第2話 レイとQ
リバーサイド通りはその名の通り、街の中で流れる一筋の川に面した工業地帯で、河を走る船が停泊する波止場や造船所、船の積み荷を管理する倉庫などがひしめき合っている。さまざまな出身、人種の人間で溢れており、後ろめたい素性をもつ者が身を潜めるには格好の場所だった。
工場や倉庫が林立する地帯を抜けると、労働者が身を寄せる居住区画に行き当たる。レイとQはそのうちの一棟の、古びたアパートへ入っていった。室内はぼろぼろの壁紙と傷んだフローリング。最低限の調度品しか置いておらず、色のない寂しい景色だった。
レイはドレッサーの前に座り、変装に使った特殊メイクを丁寧に落としていた。Qは自身の趣味に全く当てはまらない帽子とワンピースをクローゼットに押しこむと、台所でコップ一杯の水を汲んだ。それを一気に飲み干し、苦悶の表情を浮かべる。工場地帯のど真ん中で味わう水道水はある意味格別だった。
「思っていたより紳士的な人でした」
Qは、ドレッサーの前から動かないレイの背中に向かって話しかけた。
「エラルドかい?」
「ええ。彼自身と親交の深い家の娘を標的に選ぶなんて、いまいち腑に落ちません」
「ふん、見てくれだけは品のある男だったが、あの仮面の裏には間違いなく狡猾で獰猛な獣が潜んでいるよ」
レイは顔のところどころに残っている合成皮膚の残骸をピンセットで剥がしながら語りだした。
「レオネル・エラルド。名家エラルドの当主で、街の商会を操る人物。エラルド家は古くよりワインの生産・流通で財を成した。街の中央地区に大きな屋敷を構え、ワイン業を共に育てあげたエルフリート家も、古くからの習わしでエラルド家と同じ邸宅に住んでいる」
「でも、エルフリート家は近年、大規模なワイン醸造所の建造計画を頓挫させてしまって、巨大な負債を抱えるはめになったんでしたっけ」
「そう」
レイはスクラップブックをQに手渡した。開くと、エラルドの写真と共に一枚の女性の写真が貼り付けてあった。
「それが現在のエルフリート家当主、クロネ・エルフリート。両親は既に亡くなっていて、彼女がエルフリート最後の生き残りというわけだ」
「彼女を始末して、負債を抱えたエルフリート家とはもう手を切りたいんでしょうね」
「そんなところだろう。ワインのもとになる葡萄の生産を昔から担っていたエルフリート家も、大量生産技術の向上でその地位が脅かされ、今度の醸造所計画の失敗でとうとう追い詰められてしまったようだ」
そう言ってレイは、資料に目を通すQにワインのボトルを見せびらかした。
「どうしたんですか、それ」
「30年物のエラルド・ワインさ」
「……そうじゃなくて」
「あのメイドに貰ったんだよ」
Qはため息をついた。いつの間にメイドをたぶらかしていたんだ。清潔な白いエプロンを着こなした熟女と、太った不潔な男が会話している映像が彼女の頭に浮かんだ。
「人がどんな相手を好き好んでいるかなんて、よくわからないものさ。さてQ、出かけるから準備してくれ」
「え?」
Qは不意を突かれたのか、目を丸くして鏡に映るレイの顔を見た。
「一体どこに」
「今日、クロネ・エルフリートは屋敷を留守にして街にお出かけしているそうだ。標的の生態を探る、まさに絶好の機会だろう?」
なるほど、その情報もあのメイドから引き出したのか。ワインをくすねたのは、そちらに意識を割かせるための、一種のカモフラージュだろうか。
「さあ、Q、こっちを向いて。その素顔は隠してしまわないとね――誰にも見られぬよう」
そう言ってレイはQの手からスクラップブックを除けて、彼女の顔の輪郭を手で押さえて、肌の上に筆を走らせた。
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