Ⅶ
明るい日の光が屋敷を照らす。
精緻なステンドグラスがはめ込まれた窓。
大理石の床はいつでも美しく磨き上げられ、敷かれた絨毯はゴミどころか塵一つ落ちていない。
屋敷と同じくらいか、それ以上に広い庭も庭師達が日々手を入れ整えられていた。
イリスは主人のいる屋敷が大好きだった。
遠い東の果てにあるという国の商人とは仲が良く、屋敷には東の果ての品々が置いてあることもあった。
イリスが握り締めている櫛もそう。
主人が死んで屋敷から放逐される時、当時主人の執事だった男から売ればしばらくは生きていけるから、と手渡されたものだ。
「私……まだ、生きているのね……」
そして、主人はいない。
最初に目が覚めた時に比べると、体の痛みも、だるさも、何もかもマシだ。
でも……心の痛みと喪失感は消える所か時間が経てば経つほど深く、酷くなっていく。
「ご主人様……。ご主人様……どうして、どうしてイリスを、置いて行ってしまったの……?」
ずっと彼の傍で歌っていたかった。
汚い店先で買われた後、初めて知った優しさ、温かさ、知識。
不意にドアが叩かれてイリスは身を起こした。
返事をする前にドアが開いた先にいたのはアルシャインだった。
「! アルシャイン様」
「やぁ。イリス。調子はどうかな?」
「大丈夫。うぅん。大丈夫、です」
「無理をして敬語で話す必要はないよ。いつもの通り、話してくれたら」
「ぁ……でも……」
「君は、今は客人だよ。僕の」
「あり、がとう……アルシャイン様」
どうして主人は死んでしまったのか。
不意に思い起こす。
その日、雪は降らなかったが、それなりに寒い日だった。
主人は親戚達とこれからのことを話し合うからイリスは部屋にいるようにと言っていた。
長くなるから寝たい時に寝て、勉強がしたければ復習をして、喉が渇いたりお腹が空いたりしたらいつものメイドか執事を呼べばいいと。
ただ、話し合いをしている部屋を含めて厨房にも近付かないように、部屋にいるようにと、そう言い含められた。
いつもは自由に主人と歩き回っていたのにその日だけはまったく違う日だと感じた。
主人のいない時間はつまらなかった。
どんな話をするのかは興味がなかったから、ただとにかく早く、早く終わって欲しい、早く主人の顔が見たい、主人の為に歌いたい。
今日はどんな歌を歌おう。主人が大好きな歌がいい。きっと疲れているから安らげる歌がいい。
そうやって考えながら時間を過ごしていると―――イリスがいた店の店主のように怖い顔をした親戚が部屋へと入って来るなり言い捨てたのだ。
―――この家から出ていけ。
冷たくて、まるで突き刺さるようなたくさんの目、目、目。
―――
―――お前の主人は、ランクスは、たった今死んだ。
何を言われているのか。
言葉を飲み込み噛み砕き、理解というものが出来るまで、かなりの時間を要している間に、イリスは……ヒュムヌスの町に捨てられた。
「イリス?」
「……。アルシャイン様。ご主人様は、どうして死んでしまったの……? 私、何も分からないの。ご主人様が死んでしまったのは、分かったわ。でも……どうして死んでしまったのか、分からないの。どうしてイリスを置いて行ってしまったのか、分からないの。だから……だから、知りたい。それは、ダメ……なこと……?」
イリスのエメラルドのような瞳は、輝きを取り戻しつつあった。
だが……今の彼女の瞳はまるで捨てられた子犬か、はたまた迷い子のようだった。
行き場を失った
「―――僕も、分からない。けれども、君は、僕達は知らないといけないと思う。ランクスが死んでしまった経緯を」
「けいい?」
小首を傾げてイリスは尋ねる。
「彼がどうして死んでしまったのかを知らなければならない、ということだよ」
「歌しか歌えない
だがそんな彼らとは、違う。
アルシャインは
彼女達は何も考えない。
彼女達は言いなりだ。
彼女達はただ、無意味に言葉を囀っているだけ。
そんな
そして、ちゃんと人の子である
だがイリスは違う。
友であるランクスが人の子に戻してやりたい、自分に何かあった時は、遺志を引き継いで欲しいと頼まれた
自分で物事を考えられる、その辺にいる、ただ歌うことを教え込まれただけの有象無象な
だから、アルシャインは手を差し伸べた。
「君も、知るべきだ。知りたいと、思っても良いことだ。だから、一緒に探そう。僕の友が、君の主人が、どうして死んでしまったのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます