Ⅱ
ステラ小国リヴラ領の領都ヒュムヌスの町の貴族達の間では、素晴らしい
領都から王国へその流行は広がり、流行が広まりきった当時は
イリスも貴族である主人に買われた
美姿、美詩、美声。
いずれを取っても非の打ち所がないほど。
誰も彼も―――ステラ小国の王族からでさえ
「私は……何も、いらない……。ご主人様が、褒めてくれる……。ご主人様の為だけに歌えたら、それだけで……」
良かったのに。
ある日突然、その幸せは崩れ去った。
主人の命令で髪を整えてメイドと戻ってきたその日だった。
イリスの主人―――ランクス・ボレアリス・リヴラ―――若きリヴラ領の領主は、死んだ。
何が何だか分からない間に、彼の親戚一同が集まって家令、メイド達に命じたのである。
―――残念ながら、貴様らの主であるリヴラ卿は死んだ。
―――
―――銅貨の一枚も与えるな。
家令、メイド達は口を揃えてイリスを守ろうとしてくれた。
―――匿った者、銀貨の一枚でも与えた者はこの国から追い出す。
貴族の命令……今やリヴラ領の領主代行となった私の言葉が聞けないのかとリヴラ卿の叔父に脅され、泣く泣くイリスを町へと置いていったのだ。
「ごめんなさい……貴女を守ってあげられなくて……。こんな酷い仕打ちをするしかない私達を、どうか許して……必ず、助けるから……それまでは、どうか……」
馬車に乗せてヒュムヌスの町へと連れて来たメイドの一人は心の底から泣いてくれ、馭者も何度も謝ってくれた。
「いいの。ご主人様がいない家には、私はいられない……皆も言ってたから、分かるわ。ご主人様の家族の人の命令には、背けないもの」
絶対服従。
その言葉が脳裏に浮かんで、イリスはそう口にした。
「イリス嬢。これを」
家令がこっそりと持たせてくれたのは、主人がイリスに与えてくれたものの中でも最も高価な櫛だった。
遠い異国……東の果てにある島国から持ち込まれたという櫛である。
「これを売れば、最低でも半年から一年近い分の路銀となり食も手に入りましょう」
そして―――路上生活が始まった。
初めの方は家令や執事、メイド、馭者がこっそり食べ物や銅貨等を与えてくれたがそれも数ヶ月前に途切れてしまい、今では屋敷で見知った顔はすっかり見なくなってしまっている。
手渡してもらえた櫛は、売らなかった。
主人との、唯一の絆だから。
立つこともままならなくなったイリスはそのまま冷たい道の上で横になる。
「このまま、死んでしまうのかしら……」
寒さ。
空腹。
疲労。
奇跡のエメラルドとも称された瞳は淀み、花のかんばせと呼ばれた頬はこけ、雪のように滑らかで美しかった肌は青白く荒れている。
窪んだ目で空を見た。
宝石をぶちまけたように燦然と輝く星々と、淡い光を放つ月がイリスを見下ろしている。
手を伸ばしても天は遠く届かない。
「ご主人様……」
本当にこのまま、死んでしまえる気がした。
そうすれば大好きな主人の元へと行くことが出来る。
優しい主人の傍にいて、いつまでも歌を歌うことが出来るだろう。
その方が、今の苦しみよりずっと、ずっと幸せであるような気がした。
「死んだなんて、嘘だって……そう、言ってくれたら……」
ただ、遠い国に行ってしまっただけ。
今見ているのはきっと、悪い夢。
目を閉じて眠ろう。
目が覚めれば、いつもの通り温かいベッドで、主人と幸せな一日が始まるかもしれない。
悪い夢を見ていたのだって、優しい主人と話が出来るだろう。
静かに目を閉じたその瞬間。
人が近寄る気配がしてイリスはうっすらと目を開けた。
主人だろうか。
自分を、迎えに来てくれたのなら、どれほど嬉しいことだろう。
「ご、主人、様……」
手を伸ばすことも出来ず、プツリ、とそこでイリスの意識は途絶えた。
彼女を見下ろした青年はそっとイリスの瘦せこけ、冷たくなった頬を撫でて言葉を紡ぐ。
「イリス。今は亡きリヴラ卿の麗しき
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