第7話 レイと9……?

 時刻は午前一時を回り、エラルド邸はすっかり静まり返っていた。屋敷の使用人たちは、本館三階の外れにあるいくつかの小さな部屋に寝泊まりしている。北端の廊下には扉が五つ並んでいて、一番奥がQに割り当てられた。

 Qはもう横になっていた。ベッド、クローゼット、机くらいしか置いてない簡素な寝室だったが、世界中を転々とし、道路の上や荒廃した無人の城で寝泊まりを経験してきた彼女にとっては十分すぎる環境だった。

 天井を見上げるQは清潔なシーツに挟まれリラックスしていた。この二日間、彼女は掃除と主人の世話に明け暮れていた。拳を交えることも、反社会勢力の密会に潜入することもなく、平和な時間が過ぎていった。平凡な日常は、新鮮に感じられた。

「そのせいで腕が鈍ってないといいんだけどね」

 突然部屋に男の声がして、Qは跳び起きた。入口に、いつのまにかレイが立っていた。

「プライバシーの侵害です」

「沼の横でカエルの合唱を聞きながら野宿した仲だろう」

「それはそれ、これはこれ」

 そう言ってレイを睨んだ。彼の赤い瞳は暗闇の中でも光を失わない。

「それはべつにいいんだけど」

「よくない」

「僕たちはここに潜り込むことに成功して、標的とその関係者たちとの距離を一気に縮めた。ここまではいい」

「まあ、はい」

「しかし、クロネ嬢は予想していたよりずいぶん頻繁に屋敷を留守にする。その間、エラルドが再び彼女へ刺客を差し向ける可能性は十分考えられるのに、僕たち使用人は屋敷で階段掃除中だ」

「そうですね」

「……困った」

「……」

 …………………。




 翌朝。ケイトは自室の鏡の前で身支度をしていた。

 エプロンをきゅっと締め、真っ白な室内帽を頭にのせる。いつも通りの仕事姿。

 彼女は廊下に出て、早足で本館の中央へ向かった。途中、階段の踊り場を熱心にモップ掛けするレイに遭遇した。ケイトは感心して、

「あら、レイ。朝早くから頑張ってるじゃない」

 と声をかけた。しかし、彼は下を向いて手を前後に動かし続けている。

「レイ?」

 と、二度目でようやく顔をあげたは彼はケイトを見て、

「おはようございます!今日もいい天気ですね!」

 と元気よく挨拶した。にっこりと白い歯をみせる彼に、ケイトはひるんだ。

「え?ええ、おはよう」

 モップ掛けを再開したレイの横を通って階段を降り、ケイトは浮かない表情で早朝の邸内を進む。

「……彼、あんなにハキハキ話す人だったかしら」

 頭の中がもやもやしたが、彼女はいつも通り厨房に入り、主人たちの朝食の準備に取りかかった。袖を捲り上げた9が、既にスープの下ごしらえを始めていた。

「おはよう9。スープなんだけど、朝食の時はすこし薄味で仕上げてもらえるかしら」

 ぐつぐつと煮立つ鍋の中を見つめていた9はくるっと振り返り、

「まじ?ゴメーンおばあちゃん、あたしいつも濃いめに作るからさー、その分量で火ィかけちゃった!」

 あわてて鍋に水をぶち込み、味見をする9。「うーんかなりビミョー」と首をひねる彼女の後ろで、ケイトはそれ以上にきつく頭をじっていた。

「お、おばあちゃん……?」

 朝起きたら突如変貌していた新人二名の様子に、ベテランメイドは混乱しきっていた。




 一方、レイとQは馬車に揺られ、彼らの五メートルほど前を走る、クロネを運ぶ車両を追跡していた。

「昨日聞いたとおり、彼女の行き先は、やはり中央区画の商会本部だね」

 窓を覗き、中央区画にそびえ立つ施設を確認したレイが言った。

「……師匠、やっぱり頭おかしいです」

 Qは頭を抱えていた。朝、彼女が目を覚ますと、部屋の中にはを連れたレイが立っていた。「今日は彼らに一芝居打ってもらう」と真面目な顔でのたまう彼の言葉を、寝ぼけ眼のQは理解できなかった。

「屋敷のまわりで適当に捕まえてきた人たちを、私たちに変装させて影武者にするなんて……」

「グッドアイディアだろ?」

「馬鹿丸出しです」

「今日上手くいったら、今後も同じように外に出られる。もう一人の僕たちの健闘を祈ろうじゃないか」

 となりで得意げに話すレイの顔を見ると、Qは頭痛がした。

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