Ⅳ
暗い夢、明るい夢……夢から目覚めた瞬間に、明るい日の光が目に入った。
ふかふかのベッド、枕、布団、そして手触りの良い寝間着。
自分は、思い出の詰まった優しい屋敷に戻ってきたのだろうか。
何度か目を擦って半身を起こそうとしたが、力が入らず寝返りを打っただけだった。
仕方なく周囲を見回してみると、それなりに良い品は揃っているが記憶の中にあるリヴラ卿の屋敷の一室とは似ても似つかなかった。
「ここ……どこ……?」
いつか歌った歌の中にあった。
この世には天の国と、地の果てがあるらしい。
生けとし生きるもの全て、死んだら狭間の世界で次の場所を待つ。
やがて浄化の炎が魂を包み、良い行いをした者は美しい天の国へと誘われ、悪い行いをした者は醜い地の果てへと追いやられる、という物語になぞらえた歌。
「ご主人様……?」
ようやく主人の元へと行けるのだと思っていたけれど、ここはまだ、悪夢の続きなのだろうか。
もう一度眠れば、今度こそ主人の元へ行けるかもしれない。
ここはきっと、天の国と地の果ての狭間の世界。
浄化の炎に焼かれながら、今に審判が下されるのだろう。
もし、もしもそうなら……どうか、主人と一緒の世界に行けますようにと祈る。
不意に、ドアが開く音がしてイリスは目を開けた。
知らない青年と、見覚えのない執事やメイドが数人、部屋へと入ってくる。
どうやら自分はまだ死んでいないらしい。
「目が覚めたかい?」
「……。ここは、どこ……? 狭間の世界……? えっと、ご主人様は?」
イリスが問いかけると、青年は執事が用意した椅子に腰をかけた。
「君はまだ死んじゃいない。ここは、僕の屋敷だよ。僕はアルシャイン。アルシャイン・タラズ・アクィラ。今は亡きリヴラ卿の友だ」
「ご主人様の……友……? えっと、アル、シャイン……様。あの、ご主人様は……?」
「リヴラ卿は……友は……君の主人、ランクスは―――死んだよ」
やはり、悪夢でも何でもない。
現実だった。
「やっぱり……ご主人様は、死んだのね……。ねぇ。私を、どうして……? もう少しで、ご主人様のいる所に、行けたかもしれないのに……」
「そうなる前に、保護出来てよかった。君が死ぬにはまだ早いよ」
イリスにとって主人は絶対だ。
放逐されたり店先以下の悪辣な環境で逃走をしたりしない限り、
そんな主人がいない世界で、まだ自分は生きていかなければならないのだろうか。
「私は……ご主人様がいないと生きていけません。お願いします。アルシャイン様。私を、どうか……ご主人様の所へ連れて行ってください……」
「それは出来ない」
明らかな拒絶に、イリスは唇を噛む。
こんなにも主人の傍に行きたいのに。
主人のいない世界にイリスの居場所はないのだから。
「頼まれていたんだ。もしも自分の身に何かあったら、君を……イリスを、保護して欲しいと。最も、僕が保護しに行く前に君はランクスの強欲な親戚達に身包み剥がされて屋敷を追い出されてしまったんだけど……彼の元従業員達が教えてくれて、ようやく見つけたんだ。安心して。僕は、君を助ける為に探していたんだ」
主人とは違った柔らかな声に、イリスは安心する。
「今、スープを用意するんだけれど……食べられる?」
イリスが頷くよりも早く、スープと聞いただけでお腹がくぅ、と小さく鳴った。
恥ずかしい。
リヴラ卿と暮らして色んな感情、考え、感覚を知ったのが、特に顕著に出てしまいイリスは迷う。
食べたい、と主人以外の人に望んでもいいのだろうか。
イリスが答えを迷っている間に、アルシャインは指示を出す。
「ルーナ。スープを持ってきてあげて。それからギー。クッションと、机を」
「かしこまりました」
「はい。坊ちゃま」
メイドの一人、ルーナと呼ばれたメイドと、ギーと呼ばれた老齢の執事はすぐに部屋を出ていく。
用意されている間、手持ち無沙汰でイリスは自分の髪に触れる。
しばらくの路上生活でくすんでいた自分の金の髪はいつの間にか手入れが施され、再び元の美しさを取り戻していた。
「えぇと……その」
「色々、聞きたいこと、言いたいこと、話したいことがあると思うけれど、それはゆっくり休んだ後にしよう?」
「……。はい」
すると、ギーと呼ばれた執事がベッドの上でも食事が出来るようにとベッド用の机を設置し、そこにテーブルクロスが敷かれ、きらきらと煌めくスープが入ったスープ皿と、シルバーのスプーンが用意される。
「食べても、良いの……?」
「もちろん。君の為に用意したんだ。せっかく保護をしたのに、君を死なせてしまったら僕は死んだ後、狭間の世界で地の果てを行くことになるかもしれない。君に食べて欲しい。僕の友、ランクスの為に」
震える手で、スプーンを取り、一口スープをすくい上げ、そのまま口元へ運んで嚥下した。
温かくて、優しくて、イリスは涙を零す。
「おい、しい……美味しい……っ……あたた、かい……」
そうしてイリスは、何日ぶりかの温かいスープを口にしたのであった。
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