邸の内観図や、名簿帳、顔写真が貼られた証明書が散らばっていた。

「大変そうですね」

「ああ。三日後のパーティーに向けて、招待客の調整や警備員の増強、会場の設営なんかで手いっぱいだ」

 そう言いながらも、リールの表情はたくましかった。先日までの思い詰めた様子の面影もなかった。

「無理はなさらないで下さい、リール様」

「ありがとう。大丈夫だよ」

 彼は書類を片手に、もう仕事を再開していた。熱心な彼を見て、9はなんだか体が重くなったように感じた。

 祝賀パーティーの開催は決定事項だった。リールもクロネも、屋敷の人間はみな、エラルドには逆らえない。それならば、とリールは会場の安全面の確保に全力を注いでいるのだった。その必死さは、まぎれもなくクロネへの想いから生じるものだ、と9は思った。

 彼女はリールの横顔を見ていた。彼は、その視線に気づく気配もない。9は足早に書斎を後にした。彼女から退出の言葉も何もなかったが、リールは気に留めなかった。

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