次の文章を入力せよ【テーマ:スマホ】
拝啓 ガラケー様
ガラケーさん、お元気ですか?
久々にあなたのことを思い出す出来事があって、このお手紙を書くことにしました。正確に言えば、手元にあるのはスマートフォンですから、入力しているということになるのですけれども。
スマホ。使いはじめてしばらく経ちますが、わたしは相変わらず、この光る板切れに慣れません。だってあなたみたいに可愛くないんです、こいつは。折り畳まれてちちごまるあなたの可愛らしさ、押せばしっかりと感触を返してくれる頼もしいキー、スマホには何もありません。
それにね、実はとっても危険な存在ですよ。このスマホにはその人が入っているといっても過言ではありませんから。アプリ――あ、「アプリケーション」のことです――を見てみれば、その人が他の人とコミュニケーションを取るツールも、買い物しているサイトや使っている銀行も、ヒマつぶしに使っているゲームも、聴いている音楽も、興味を持っているコンテンツも、全部わかっちゃいますから。ああそうそう、マッチングアプリなんていうのもありますよ。それが入っていたら、その人が恋人または結婚相手募集中だってことが読み取れてしまうというわけ。
そう、スマホはphoneと名乗っているけれど、もはや電話はおまけ程度の存在価値なのです。いまや人は片時もスマホを離しません。もしかしたらそこでスマホを見ている身体はからっぽで、スマホのほうに魂が入っているんじゃないのかとさえ思います。
ガラケーさん、あなたもまた、メールもできれば写真も撮れる、インターネットにもつながる、そういう存在ではありましたね。でもあなたは、あくまでも「携帯電話」でした。家の電話の受話器に似たあの形は、思えば「わたしは電話である」というあなたの矜持であったのでしょう。
しかしこの時代、いかにスマホに電話であることを求めても――あるいはスマホに電話であってほしいと願っても、それはかなわないのだと、わたしは実感しました。わたしは、スマホとはあくまでもあなたが――そう、ガラケーさんが姿を変えただけのものだと捉え、そこに身体を受け渡すことを拒否しようとしてきましたが、ついにわたしの一部を渡さざるをえない状況がやってきたのです。
ついこのあいだ、わたしはチャットグループでの議論に参加しました。
今までわたしは、スマホ上でも、ほぼ一対一のコミュニケーションしかしないできたのです。しかし、複数の人間が同じ画面の中で語り合う場面に参加して、わたしは目を回しそうになりました。
会話が早い。発言できない。
発言だの会話だのとわたしは表現していますが、そこには文字しかありません。誰も声は出していません。でもそこにあるのは会話でした。声を出すという機能を使わないのに、声を使うのと同じくらいのスピードでどんどん進む、画面上の会話。わたしはそこに口をはさむことができませんでした。入力しているうちに、話がどっかにいってしまうのです。
どうして。なぜわたしはついていけないのか?
その理由が分かったのは、ついこの間のことです。会社のランチ後の休憩時間、わたしはまたチャットアプリを使っていました。大勢でわいわいではなく、ひとりと長文をやりとりしていたので、まあ安心してぽちぽちと入力していたわけです。
と、そこに横から影がかぶさってきました。仲の良い同期が、のぞきこんできたのです。
「ん?」
気になって見上げると、彼女は、あからさまに驚いた顔をしていました。
「ねえ、ひょっとして、トグル入力してる?」
「トグル入力?」
わたしが聞き返したら、彼女はもっと驚いた顔をしました。
「知らない? じゃあフリック入力って知ってる?」
わたしが「何よそれ」と答えると、彼女、「えーっ!!」と大声になって、のけぞりました。
「まってまって、フリック入力、知らないの!? それじゃ入力大変じゃないの? トグル入力で何回も連打するんじゃどうしても遅いでしょ? フリック入力覚えなよ。覚えたほうがいいと思うよ、絶対!」
……。
ああ、ガラケーさん、ちんぷんかんぷんでしょ? そうです、わたしもでした。ちょっと説明しましょう。
あなたで文字を入力するときは、わたしたちはキーごとに割り当てられた「あ」「か」……など五十音の各行の頭文字を見て、それを目当ての字が出るまで連打する方法をとっていましたよね。「う」を入力したかったら、「あ」のキーを3回押す。そうしたら、「あ」「い」「う」と切り替わって、「う」が入力できる。
それをわたしは、何の疑問もなくスマホでもやっていました。それです。同期がトグル入力と呼んだのは、ガラケーさんでのやり方を踏襲した入力方式のことだったのです。
対して、フリック入力。これは、「あ」の周りに「いうえお」、「か」の周りに「きくけこ」……と、各行の先頭の文字を囲むように表示される文字に向かい、指をスライドさせることで入力する方法です。スマホ独特の入力法で、当然ですが連打が必要なトグル入力より、スライド一回ですむこちらのほうがずっと速い。
だからみんな、文字で会話ができたのだと、わたしは納得せざるを得ませんでした。みんないつの間にか、こんな方法を修得していて……わたしは、置いていかれていたのです。
ガラケーさん。
私はもうずいぶん前にあなたを手放しましたが、今ここで、本当にあなたを手放さなくてはなりません。あなたの遺産・トグル入力をやめることで、「しゃべる」という身体の機能を、スマホに一部移行するときがきたのです。
許してください。わたしはあなたが好きでした。本当はあなたを手放したくなんかなかったし、今だってあの連打の技を使いたいと思っています。慣れないフリック入力でここまでこの文章を書いてくるのが、いかに難行だったか。途中で指がつりそうになりました。
信じてください、ガラケーさん。わたしはスマホに魂を吸い取られるのなんかごめんなんです。スマホに自分の身体の機能の一部たりとも、本当は受け渡したくないのです。でも、時代というものは残酷なもの。わたしは生まれ変わるしかありません。そうでなければ、もう時代についていけないのです。
でもガラケーさん、わたしは誓います。わたしはトグル入力をやめても、あなたのことは決して忘れません。それに、このスマホにも言い続けます。「覚えておけ、お前はどこまで進化しても電話だ。わたしはお前をわたし自身にはしない。お前はわたしになるべきではないのだ」と――。
ガラケーさん。ありがとう。愛していました。
そしてあなたの遺産よ、さようなら。
本当にありがとう。
**
「一生懸命、昼休みに何やってるのかと思ったら」
わたしの横に影がかぶさる。同期だ。
わたしは顔を上げずに画面をはじく。
「うん、入力の練習してたの」
「この間、チャットの流れについていけなかったの、よほど悔しかったんだね?」
「うるさい」
同期はスマホ画面にずらずらと並ぶテキストを目で追って、大きく息をつく。
「しかし、フリック覚えるためにガラケーへの愛を入力するって、なんかすごいわ。よくやるわ」
「愛じゃない、決意よ決意。わたしはスマホに身体も魂も売らないぞっていう決意だよ」
「ふーん。どうでもいいけどフリック慣れた?」
うん、慣れた。
わたしは答えた。
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