第12話 足りない。

 商会本部棟二階、大会議室。木製の重厚な扉をくぐり、クロネとレイは入室した。部屋には円状に座席が配置されていて、立派な図体をした男たちが数十人、既に着席していた。二人の席は入口からまっすぐ行った部屋の隅だった。レイは重役用の席の後ろに急設された硬い木の椅子に座って周囲を見渡した。男、男、男、男、男……クロネのほかに女性は存在しなかった。

「揃いましたね。では始めましょう」

 二人からみて右側の、神経質そうな顔つきの男が会の始まりを告げた。彼が議会の進行役のようだった。

 議題は車中でクロネが話していた通り、エラルド家のワイン産業に関するものだった。具体的には、ワイン醸造所失敗による損失の後始末と、新たな醸造所の建設計画についてだ。エラルド、エルフリート両家が保有する農園だけでなく、流通業者、既存の工場運営者など、多くの会社、団体に関わる案件のため、クロネが提出した計画書への追及は厳しかった。

「エルフリートさん。あなた、前の醸造所がどうしてあんな惨めに失敗したか、ちゃんと理解しているのかな?」

 立派な顎髭をたくわえた初老の男がクロネに詰め寄った。

「それはこの計画書に明記していますが。指摘の前に、まず資料を十分に読み込んでいただけますか」

 クロネは凛として反撃した。髭の男は言い淀んだが、今度は別の男がおどけた態度で、

「まあまあエルフリート君。君はこの計画書とやらにそれを書き込んだつもりかもしれないが、我々に内容が十分に伝わってないのであれば、それは君の責任じゃないのかね?」

 その意見に同調するように、嘲るような笑いが随所で聞こえた。クロネは発言したばかりの、おどけた調子の男を無言で睨んだ。彼はクロネの気迫にひるんだが、進行役の男が小槌を叩いて、

「静かに。エルフリートさん、申し訳ないが、醸造所失敗の理由について、あなたの口から説明してください」

 その言葉に、クロネは渋々資料を読み上げ始めた。彼女への妨害行為は明らかだった。彼女は、男たちの標的になっていた。その後も、男たちの無益な遅延工作は止まなかった。




 小休憩となり、クロネは早足で部屋を出た。無論、レイも彼女の後を追う。入口の近くに陣取っていた大柄の男はクロネと彼女の後に続くレイを見て、

護衛ボディーガードのつもりかい?」

 と、いやらしく白い歯をみせて笑った。クロネは無視して、扉を思い切り開いた。近くのドアマンが開閉音にびびっていた。

「クロネ様――」

「何も言わないで」

 クロネはすたすたと歩調を早め、そのままバルコニーへと向かった。レイを引き離すかのようだった。レイは呆然として、去っていく彼女を見ていた。




 二階のバルコニーを囲う柵の上に腕を置いて、クロネはぼんやり遠くを眺めていた。眼下に、馬車や自動車が煙を上げて走り、道路を挟んで背の高い建物が多く集まっていた。別に、外に出たところで特段よい空気を肺に取り込むことも叶わないのだが、少なくともあの獣臭い、醜い男たちが密集する空間で時を過ごすよりは遥かにマシだった。

「エルフリートさん、とんだ災難でしたね」

 一人で佇むクロネに、若い男が声をかけた。あの会議室にいた内の一人だ。彼はクロネの横に立って深々とため息をついた。

「あのような連中に目の敵にされる謂れなど、あなたには一つもないというのに」

「あら、慰めてくれるの?」

 クロネが呟くと、男は得意げに語りだした。

「とんでもありません。ただ、エルフリートさんには全く落ち度がなく、悪いのはあの部屋にいる頭の固い老いぼれたちだということですよ。あなたのように若い女性が議席に名を連ねることが面白くないのでしょう。時代錯誤の連中です。気に病む必要はありません。私が保証します。私はあなたの味方ですよ。ところでどうでしょう?会議が終わったら、食事でも行きませんか。実は最近美味しいレストランが――」

「どうしてそれをその場で言ってくれなかったのですか?」

 クロネは優しい口調で問い詰めた。彼女の眼は、全く笑っていなかった。男は言葉に詰まって、

「そ、そんなことをすれば話が余計にこじれて――」

「ただ黙って傍観していたあなたも、時代錯誤の連中と結局やってることは同じじゃない」

 彼女の声は淡々としていた。それがなおさら、男に冷酷な印象を強く刻みつけた。

「まさしくその通りですな。いやはや。あ、これは私の名刺です、気が向いたらご連絡を。それでは」

 男は名刺を置いて逃げるように走っていった。クロネはまた一人になった。

「何が味方よ」

 彼女はもらったばかりの名刺を細かく千切って空に撒いた。

「そんなの、どこにもいないじゃない」




 午後三時、会議は再開された。議論の進行は、やはり鈍いままだった。

「新たなワイン醸造所の建設予定地は以下の通りです。添付した地図から分かる通り、強固な地盤と交通経路の確保が約束できます」

 引き続きクロネが新ワイン醸造所の建設計画を提案していた。そしてまた、どこからともなく横槍が入れられた。

「エルフリート君、この地形図だが、どうやら最新版ではないようだね。困るなあ、重要な計画なんだから、万全を期して挑んでもらわないと」

 また笑い声が上がった。醸造所計画書の一部は、クロネではなくエラルドが作成したものだ。彼は政治は得意だが、資料作成など細かな作業は苦手な性格だった。指摘を受けた地形図も、エラルドが選択し添付したものだった。クロネは小さく舌打ちをした。

「……申し訳ありません。次回は慎重を期して――」

「次回だとぉ?醸造所は既に一度失敗していると、さっきも言ったじゃないか!」

 髭の男が憤慨し、席を立ちあがった。室内にさざ波が立ったが、彼を止める者はいなかった。そこにいる全員、クロネへの行き過ぎた攻撃を黙認していた。

「だいだい君はなんだね、いちいち反抗的な態度をとって――」

 男が更にまくし立てようとした時、会議室の扉が開いた。

「失礼します」

 眼鏡をかけた青年が入室し、手に持った資料を配り始めた。

「こちらが最新版の地形図になります。準備に少々手間取りまして、お時間頂戴いたしました、申し訳ありません」

 彼は会議室をぐるりと一周して、紙の束を配布し終えた。

「話の腰を折ってしまいました。それでは続きをお願いします、クロネ様」

 レイは深く一礼し、固い椅子に着席した。クロネを始め室内にいた誰もが呆気に取られて、その一部始終を見ていた。

「ちょ、君。進行は私がするんだが」

 神経質な男が困ったように言った。




 会議が終わった時には、日がすっかり傾いて、上空では暖かな夕日の光と夜の闇が交わっていた。バルコニーには、クロネが一人で黄昏ていた。

 あの後、クロネは体勢を立て直し、終始主導権を掴んだまま計画の提案を終えた。クロネ自身が立案した内容に関しては、好意的な意見も散見された。彼女が議題の発案者として出席したのは今回で二度目だったが、何とか事なきを得て、少し肩の荷が下りた心持になった。

「クロネ様」

 佇む彼女に、男が声をかけた。彼の手にはコーヒーの入った紙コップが握られていた。

「長時間のお勤め、お疲れ様です」

 レイはクロネの隣に立って、一緒に街の景色を眺めた。

「ありがとう。あの空間はいつになっても好きになれそうもないわ」

 彼女がため息をつく。

「それがおそらく正常な感想だと思います」

 そう言われてクロネが笑った。

「一回見ただけなのに、分かったようなことを言うじゃない」

「申し訳ありません」

 クロネはレイの方を向いた。レイは湯気の立つコップを彼女に手渡した。

「それと、さっきは助かったわ」

 コップを両手で持って、彼女は小さく呟いた。

「ありがとう」

 さらに小さく呟いて、そして沈黙が流れた。クロネは反応が返ってこないことにどぎまぎして、一気にコーヒーを飲み干した。

「……あれ?」

 彼女は顔をしかめてコップの中をのぞいた。

「意外と量が少ないのね」

「そうでしたか?」

「うん。せっかく、あなたに半分飲ませてあげようと思ったのに」

 その言葉にレイが目を丸くしたのを見て、クロネはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「ええと――それは、なぜですか?」

「それは、もちろんご褒美よ。他に何があるのよ」

 レイはその問いに、答えられず目を逸らした。クロネは微笑んで、

「ま、そのご褒美も、今回はお預けね」

 そう言ってバルコニーから出て行こうとレイに背を向けた。

「クロネ様」

 澄んだ声に、彼女は振り返る。

「申し訳ありません。先ほどのコーヒーですが――わたくしが先に味を確かめさせてもらいました」

 レイがいたずらっぽい笑みを浮かべた。今度はクロネが、答えに詰まった。



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