Iの殺し屋

そうま

第1話 殺し屋レイ

「ご主人様」

 老練な空気を纏うメイドが、男の耳元でささやく。「来客があります」

「例の請負人か」

「左様です」

「入れてくれ」

 メイドは軽くお辞儀をし、コツコツと扉の向こうに消えていった。男は唇に指を当て、何やら思案している様子だった。

 ロマンスグレーの整えられた頭髪。顔の彫りは深く、青い瞳は歳を感じさせないぎらつきを放っている。灰色のスーツは特注品で、腕には素人でもそれとわかる煌びやかな時計を巻いていた。

 少しして、メイドが扉を開いた。男の眼に、見知らぬ人影が二つ現れた。

 扉を支えるメイドを、二人はすたすたと横切った。一人は、サングラスをかけた太った男。もう一人は、腰の曲がった老婆だった。一人掛けのソファにゆったりと腰を下ろす主人は、カーペットの上を歩く二人の様子をうたぐるような目つきで見ていた。

「こりゃどうも、エラルド様。お会いできて幸栄です」

 太った男は口を下品に曲げて笑った。主人――エラルドは彼を蔑む態度をとりわけ隠す風もなく、

「……本当に君は、私が呼んだ人間で間違いないか?」

 口調は落ち着いていたが、眼光は明らかに太った男を威圧するように光っていた。

「ええ、全く持って間違いありません」

 サングラスで隠れた男の顔をじっくり観察するエラルドは、メイドに合図を出した。束ねた髪に白いものが混じる彼女は、部屋から静かに出ていった。

「座りたまえ」

 エラルドに促され、男と老婆はソファに腰を下ろした。エラルドと二人の間に美しい木製のテーブルを挟み、彼らの頭上では華美なシャンデリアが灯りを煌々と投下していた。

「さて」

 エラルドはメイドが退室したのを確認し、改めて二人に向き直った。

「正直、今私は半信半疑なんだが……君たちが本当に、その――殺し屋であると」

「心配はご無用ですぜ」

 太った男は突き出た腹回りをさすりながら答えた。

「私らが、エルフリート嬢の暗殺をあなたから依頼されたその張本人さ」

 エラルドは顔をしかめて、

「……あまり大きな声を出さないでくれるか」

「へぇ、すいやせん」

 男はだらしなく跳ねた金髪をぼりぼりと掻いた。

「で……君と、君の隣りのまったく言葉を発しないご老体のことは、なんと呼べばいい?」

 エラルドはソファに座ってから微動だにしない老いた女をちらりと横目で見た。派手なピンクの帽子にフリル付きのワンピースを着ていて、殊更にけばけばしかった。太った男は無精ひげの生えた顎を撫でながら、

「そうですねえ……実は私ら、通り名がありまして。私がレイ。こっちの年寄りはQです。私の9番目の助手なんですわ、ええ」

 年寄りという言葉に、老女は身体をピクッと震わせた。

「レイ……」

「ええ。姿を持たない幽霊――レイってところです」

 エラルドは聞いたことがあった。裏の交友関係との会話の中で度々耳にする謎の殺し屋レイ。まさか、こんなパッとしない男がその正体だとは、想像だにしていなかったが。

「はは、よく言われますよ」

 レイは乾いた笑い声をあげた。

「それで?レイさん。あの女を始末してくれるのなら、私は何でも喜んで協力するが――」

「いえいえ、それには及びません。今回は報酬の確認に来ただけです」

 不敵な笑みを浮かべるレイ。エラルドは隙を見せないように、スーツの懐から紙を一枚取り出してテーブルの上に置いた。レイはそれをめくり、舐めるような視線を這わせた。

「結構です。麗しきエルフリート嬢の命運は、今この瞬間に決まってしまいました。おぉ、可哀想に……」

 レイは臭い芝居を披露しなから紙を胸ポケットに納めた。そしてソファから立ちあがり、

「では、私らはこれで」

「待て。依頼はいつ執行されるんだ、もっと具体的なことを教えてくれ」

「それは追って連絡します。知っての通り、私は武器を持たない殺し屋。仕事には、入念な準備が必要なんです、へへ」

 レイは不格好な礼を残して、エラルドに背をむけた。彼に続いて老婆も立ち上がり、二人は部屋を後にした。

 部屋に残ったエラルドは深いため息をついた。本当にあの二人は信用に足る者たちなのだろうか……。彼の計画に暗雲が立ち込めた気がした。




 荘厳な屋敷の門が開き、待機させていた馬車にくだんの太った男と老婆が乗り込んだ。

「リバーサイド通りまで」

 さきほどまでとは打って変わった凛とした声色で男は行き先を馭者に告げた。馭者の男が馬に一発鞭を入れると、馬車は動き出した。

「……このご時世に馬車ですか」

 老婆は驚くほど若々しい声で言った。

「タクシーだとバックミラーで僕たちの様子が丸見えだろう?だからこっちで正解さ」

 そう言いながら、男は服を脱ぎ、顔についた合成皮膚を引きはがした。すると、そこには顔立ちの整った白い肌の美しい青年が姿を現した。

「……というか師匠。さっき私のこと、年寄り呼ばわりしましたね?」

 老婆は大きな帽子を鬱陶しそうに外して、白髪のカツラをむしり取った。艶のある黒の髪が頬にかかり、彼女の幼い顔つきが露わになった。

「実際キミはさっきまでひどいババアだったじゃないか」

 青年の軽口に、少女のこめかみにはっきりと青筋が走る。

「はぁ?私、まだ十八です。年寄りはそっちですよ、師匠」

 少女が睨みを利かせると、青年は余裕の笑みを浮かべ、ゆるやかな曲線を描く鼻筋をぐいと近づけてきた。

「僕のことをしっかり見てくれ、Q。これでもまだ年寄りだなんて言えるかい?」

 彼の肌は水晶のように透き通り、長いまつ毛に縁どられた赤い瞳が彼女をまっすぐ捉えて動かなかった。Qはレイの頬にそっと手を当てて、

「……ほら、こんなところに小皺がありますよ」

 その言葉にレイの眼から光が失われ、Qの肩を突き飛ばした。

「ちょ――何するんですか、か弱い少女にむかって!」

「うるさいなあ。ついこの間、成人男性の首を何本も絞め上げていた人間のどこがか弱いって、んん?僕の美しさを軽んじるから、こうして軽いパワハラを被るんだ」

「きも」

「――その言葉は絶対に許せない」

「きもいです」

「Q。今すぐにでも君を馬車から放り出してもいいんだよ」

 がたがた揺れる車の中でのすったもんだは、人の行き交う街の雑踏にかき消されて、馭者の耳には届いていなかった。ほどなくリバーサイド通りに到着し馭者が車の戸を開ける。中から出てきた黒髪の青年と少女の姿に、馭者は目を丸くした。

「おじさん、どうもありがとう」

 レイは指先で硬貨を弾いた。コインはくるくると空中を回転して、馭者の手の中にすっぽり落ちた。馭者の男は状況が飲み込めないまま、口をあんぐりと開けて、人混みに消えていく二人の後ろ姿を見ていた。

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