第13話 息抜き
時は遡り、レイとクロネが、まだノワールの家で食卓を囲っていた頃。
太陽はちょうど真上まで登っていた。9とリールは、ブドウの木々の間に生えていた雑草を引っこ抜き、水をまき、さあこれから土を耕そうか、という所で一旦小休憩を挟むことにした。
二人は横に並んで、地面に足を投げ出すと同時に「ふぅ」と一息ついた。はっ、として顔を見合わせる。リールは屈託ない笑顔を見せると、それを見た9も微笑を浮かべて、そして二人は前を向いた。
「お疲れですか?」
「まだまだ。君こそもうへばったんじゃないか?」
「普段の仕事に比べれば、これくらい何ともありません」
「へえ、頼もしいな」
リールは額の汗を拭った。ブランに貸してもらった作業着姿のリールは、スーツを着ている普段の彼よりも、なんだか自然体に見えた。9も彼と同じ作業着を着ていたが、袖の丈がかなり余っていた。
「屋敷で客人とお話なさっている時より、生き生きとしてみえるのは気のせいでしょうか」
9は、リールを試すような口ぶりで尋ねた。彼は一瞬真顔になって、そしてすぐ破顔した。
「鋭いね。僕は十歳の頃からよくここにブランの仕事を手伝いに来てたんだ。椅子に座って、金持ちとお茶を飲みながら話してるよりも、断然性に合ってるよ」
「そうなんですか」
と、9は淡々と言った。
「僕はそういうことはあまり表情に出さないようにしていたんだけど、どうしてわかったんだ?それとも、君はそんなに熱心になって僕を観察していたのかい?」
今度はリールが尋問側に回ったが、
「主人の生活を把握するのは、使用人として当たり前のことでは?」
何かを期待した顔をしているリールに対し、9は冷静な眼差しで彼を見つめた。リールは苦笑いして、
「まいった。君の方が一枚上手だな」
そう言って後ろの草むらに倒れ込んだ。彼は目をつぶって心地よさそうに寝転がっていた。
リールの視線が自分から外れた9は、ほっと胸を撫でおろした。顔には出さなかったが、彼女は胸の鼓動の微妙な早まりを感知していた。リールのまっすぐな瞳のせいだ。
先ほどの彼の問いに対する9の答えは真実だ。リールの動向を探るために観察を怠らなかった。細かな表情の機微も逃さないようにしていた。何のためかって、それは
土をいじるリールの表情には、屋敷で不意に見せる鬱屈とした面持ちは影も形もなかった。太陽に照らされ、汗を流し、淀みなく作業をこなす彼の姿ははつらつとしていて、9には眩しく映った。
「――いやいや」
9は頭を横に振って思考をごちゃまぜにした。
眩しく映った、じゃないでしょ。
時は進み、レイが突如会議室のドアを開き、いそいそと資料を配り歩いていた頃。エラルド邸の使用人たちの様相も、次第に落ち着きをみせつつあった。
「ケイトさん!厨房の天井、きれいにしておきましたよ!」
大柄なレイが梯子を片手にケイトのもとへ報告にやってきた。彼女が調理場へ向かうと、悲惨な焦げ跡の残ったキッチンは、見事に昨日までの状態へと復元されていた。いや、むしろ今までより、きれいになったようにも見えた。
「おばあちゃん見てこれ。すごいっしょ?そこらへんの庭に転がってた木の枝で直しといたから」
制服を着崩している9は、折れたモップと箒の持ち手をいつの間にか修復し終えていた。レイがためしに握って振り回してみたが、折れる気配は全くしなかった。
どこか様子のおかしかったレイと9だったが、朝以降は特に何事もなく――というより、普段よりしゃべるようになったし、お互いが協力し合って仕事にあたってくれたので、あっという間に一日が過ぎていった。途中、レオネル・エラルドが身に着けていた腕時計に目をつけて「すげえすげえ」と二人で騒いでいた時はケイトも肝を冷やしたが、当のエラルドはまんざらでもない顔をしていたのが救いだった。
あとは夕食の準備を残すだけという頃合いになって、ケイトは使用人が使う休憩室に入った。中には9が先に腰かけていて、口からすぱーと白い煙を吐いた。
「あれ、おばあちゃんもサボり?」
煙草をふかす新人の姿を見て、ケイトは呆然とした。
「――ちょ、9あなた、よりによってマルカの十ミリなんか……」
「へへ、おばあちゃんも吸う?」
そう言って彼女は短い筒を一本差し出した。ケイトは首を振って、
「結構。それよりあなた、その『おばあちゃん』ってのを何とか……」
「何言ってんのおばあちゃん。ってか、ほんとは吸いたいんじゃないの?」
ケイトはぐっと体が強張った。9は笑って、
「やっぱりね。だいたい、フツーの人は『マルカの十ミリ』なんてニッチな銘柄パッと言えないし、そもそも知らないでしょ。ほら、適度に肩の力を抜くのも大事だよ、ね?」
にやりと不敵に笑う9を、ケイトは何かの衝動を押さえ込むような表情で見つめていたが、観念したのか一度深く息を吐いて、差し出された煙草を受け取った。
9は満足げな顔で、ライターに火をつけた。ケイトはその火をもらい、煙草に着火させた。白い煙をもわっと吐き出す。
「どう?たまにはいいもんでしょ」
「……そうね、たまには」
ケイトは目をつぶり、体を通り抜ける煙の心地を味わった。唇はかすかに微笑んでいた。
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