差し伸べられた手に、戸惑う。

 こんなにも優しい人は主人と、当時屋敷にいた人達だけ。

 その他にはいなかった。

 手を、取っても良いのだろうか。

 歌姫カナリアであるイリスが、貴族であるアルシャインから差し伸べられた手を。

 けれども彼は一緒に探そうと言ってくれた。

 主人の遺志を引き継ぐために、イリスを探し出し、保護してくれた。


「いい、の……?」

「あぁ」


 差し出されたアルシャインの手に、恐る恐る自分の手を向ける。

 触れても、良いのだろうか。

 自分はただ歌うことしか出来ない歌姫カナリア

 今ではもう、多分―――唯一の、優しい手。

 彼のその手にようやく触れた。


「お願い、します……私が……歌姫カナリアが、こんなこと頼んだらいけないって思う、けど……アルシャイン様は良いと言ってくれた。だから、私と、ご主人様がどうして死んでしまったのか、探してください……」

「もちろん。イリス。これからは僕のことはアル、と呼んでくれ。僕達は同志だ」

「はい。アル様」


 主人のように、主人の屋敷にいた執事や、メイド達のように、温かい手だった。

 歌姫競技会カナリア・コンチェルターレで称賛を頂いたとしても、それは歌姫カナリア達だけの世界。

 人の子に戻ることがどういうことかも分からないけれど。

 イリスは信じたいと思った。

 アルシャインは嘘をついていない。

 主人と同じ優しい人だと。

 不意に、主人がいつも言ってくれたことを思い出す。


 ―――イリス。微笑んでくれないか?


 ―――ご主人様。微笑む、って、なぁに?


 ―――こうやって、頬と、口元を持ち上げて、目を細めて……難しいな。


 ―――これにはどんな意味があるの? ご主人様。


 ―――微笑みや笑顔は、人を幸せにする。温かい気持ちというものにしてくれる。大切なものだよ。まぁ……苦手なんだけど。


 イリスは、教えてもらった通り、頬と、口元を持ち上げて目を細め、アルシャインに顔を向ける。

 自分と違って、イリスの微笑みはまるで花が咲いたようだと褒めてくれた。

 きっと今が、微笑む、という時だと思った。

 アルシャインはそんなイリスの表情を見て、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたものの、同じようにイリスに微笑みを返した。

 こんなにもイリスは他の歌姫カナリアとは違う。


「あいつらしくもないことを、あいつは君に教えたもんだ」

「? ご主人様は、笑うのが好きなのよ? イリスが笑うと、喜んでくれるの。あ、でもご主人様はね、もっと顔がこう、キュッ? って……してたわ」

「ぷっ……ふふっ……引き攣ってたんだ。紳士な割に、表情筋が硬い奴だったからね」

「ご主人様は優しい人よ?」

「あぁ、うん。そうだね」


 そうだ、と思い出したようにアルシャインはドアの外に呼び掛けた。

 イリスは小首を傾げる。

 入ってくれ、とアルシャインは言ったが、スープを持ってきてくれたルーナか、それとも老齢の執事のギーを呼んだのだろうか。

 ドアを開けたのはギーだ。

 続いて入って来たのは―――


「ぁ……」


 イリスにとっても、見覚えのある顔だった。


「アルシャイン様。この度は私達を雇い入れて頂き、そして何より……ランクス様の愛した歌姫カナリアのイリス嬢を保護して頂き、感謝いたします」

「今後は私達二人、アルシャイン様のお屋敷にて精一杯勤めさせて頂きます」

「あぁ。頼む。イリス。覚えはあるかな?」


 一人は女性―――屋敷から放逐される前にイリスを抱き締めて、泣きながら謝っていた。

 もう一人は男性―――イリスに、主人との思い出の櫛を売るようにと手渡してくれた。

 名前は確か……


「えっと……エイラ、さん……と、えっと、シェダール、さん」


 イリスはエメラルドの大きな瞳を、さらに大きくさせて二人を見る。


「良かった。イリスちゃん。本当にごめんなさい。私達に力がなかったから……あなたをあんな寒くて酷い場所に放ってしまって……」

「本当に。しかし、路銀代わりにお渡しした櫛は……」

「これは、ご主人様がくれたものだから……だから、持っておきたかったの……」

「銀貨を、お渡し出来なかったのを今でも悔いています。イリス嬢。あなたのことですから、きっとお売りにはならないと。振り返って後悔致しました」


 頭を下げるエイラとシェダールに、イリスは首を振る。

 二人の所為でないことは分かっていたから。


「いいの。エイラさん、シェダールさん。イリスは、歌姫カナリアだから、だから、いいの。えっと、頭を、下げないで……? で、良かった、かしら?」


 イリスに言われて二人は頭を上げる。


「エイラ。シェダール。イリスは今後、勉強がしたいらしい。頼みたいんだが、いいか?」

「はい!」

「もちろんですとも」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る