第8話 嘘つき使用人
街の中枢を担う組織の施設が数多く並ぶ中央区画においても、商会本部は周囲に引けを取らない立派な建物だった。馬車を降りたクロネはまっすぐ商会本部の門をくぐった。レイとQは、彼女と少し間を置いて門の前に降り立った。
「僕は施設内部へ。君は建物の外を警戒してくれ」
もう後には引き返せない、と観念したQは黙って頷き、二人はそこで別れた。
クロネは商会の資料室で探し物をしていた。街の周囲にいくつかあるブドウ農園の、過去五十年にわたる天候記録を引っぱりだし、天候推移の全体的な傾向をチェックする。何十枚に及ぶ資料は手に持ったままだとかさばるので、資料室の机に運ぼうとした。
「あっ」
彼女は床に躓き、資料をばら撒いてしまった。膝をついて、散り散りになった紙の束を慌てて拾っていると、
「貴重な資料は慎重に扱いお願いします」
と言って男が片付けを手伝ってくれた。「そうね、ごめんなさい。助かるわ」彼女が顔をあげると、
「――!ちょっと、あなた何でこんなところに」
声を大きくするクロネと裏腹に、澄ました顔のレイがいた。
「お手伝いに参りました」
「何言ってるの、あなたには屋敷での仕事があるでしょう。階段掃除、寝室掃除、浴室掃除にそれに――」
「大丈夫です。休暇届は出しましたし、9がわたくしの分も合わせて二倍働いてくれます」
クロネは眉間にしわを寄せたまま彼の方便を聞いていたが、
「何より……今日のクロネ様は、特に多忙な一日を控えています。少しでもお力添え出来れば、と思いまして」
頭を下げるレイを見て、彼女は「ふぅ」とため息をついた。
「……そう、ありがとう。でも、こういうことは事前に言いなさい」
「かしこまりました、クロネ様」
レイは資料を拾い上げ、机の上にそっと置いた。
一方、Qは商会本部の周囲をぐるりと一周し終えたが、芳しい成果は得られなかった。門の前へ出戻りとなった彼女は、馬車を降りる乗客や通行人をじっと観察していた。しばらく行く人行く人すべてを睨み倒していたが、不意に――
「あれ?9、何でこんなところに」
聞いたことのある声がして振り向くと、青い瞳を丸くしたリール・エラルドその人がいた。
「リ、リール様?」
Q――もとい9はぎょっとして、足が固まってしまった。
「どうしたんだ?今日は別に休日でもないのに」
「えーーーーーとですね、あれです、休暇です。休暇をとりました」
「なんで?」
リールはまっすぐな眼で9を見ている。
「それは、その……そうです、リール様の仕事の様子を見学したいのです!」
やけくそになった9は、鼻息荒くリールに詰め寄った。
「えぇ?何で僕の仕事なんか――」
「お願いしますッッッ!!!」
彼女が放つ謎の気迫に押され、主人は困惑気味に、興奮する使用人をなだめた。
「わ、わかったよ9。落ち着いて、顔が近い……」
我を忘れていた9は、リールと鼻先が触れそうなほど顔を近づけていたことに気づき、はっとして三歩後ろに下がった。
「す、すみません……」
不用意な失態に顔を赤らめる彼女を見て、リールはおかしそうに笑った。
「気にすることないさ!じゃあ今日は一緒に行こう、9」
「……はい!」
9は、思わずはつらつとした返事をした。無意識の内に、彼女の顔はほころんでいた。
「ところで9、山のような量の掃除を二人に任せて大丈夫かい?」
「はい、レイモンドが私の分も頑張ってくれます」
ケイトは仕事に対するプロ意識から、平素より整然とした身なりを心掛けている。美しい制服の着こなしは、屋敷の雰囲気をより格調高いものに演出する、それが彼女の信条だ。
だが、この日はそうもいかなかった。
「ケイトさん!なぜかわかりませんが、モップが折れてしまいました!あと、箒も!」
いつもより筋骨隆々とした身体のレイが、モップと箒の残骸を手に、彼女の元へ走ってきた。
「おばあちゃんごめん!キッチンの火ィ強くしすぎちゃって天井焦げたわ、マジ反省してる」
ごてごてのネイルアートをいつの間にか指先に施していた9が、顔を黒焦げにしてケイトの元へやって来た。
ケイトのエプロンの結び目はだらしなく緩み、袖はうす汚れ、焦げた前髪は数本消し飛んでいた。彼女は大きく深呼吸すると、右腕を振りかぶり、床に室内帽を叩きつけた。
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