アファメーションで幸せを【テーマ:21回目】

のセットお願いします」

「……の朝食セットでよろしいですか?」


 ――わー、またやっちゃったー!


 店内飲食の予定を急きょ持ち帰りに変更し、あたしは真っ赤な顔で一人暮らしの家に逃げ帰った。

 とあるファストフードの朝食メニュー、「グリドルサンド」にどハマりして数ヶ月。グリドルとはパンケーキをアメリカ風に言ったグリドルケーキの略だが、そのパンケーキを使ったサンドの甘辛具合が絶妙なのだ。休日の朝は駅前まで散歩し、これを食べて帰るのがルーティンになっている。

 そこまでのファンなのに、なぜか商品名を間違える。「グリドル」を「グラドル」と。

 なんでだろ。別にグラドルに関心ないのに。彼女らは同じ女性ではあるが、お顔もスタイルもびゅーちふる&セクシーな別の生き物だ。いたって普通人のあたしとは接点がない。

 ま、そのへんはどうでもいいけど。

 あたしはテーブルに持ち返ってきた袋を置き、手を洗ってから、きちんと座り直した。おうちごはんに変更したとて、これを食べるそのときが幸せ時間なのに変わりはない。

 袋から買ったものを取り出して並べ、さっそくメインのグリドルサンドを手に取る。ああ、もう味が口の中に広がるよう。さあ、早く……かぶりつくその瞬間を思い描き、包装紙を開いていったそのとき、あたしははっとした。

 中のものと目が合ったのだ。


「ハーイ」


 ……目が合う?

 あたしは固まった。

 開いた紙包みの中に、ちょうど寝そべるようにおさまったモノが、手を振っていた。

 え。何これ。小さい女の人――?


「ハイ、初めましてお姉さん……て、ちょっと! なんで包み直すのよ!」

「気のせい、気のせい、これは気のせい……」

「違うわ! 出して! こらー、開けてー!」


 紙包みがもじょもじょしてる? いーや、そんなはずはない。

 あたしは深呼吸した。自分に向かって、ひたすら呟く。

 落ち着けあたし。きっとあたしは、お腹がすいて、おかしくなっている。

 よし、もう一回深呼吸。落ち着いた? では、もう一度包みを開こう。

 3、2、1。ほら、そこにはちゃんと、大好きなグリドルサンドが……


「もぉ、なんてことするのよ! びっくりしたじゃない!」


 ――なかった。

 あたしはもう一度、手の中をまじまじ見る。やはり、小さい女性。一瞬、そこが夏のプールサイドに見えたのは、彼女が豊かな肢体に白いビキニをまとっているせいだろうか。顔立ちもエキゾチックで色っぽい。着せ替え人形のバービー似。

 でも「この人」は、人形じゃない……みたいだ。


「あ、あの……あなたは……」

「アラやあね、お望みのグラドルよ、ワタシ」


 グラドル――。あたしははっとした。


「ちょ、待って。それ、あたしが言い間違いで注文した『グラドル』が、あなたってこと!?」

「正確に言うとぉ、あなたのアファメーション的行動によって産まれた存在ね♪」

「? アファメーションって何ですか」

「知らないのぉ? イメージは現実になるという考えのもとに、肯定的な言葉を何回も唱えて、それを現実化させるっていうココロのエクササイズよ。まあ、アナタがしてたのは肯定的宣言アファメーションではないけど、ほぼそれとおんなじね。だって、グラドルって頼むたびに“グラドルはビューティフルでスタイルが良くて云々……”と具体的に思い描いてたんだもの。だから、通算20回でワタシが出現したってわけ」


 彼女が紙をがさがささせながら姿勢を正そうとしたので、あたしは彼女をテーブルに立たせた。すかさず顎をひき、立ちポーズをキメる彼女。

 むむー。サイズこそ人形だけど、確かに見た目は、あたしの中にあった「グラドル」のイメージそのもの。だけど……。


「確かに20回は間違えすぎだけど、そんなことで、こんなことが起こるもんなの……?」

「あらアナタ、たった20回で現実化するってすごいのよ。アファメーションっていうのは、本当なら1000回はやらないと現実化しないのよ。アナタのイメージ力は、とびっきり強いってことよ! 才能よ! ほめちゃうわぁ」


 彼女はぱちぱち拍手を始めたが、あたしは答える気が失せて、そのまま机に額を預けてしまった。「アラどうしたの?」と声が降ってくるが、顔が上げられない。

 これ、本当に現実なの?

 それに、このあとどうしたら?

 彼女の言葉を信じるなら、彼女は「生まれてしまった」のだ、あたしによって。ということは、ひょっとするとあたしは、今後一生、彼女の面倒を見なければならないのだろうか?

 急に不安が襲ってきた。

 あたしは人付き合いは得意じゃない。人といると疲れるから、友達も多くない。さらに、クラスの一軍的キラキラ女子は、正直合わないと思って避けてきた。

 なのに、ミニサイズとはいえ超一軍の『グラドル』女子と、あたしが一緒に暮らすわけ……?

 と、そこに絶妙なタイミングで彼女の声が降り注いできた。


「ねーところで、アタシの着る服、買ってくれる? いつまでも水着じゃ困るわぁ。あと、お腹空いたからポテトもらっていい?」


 ……あ。やっぱりあたしが面倒みるのね……。

 机の下に向かって、あたしは深いため息を吐いた。


**


「アナタ、それ着るならスカートは絶対こっちよ。あと、ピアス大きいのにしない? それじゃ存在感ないと思うわあ」


 ベッド上に広げた服と、鏡に映るあたしを見比べながら、彼女が遠慮なく意見をぶつけてくる。あたしは素直に指示されたスカートを身に着け、別のピアスを手に取って、彼女の方に向き直る。


「こっちならいい?」

「いいんじゃない?」


 彼女はベッドの端まで歩いてくると、あたしの頭からつま先までさっと目を走らせて、頷いた。


「うんうん、泉ちゃんもオシャレが分かってきたわねぇ。ちょっと前まではザ・地味でメイクもでたらめだったけど。これもアタシのアドバイスのおかげね」

「はいはい。ご指導ありがとうございます」


 彼女――バービーをもじってバンビさんと名付けた――の出現から2週間ちょっと。

 意外なことに、あたしはこの共同生活に慣れていた。

 バンビさんはどういうわけかファッションやメイクの知識を持っていて、あれやこれや、あたしにアドバイスにくれた。「アナタ、その格好で仕事に行くの?」と最初はなかなか辛辣だったけど、従っているうちに、あたしも工夫が楽しくなってきた。今では、通販サイトをのぞくときもバンビさんが横にいて、「ねえねえ、これカワイイ! 買いなさいよ!」とか、あたしよりはしゃいでいる。女友達と服を選ぶなんて、実は今までしたことがなかったけど(そういうのはキラキラ系女子がするものだと思っていた)、こんな楽しいと思わなかった。

 一緒に食事をするのも、楽しい。バンビさんのおしゃべりにつきあって夜更かしするのも、楽しい。

 そして今からの、初めての一緒のお出かけにも、ちょっとわくわくしている。


「バンビさんは支度できてる? 行こっか」

「アナタが『グリドル』食べに行くの、あの日以来ね」

「うん。バンビさん連れて外に行くのが不安だったし」

「だけじゃなくて、恥ずかしかったんでしょーぉ?」

「もう言い間違いしません!」


 バンビさんは人魚のように身体をくねらせ、「大丈夫かしらぁ?」と言いながら、髪をかき上げてキメ顔をした。この無駄にポーズを取るクセはなんだかなと思うけど、ま、誰か来たときに人形のふりをしてもらうにはうってつけか。

 あたしは彼女をカゴバッグの底に座らせ、銀色のサンダルを履いて外に出た。まだ低くもパワーのある夏の日差しと、湿気を含んでゆらめき立ち昇る空気の肌ざわり。今日も暑くなりそうだなと思った。


**


 駅前まで10分。いつもの店はいつもの場所で、あたしのことを待っていた。自動扉がシュッと開くと、大きな「いらっしゃいませー」の声に迎えられるのもいつものこと。

 いつもいつもと言っているけれど、前回の来店から少し開きがあるので、なんだかちょっぴり懐かしいみたいな気持ちだ。あたしはふふふと小さく笑いながら、カウンターの前に歩み寄った。


「おはようございます。ご注文、お決まりですか」


 もちろん、頼むものは決まっている。


「はい。ええと、の朝食セッ――」


 ……あ。

 あ。


「お客様、グリドルサンドでよろしいですか?」


 ――ああー! またやっちゃったーっ!


 あたしは天を仰いだ。

 通算21回目。


 カゴの中のバンビさんがお腹を抱えてじたばたしている。声こそ殺しているが大笑いだ。あたしの顔を思いっきり指さして。

 うるさいうるさい。なによいいじゃない、バンビさんが生まれられたのは、あたしの言い間違いとイメージ力のおかげなんだからね。

 カゴの中に向かい、唇で怒ったように「うるさい」を連呼しながら、でもあたしは突然――まったく突然にわいてきた感謝の念の中で、本当は泣きたくなっていた。

 急に現れたバンビさんとの生活が、こんなやりとりが、楽しいだけじゃなくて幸せなんだと、不意に実感したからかもしれない。何でも言いあえる友達。言い間違えたらゲラゲラ笑ってくれる友達。それは、地元を離れて就職してからは得られなかった、貴重な存在だったから。

 バンビさんを授けてくれた言い間違い。

 ああ、それは確かに、あたしに幸せをもたらす肯定的宣言アファメーションだったに違いない――。


「お客様? あの、店内飲食でよろしかったでしょうか」


 おずおずとした店員さんの声に、あたしははっと我に返る。


「あっ……あ、はい。店内で」

(アラ、開き直った。さすが21回目ともなると度胸が据わるわねぇ)


 うるさいってば。

 唇ではそう返しながら、あたしは心の中で、別の言葉を呟いていた。

 バンビさん、これからもよろしく。


**


 しかし、その数分後のこと。

「こんにちはー。うふっ」

 あたしは絶句した――包装紙の中から出てきた、ふたりめの『グラドル』を目にして。

 「アナタほんとすごいわねぇ。今度は言い間違い一発で出現よ♪」とバンビさんはのんきだが、この事態は想定外にも程がある。

 どうすんのよ。すきっ腹を抱え、あたしは机に突っ伏した。

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