第5話 レイと9

「……Q、大丈夫かい」

 Qが目を覚ます。彼女の目の前には、不安でいっぱいな表情をしたレイがいた。

「――あれ、師匠」

 彼女は既に変装を解いた彼の顔と――その横に転がっている、ぼこぼこにされた髭男を見た。レイの手の甲はあざだらけになっていた。

「来るのが遅くなってごめんよ。とにかく無事でよかった」

 彼に肩を抱きかかえられるようにして、Qは路地に寝ていた。肩を掴むレイの手は力が入っていて、痛かった。

「……ありがとうございます、師匠。もう大丈夫です」

 感謝の言葉とは裏腹に、Qの視線は冷ややかだった。レイはそれを見て、彼女からゆっくりと手を離した。

「こいつらはやはり、クロネ嬢の暗殺を狙っていたようだね」

「ええ」

 Qは男から奪ったクロネの写真を見せた。

「私たち以外の殺し屋にも、エラルドは声をかけていたんですね」

「やはり奴は手段を選ばない人間みたいだ。危うく報酬がパーになるところだったよ」

 レイは気絶した殺し屋たちをゴミ箱の中へ放り込んだ。

「今回はどうにかなりましたけど、また彼女が命を狙われたら今度こそおしまいです」

 Qは依然、依頼に失敗し一文無しとなり、二人して路上で物乞いをするはめになった時のことを思いだしていた。

「ああ。僕らはもっと、彼女に近づく必要がある……」




「――なんだと、二人とも休暇?」

「ええ、昨日突然言われまして……」

 中央地区のエラルド邸。書斎でワイン醸造所の計画書を練っていたレオネル・エラルドのもとに、老いたメイドがやってきてこう告げた。

 この屋敷で雇っていた二人の使用人――エドワードとメリルが昨日、こぞって長期休暇をとった、と。

「おいおい、よりにもよってエルフリートの娘と私の息子を世話していた二人じゃないか。それがいっぺんにいなくなられては――」

「ええ。しかし旦那様。実は昨日、使用人の応募が偶然にも二名、やってきまして」

 エラルドは顔をしかめた。

「……出来過ぎた話だ」

「今日は二人とも、こちらに来てもらいました。雇用の最終的な判断は旦那様にお任せします」

 メイドは扉の向こうに「入りなさい」と声をかけた。




「……それがあなたたち、というわけね」

 クロネ・エルフリートはその青い瞳で、使用人の制服に身を包んだ青年と少女を交互に見た。

「わたくしはレイモンドです。レイ、とお呼びください」

 そう言って黒髪の美しい青年は頭を下げた。白のシャツに黒のベストを着用していて、しなやかで均整の取れたシルエットが見て取れる。

 彼の隣に立つ少女は、可愛らしいがどこかあどけない表情をしていて、脚を隠す丈の黒いスカートやそれを覆う白いエプロンが少し大袈裟に見えた。

「ナインズです。キュー、とお呼びください」

 9は深々とお辞儀をした。クロネは満足げな顔で、

「レイ、そして9。どれくらいの期間になるかはわからないけど、よろしくね」

 そのようすを二人の後ろで見ていた老メイドが一歩前へ踏み出し、

「この二人にはエドワードとメリルの代役を務めてもらいます。つまり、クロネお嬢様にはレイ。そして9は――」

「リール・エラルド、エラルド家の一人息子の世話役ね。しっかり頑張りなさい」

 そう言ってクロネはメイドと9を送り出し、寝室にはレイと彼女が残った。

 クロネはくるりと振り返り、黒縁眼鏡をかけた新たな使用人をじっと見た。

「レイ。私はこれから、商会で行われる会議に出席して、それから農園の視察に行ってくる。戻るのは夕方頃になるから、それまでに一通りの業務をケイトから教えてもらいなさい」

 ケイト――あの老メイドの名だ。レイは胸に手を当て、頭を下げた。

「わかりました、クロネ様」

 クロネは部屋を出ていった。レイは窓を開け、早速ベッドメイクに取り掛かった。




 クロネが住むエラルド邸の西館を離れ、ケイトと9は本館を通過し、エラルド一家の居住区である東館に到着した。一階に住む当主レオネルとは既に顔合わせを済ませていたので、二人は東館二階へ。ケイトが寝室の扉をノックする。しかし返事はなかった。

「おや、もしかして庭にお出かけかな」

 ケイトは首を捻った。

 東館二階の廊下の窓にはステンドグラスが輝いていた。朝の陽ざしが硝子の中を通り抜けて、絨毯の上に七色の光を投影していた。

 9は、廊下のむこうからコツコツと近づいてくる人影に気づいた。

「やあケイト、今日も早いね。……ん、となりの子は誰だい?」

 リール・エラルドは人懐っこい笑みを浮かべた。金色の前髪をあげていて、毅然とした印象の眉と優しい緑の瞳がよいコントラストを生んでいる。深緑のスーツが似合う彼は9より頭二つ分ほど背が高い。

「お忘れですか?メリルの代わりにしばらく坊ちゃまのお世話をする……」

「ナインズです。9とお呼びください、リール様」

 9はお辞儀をして、彼の顔を見上げた。父レオネル・エラルドの面影はあったが、冷徹な彼とは程遠い眼差しをした青年だった。

「そうだった、すっかり忘れてたよ。よろしく9」

 リールは少し屈み、目線を9の高さに合わせて、

「でも、様はちょっと堅苦しいかな」

 そう言ってニッと笑った。





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