第15話 揺れる二人
「あらレイ。さっき見た時よりずいぶん肩幅が狭まっているわね」
ケイトがわざとらしい口調で言った。ダイニングルームで夕食の後片付けをしていたレイは一瞬顔をひくつかせたが、
「そうでしょうか。もしかすると、肩パッドの入れすぎだったのかもしれません」
と、かなり苦しい言い訳を涼しい顔で言いのけた。
「あら9。さっきはタバコ、ありがとうね」
身に覚えのない感謝を述べられた9は皿を洗う手を止めて、
「え?あ、はい」
と間抜けな顔で返事をした。ケイトは不敵な笑みを浮かべて、厨房を去っていった。片付けが終わると、レイと9は休憩室でこそこそと相談を始めた。
「ちょっと師匠。あのおばさん、絶対気づいてますって」
「でも、はっきりとは何も言ってこないだろ。問題ないさ」
9はまた頭を抱えた。この男は楽観的すぎる、と。仕事を放り出して外出していたのがバレたら、大問題なのだ。せっかく潜入出来たのに、それがパーになってしまう。
主人と共に馬車で帰って来た二人の使用人は、屋敷の裏口からこっそり建物に入り、それぞれの影武者たちと入れ替わった。いやらしい質問をされはしたが、それ以外のことには、特に言及されたりしなかった。どうやら、彼らは問題なく仕事をこなしてくれたようだった。
「それよりQ、君は一体どこに行ってたんだい?」
レイに聞かれて、Qは一日の様子をそっくり報告した。
ただ、
「そうか、リールとブドウ農園に。社交パーティーはどうだった?」
「彼も私も、大勢の金持ちに囲まれてました。私は途中でダウンしましたけど、リールはさすがですね、相手するのに手慣れていました」
リールが9にこぼした本心は、報告に入っていなかった。
「エラルドの一人息子だからな。それぐらい出来て当然だろう」
レイは無神経な物言いだった。それを聞いたQは顔が強張った。レイから見えないように、手をぎゅっと強く握った。
「ほかには?何か、彼に付け入るような隙はなかったかい」
「それは――」
と彼女は口を開いて、何か言おうとして、そのまま固まって、
「……ありません」
と押し黙った。
「そうか」
レイは彼女の発する奇妙な沈黙に対して、追求はしなかった。その沈黙こそがリールの弱点の存在を確信させるものであり、彼に弱点があると知れただけで十分だった。
それに、リールが隠す秘密の内容自体は、レイにとって重要ではなかった。なぜなら、彼を惑わすのは、レイの役割ではないからだ。それは彼女の――9の任務である。
夕食を終えたクロネは寝室へ向かって西館の廊下を歩いていた。暗くて長い廊下とは対照的に、彼女の表情は明るかった。
「クロネ様」
彼女の前にある階段に、レイが下からひょっこり顔を出した。
「レイ。あなた、逃げたつもりなの?」
クロネから先ほどまでの上機嫌な様子は消え、レイを睨みつけた。
「と、いいますと?」
レイはとぼけて聞き返す。
「だ・か・ら、どーして私より先にコーヒーに口をつけたのかって、車の中でもさんざん聞いたでしょ!」
廊下は暗かったので互いの顔ははっきりと見えなかったが、クロネの顔は赤く興奮していた。それは、ある種の気取った文句を見事にひっくり返されたための怒りなのか、はたまた羞恥から来るものなのか、原因ははっきりしなかった。
「クロネ様、ですからそれは――」
「毒が入っていないか確認したのです、でしょ?何を馬鹿なことを言ってるのよ。何で私がコーヒーに毒を盛られないといけないのよ!」
クロネは階段で立ち止まっているレイとのずんずん距離を詰めていった。彼女はレイを上から見下ろす格好になった。
「いついかなる場合も、主人をお守りするのが使用人の役目ですので」
「全然わかんないわ」
クロネは口を尖らせてそっぽを向いた。レイは階段を昇り切って、
「クロネ様、今日の夜空はご覧になりましたか?」
「見てない」
「今日はこの街にしてはめずらしく、雲一つない星空が見られます。ご覧になってはいかがでしょうか」
レイに背を向けて立つクロネはしばらく黙っていたが、
「……ま、たまにはいいかもしれないけど」
「本館二階のバルコニーが一番いい眺めを期待できます。これをどうぞ」
レイはすかさず、手に持っていたガウンをクロネに渡した。
「それでは」
レイはこつこつと廊下を歩いて去っていった。クロネは受けとったガウンをじっと見ていたが、
「あなたは来ないの?」
とレイの方を振り返った。彼はくるりと回って、
「出かけていた分の仕事が残っておりますから」
わざとらしくお辞儀した。再び歩き出した彼の後ろ姿を、クロネはしばらく見つめていた。
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