古代からのメッセージ【テーマ:私と読者と仲間たち】
「……さて、本講座『巌元町・郷土民俗学ミステリー』では、ここまで6つの地域の謎と、それにまつわる言い伝えなどを紹介してきました。さっとおさらいしますと、盛夏でも乾かないお化け石、夜に泣き声を響かせると噂される古柳、なぜか肩を組む六地蔵、猫明神をお祀りする珍しい神社、いつ誰が何を祀ったかわからない謎のほこら、白い鯉の神様がいるという古池。まあ、“こんなの、どこにでもあるたわいもない話だよ”といわれればそれまでですが、そのたわいのない話が、柳の木を拝むという行動とか、池の主のためにお米を撒く地元のお祭りとかといった、地域の風俗風習につながっていくわけです。人にはもともと伝説やロマンに憧れ、想像を働かせる性質がありますし、見えないものを大切にしたい欲求のようなものもそなわっている。そんなことを考えさせられます」
若い演者はそう言い終えると、パワーポイントなるものを切り替えた。
ここは公民館というやつで、小耳にはさんだところによると、こういう一回限りの講演とか講習とかいうものは良く開かれているらしい。中でも、この講演は人気だったらしく、会場はいっぱいだ。
「では、今日の最後の話題です――」
写真が映し出されると、会場から、ああ、とか、おお、という、ため息のような声が漏れた。「あ、もう皆さん、お待ちかねなんですね」と演者はにやりとし、それから改めてスライドを見上げ直して、言った。
「そう、今日の講演の副題は、『6つの謎に、洞窟で見つかった最新の謎を添えて』です。今からご紹介するのが、その最新の謎。つい先日、地元の巌元洞で見つかったペトログリフですね。2ヶ月ほど前に行われた洞窟内の調査でたまたま発見されて、大いに報道を賑わし、ちょっとした内容解読ブームみたいなものも引き起こされましたので、皆さん関心が高いことと思います」
皆が乗り出さんばかりにスライドを見つめている。ひっそりと会場の片隅にいる俺も、そちらに静かに意識を移した。
「ご存じのように、ペトログリフとは、岩に刻まれた古代の絵文字や文様のことです。ハワイ島の溶岩石に刻まれているものなどは有名ですね。ちなみに世界でいちばん古いといわれるペトログリフは旧石器時代のものでして、それが発見された場所は確かウクライナだったと思うんですけれど、巌元洞のペトログリフは、それよりは新しいらしいです。たぶん縄文後期かなというふうにいわれています」
演者は楽しそうに胸をそらした。その表情は少しだけ笑みを帯び、きらめいているように見える。見回せば、会場で聴いている面々も、同じような顔だ。「ワクワク」の色ってのはいいもんだ。部屋の天井から落ちてくる照明のそれよりずっと明るく強い光が、この場全体に満ち満ちるような気がする。
「これはまだ見つかったばかりで、詳しいことはこれから、考古学の先生方がご研究されるところです。ですから肩透かしをするようですが、残念ながら、今のところ、これ以上説明できる材料はないんですね。とはいえ、専門家でないからと言って、私がこのペトログリフの意味を考えてはいけないということではございませんので、あくまで私の想像ではありますが、このペトログリフが何を示しているのか、ひょっとしたらこうかなと思うところをお話ししてみたいと思います」
俺はゆっくり居ずまいを正す。面白い。果たして彼は、真実を読み解けるのだろうか? お手並み拝見だ。
「えーと」
演者はひと呼吸してから、話し始めた。
「このペトログリフが刻まれていたのは巌元洞の岩壁の、ちょうどスケッチブックくらいの大きさの、小さな四角い平面です。写真をご覧いただければ分かりますが、その四画の上と下に、波線が複数本引かれていますね。線と線の間のエリアには、バツ印のようなものがふたつと、ぐるぐるの渦巻きがひとつ。他に、丸い形をふたつつなげた、数字の8のような意匠がいくつか入っています」
演者は言いながら、その意匠とやらを一つひとつ、画面の中の矢印を動かして示していく。
「ペトログリフの多くは、文字のない時代に、地域や部族にとって重要な情報を伝えるという意図をもって描かれたものと考えられています。たとえば地形や土地の境界線を示す地図のようなものですとか、星や太陽などアニミズム的な考えから描かれたと思うもの、つまり宗教的・儀式的な意味を持つものですとか。おそらく巌元洞ペトログリフも、それらと同様の意味を持っているのだと思うんですね」
会場の人々が頷きながら、次の言葉を待っている。
「たとえば上の波線は天、下の波線は海、そのように見ると、8の字の意匠やバツ印は星のようにも見えてきます。うずまきは銀河かもしれません。地上から見える天の世界を、素朴な信仰とともに写し取ったものであると考えてもいいと思います。あるいは、うずまきは永遠性や持続、もしくは魂や祖霊のようなものを示すことが多いとされていますので、死者への祈りとか、そんなものを示す可能性もありそうです」
演者は少し間を置く。
「ただ私としては、今言ったような解釈では物足りなくてですね。どうせこじつけるなら、今この地に存在するものとこのペトログリフの内容を何かこじつけられないかと思って、考えてみました。すると、巌元町の東西に川が流れていることに気づいたんですね。じゃ、もし上下の波線が川であったらと考えてみたら、ちょっと面白いことになりました。うずまきのある位置が、これまでにお話しした6つの謎のひとつ――そう、白い鯉を主とするあの池の位置に、なんとなく符合してくるんです。バツのある位置もそう。『いつ誰が何を祀ったかわからないほこら』の位置とかぶってくるんです」
へえー、ほおー、という、呟きともため息ともつかない声の中で、演者はほんのわずか満足そうな笑みを見せ、続けた。
「まあ、池はともかく、ほこらは縄文後期からあったわけじゃありません。でも、ペトログリフがもし地図のようなものだとしたら、後世に作られた神聖な建物の位置がなぜだかそこの記号の位置と符合するっていうのは、逆に面白いと思うんです。たとえば、ペトログリフのバツ印が、もともと祭祀が行われていた位置を示していたとしたらどうでしょう? 『この場所は神聖である』という意識が、何となく地域に継承されていた結果として、やがてほこらが建てられたという可能性もあるわけです。もちろんこれらは全部私の想像にすぎないのですが、そんな仮定をしてみると面白いこともあるよという話です」
スライドが切り替わり、ペトログリフの絵面は消えた。
講演もまとめの段階に入ったようだ。
「――ということで、以上、地域の不思議なものについて、ざっとお話ししてきました。特に最後にお話ししたペトログリフの話題、これは本当に素人の想像を述べたに過ぎないのですけれども、当地域でペトログリフが発見されて以来、地域の皆さんが『あんな意味かも』『こんな意味かも』と盛り上がっていたとお聞きしまして、私も解読者の仲間に加わってみた次第でございます。もしかして、今のこの盛り上がりが、何百年・何千年後の当地域に新たなる伝説、民話、風俗、風習を生み出す出発点となったら面白いなと、そんなことを思い描きつつ、今日の講演を終わりにしたいと思います。ご清聴ありがとうございました」
**
――ふん。つまんねえ。
演者も客も満足そうに会場を後にしていくのを見下ろして――そう、天井近くに浮いた状態から見下ろして――俺は唇を尖らせた。いや、唇を尖らせたいような気分になったというのが正解か。なにしろ、何千年も昔に身体はなくなっているのだから。
不満だった。まったくもって。たったのひとつも正確なところのない「解読」が。
どいつもこいつも、なぜなんだ。古代の意匠と見ると全部祭祀だの信仰だのと結びつけやがる。古代人は毎日毎日、ひたすら神に祈るしか娯楽がなかったとでもいうつもりなのか? それとも現代の自分たちと比べたらバカだという意味で「素朴」という言葉を使っているのか? 言っておくが、人間なんて、古代から大して変わっちゃいないんだぞ。
俺は、古い古い記憶を呼び起こす。あの岩壁を、硬い硬い石でひっかいていたあの頃に、しばし思いを馳せる。
あの洞窟の奥は――俺の遊び場で秘密基地だった。あそこに入ってしまえば誰にも見つからず、長いこと考え事ができるから、俺はあそこに隠れては、自分で好きに物語を考えて楽しんでいた。
そのうち、それじゃ飽き足らなくなって、自分の頭の中にある物語を岩に刻んだ。もっとも当時は文字がないから、自分だけにとって意味を持つように記号を配置して、それを見て頭の中で思い出すといった――いわば覚え書きというか、設計図というか、そんなような代物。
そう。あのペトログリフを描いたのは俺だ。あれは俺の空想した物語のかけらなのだ。学者が言う、縄文後期に生きていた俺の――。古代にだって空想があり想像があり、虚構があり物語があった。現代にたくさんの物語の綴り手がいるように、俺もまた、そんな存在のひとりだったのだ。
いつか、岩に描いた俺の物語を、それと読み解いてくれる「読者」が現れるだろうか。いつか誰かがわかってくれるだろうか。
そのときがくればなと思う。
そうなれば、俺も心残りがなくなり、晴れて天に行けるのだから。
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