Ⅷ
差し伸べられた手に、戸惑う。
こんなにも優しい人は主人と、当時屋敷にいた人達だけ。
その他にはいなかった。
手を、取っても良いのだろうか。
けれども彼は一緒に探そうと言ってくれた。
主人の遺志を引き継ぐために、イリスを探し出し、保護してくれた。
「いい、の……?」
「あぁ」
差し出されたアルシャインの手に、恐る恐る自分の手を向ける。
触れても、良いのだろうか。
自分はただ歌うことしか出来ない
今ではもう、多分―――唯一の、優しい手。
彼のその手にようやく触れた。
「お願い、します……私が……
「もちろん。イリス。これからは僕のことはアル、と呼んでくれ。僕達は同志だ」
「はい。アル様」
主人のように、主人の屋敷にいた執事や、メイド達のように、温かい手だった。
人の子に戻ることがどういうことかも分からないけれど。
イリスは信じたいと思った。
アルシャインは嘘をついていない。
主人と同じ優しい人だと。
不意に、主人がいつも言ってくれたことを思い出す。
―――イリス。微笑んでくれないか?
―――ご主人様。微笑む、って、なぁに?
―――こうやって、頬と、口元を持ち上げて、目を細めて……難しいな。
―――これにはどんな意味があるの? ご主人様。
―――微笑みや笑顔は、人を幸せにする。温かい気持ちというものにしてくれる。大切なものだよ。まぁ……苦手なんだけど。
イリスは、教えてもらった通り、頬と、口元を持ち上げて目を細め、アルシャインに顔を向ける。
自分と違って、イリスの微笑みはまるで花が咲いたようだと褒めてくれた。
きっと今が、微笑む、という時だと思った。
アルシャインはそんなイリスの表情を見て、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたものの、同じようにイリスに微笑みを返した。
こんなにもイリスは他の
「あいつらしくもないことを、あいつは君に教えたもんだ」
「? ご主人様は、笑うのが好きなのよ? イリスが笑うと、喜んでくれるの。あ、でもご主人様はね、もっと顔がこう、キュッ? って……してたわ」
「ぷっ……ふふっ……引き攣ってたんだ。紳士な割に、表情筋が硬い奴だったからね」
「ご主人様は優しい人よ?」
「あぁ、うん。そうだね」
そうだ、と思い出したようにアルシャインはドアの外に呼び掛けた。
イリスは小首を傾げる。
入ってくれ、とアルシャインは言ったが、スープを持ってきてくれたルーナか、それとも老齢の執事のギーを呼んだのだろうか。
ドアを開けたのはギーだ。
続いて入って来たのは―――
「ぁ……」
イリスにとっても、見覚えのある顔だった。
「アルシャイン様。この度は私達を雇い入れて頂き、そして何より……ランクス様の愛した
「今後は私達二人、アルシャイン様のお屋敷にて精一杯勤めさせて頂きます」
「あぁ。頼む。イリス。覚えはあるかな?」
一人は女性―――屋敷から放逐される前にイリスを抱き締めて、泣きながら謝っていた。
もう一人は男性―――イリスに、主人との思い出の櫛を売るようにと手渡してくれた。
名前は確か……
「えっと……エイラ、さん……と、えっと、シェダール、さん」
イリスはエメラルドの大きな瞳を、さらに大きくさせて二人を見る。
「良かった。イリスちゃん。本当にごめんなさい。私達に力がなかったから……あなたをあんな寒くて酷い場所に放ってしまって……」
「本当に。しかし、路銀代わりにお渡しした櫛は……」
「これは、ご主人様がくれたものだから……だから、持っておきたかったの……」
「銀貨を、お渡し出来なかったのを今でも悔いています。イリス嬢。あなたのことですから、きっとお売りにはならないと。振り返って後悔致しました」
頭を下げるエイラとシェダールに、イリスは首を振る。
二人の所為でないことは分かっていたから。
「いいの。エイラさん、シェダールさん。イリスは、
イリスに言われて二人は頭を上げる。
「エイラ。シェダール。イリスは今後、勉強がしたいらしい。頼みたいんだが、いいか?」
「はい!」
「もちろんですとも」
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