たかいたかい【テーマ:ホラーかミステリー】

――ねえ。たかいたかいして。

――たかいたかい、してよ……


**


「うっそ。出たの?」

「ほんとほんと。うちのお姉ちゃんが見たって」

 体育館に出ていくと、丸くなって盛り上がっている後輩軍団に出くわした。

 あたしはぽかんと彼女らを眺めた。おーい、いいのか一年生? 今から部活なのに、誰もボールひとつ準備しないで。いったい、何にそんな夢中になってるんだろう。

「もしもーし。何しゃべってるのー?」

「わっ、センパイ!」

 全員がびくっと肩を震わせてこっちを向いた。あー、あたしが来たの、まったく気づいてなかったのか。

 体育会系の常だけど、何しろ後輩らは「先輩は神様として扱え」と言いきかされているから、こんなときは恐縮しまくって大変だ。あたしは急いで両手をパーにして、あたふたと動き出そうとする彼女らをおしとどめた。

「違う違う、怒ってない。ただ何の話かなって本当に思っただけ。ねえ、何? 出たって」

「先輩、知ってます? 『たかいたかい坊や』って」

 すぐ立ち直ったひとりが言った。あたしは首をこてんと傾けた。

「たかいたかい坊や?」

「あっ、知りませんか。最近、学校の坂を下りきったとこの、公園らへんで出るって噂になってるんですけど」

 この高校は丘のてっぺんにあって、正門を出たらすぐ下り坂がある。その坂を下りきったところの公園というのは、住宅に挟まれたせっまい空き地にブランコを置いただけの、何の特徴もない児童遊園だ。基本あたしたちは通り過ぎるだけ。

「へー、あのへんで? 『たかいたかい坊や』って言ったけど、何それ。オバケ?」

「目撃情報はわりとリアルで、オバケだか何だか分かんないんです。とにかく、暗くなりかけたくらいの時間に、たかいたかいしてって言ってくる小さい男の子が出るんです。ね」

 話していた後輩が別のひとりを見やる。視線を受けた後輩が、力強く頷いた。

「昨日の帰り、私のお姉ちゃんが会ったんです。公園の前を通り過ぎようとしたら、『ねえ』って呼ばれて、えっ?て振り向いたら男の子がいたんですって。で、『なあに?』て答えたらその子、『たかいたかいして……』って言いながら、お姉ちゃんのほうにゆっくり歩いてきたらしいんですよ」

「えー。こっわ」

 初めて聞く話だ。「こっわ」と言いつつ、どっちかというとあたしは少しわくわくしている。こういう話は嫌いじゃないのだ。トイレの花子さんとかと同じジャンル。

「ね、それで? たかいたかいしたの?」

「しないですしないです! だってその子、ゆっくりゆっくり距離詰めてきたらしいんですよ。『してほしいな。たかいたかい』『たかいたかい、してよ……』ってブツブツ言いながら」

「うわ。何かゾンビっぽい」

「ですよねですよね! だから、『あー、また今度ね~』って愛想笑いして、うちまでダッシュで逃げてきたって話でしたよ」

 へー、面白ーい、とあたしはさらに話に食いつこうとしたのだけど、でも、会話はそこで終わりになった。あたし以外の上級生かみさまらが、体育館に姿を現し始めたからだ。

 今度こそあたふたセッティングを始める後輩たちを見送りながら、残ったあたしはストレッチを始める。頭上にぐーっと手を伸ばすところから始めちゃったのは、「たかいたかい」の話の影響、かもしれない。


**


 で、この流れって、ちょっと出来過ぎじゃないのかな。


 帰り、思いがけずあたしはひとりになってしまった。自転車のカギを無くしたのだ。あわててカバンを探し、部室を探したけど見つからず。職員室にも行ってみたけど何も届いていないという。

 諦めたあたしは、閉門時間ぎりぎりに、徒歩で校門を出た。学校から続く長い坂を、てくてくと下っていく。

 空はまだ色を残していたけれど、秋の夕日はもう沈みきって見えない。あーあ、着く前に真っ暗になるなこりゃ、と思っていたら、頭上の街灯がぱっと点灯した。

 ふと、後輩の言葉がよみがえった。


 ――暗くなりかけたくらいの時間に、たかいたかいしてって言ってくる小さい男の子が出るんです――


 おいおい。あたしは声に出して呟く。暗くなりかけって、今じゃん。これって、たかいたかい坊や登場フラグ立ってない?

 長い坂の中間地点を過ぎた。人もいなければ車も自転車も通らず、両脇の住宅にも人の気配を感じない。さっき点灯した街灯は無機質に白く光っている。

 急に、うすら寒いような気持ちになった。

 あたしは少し歩幅を広く取った。下り坂のおかげで、ペースが速まった。とにかく、この坂をとっとと抜けよう。例の公園の前も、そう――一気に抜けちゃえばどうってことない。

 と、思ったのに。

「ねえ」

 あたしは、立ち止まらされてしまった。

 そのまま行っちゃえばよかったのに? あたしだってそう思ったけど、それができなかった。声の主は、早足で去ろうとするあたしの、スカートのすそをしっかり握っていたからだ。

「よしてよ」

 怖いより困ると思って、あたしは向き直りざまスカートをひっぱり返した。そう長くもないスカートだ。このままじゃめくれて、やりたくもない大サービスをすることになりかねない。

 相手はあっさり手を離した。「ごめんなさい」と呟くような声が聞こえる。

 あたしはもじもじした様子で目を伏せている相手を見下ろした。帽子をかぶった小さな頭、長袖のTシャツとデニムのハーフパンツ。4歳くらいの男の子? いや、もう少し大きい? あんまりよくわかんないけど。

「あたしに何か用?」

 思い切って、あたしはきいてみた。

「ぼ……ぼく、」

 子どもが口をきいた。さっきの「ごめんなさい」と同じ、かぼそい声だった。

「ぼく、かえれなくて」

 帰れない?

 出会っちゃった場所は、確かにドンピシャで公園前。でも、受け答えが成立する時点で、今日の話から想像したゾンビライクな『たかいたかい坊や』とはかけ離れている気もする。

 関わったもんはしょうがない。あたしはその場にしゃがみ込んで、子どもと自分の顔の高さを合わせた。子どもはうつむいて、自分の靴の先を見ている。

「迷子?」

「そうじゃないけど……一人じゃこわい」

 一人じゃ怖い……怖いのはこの暗さ? ううん、違うだろうな。だったらこんな時間までここにいないはず。

 ぴんときた。家に帰るのが怖いのか。あたしにも経験がある。怒られて家を飛び出して、帰ったらまた怒られるんじゃないかって怖くって、誰もいない公園でぐずぐずしていたことが。

「ふーん、うちで何かあったんだ?」

 言うと、子どもは顔を跳ね上げた。

「わかるの!?」

「そりゃーね。お姉さんだっていろいろあったんだよ」

「あっ……あのね、」

 子どもはまっすぐこちらを見てきた。暗がりの中で、目がきらめいた。あ、なんか「分かってくれる人見つけた!」って雰囲気……と思っているうちに、子どもはしゃべり出した。

「ぼく、置いてきぼりなんだ。こないだも怒られて、みんなで出かけるのにぼくだけ置いてかれたんだけど、今もそうなんだ」

「え? 家に誰もいないの?」

「うん。お父さんとお母さん、どっかいっちゃった」

 ……おいおい。ちょっとまった。話が重すぎる。

 考えるほどに、背中が冷たくなった。つまり今、この子は置いてきぼり……うちに帰ってもひとりぼっちってこと? これって、虐待とかネグレクトっていうんじゃ?

 ふと、あたしは思った。この子はやっぱり『たかいたかい坊や』なのかもと。ここ最近目撃情報が増えたって言うのは、つまり――誰もいない家にいられなくて、この子がここに来ていたってことで。それで、通る人を呼び止めて……。

「あっ、あのさ。そしたらあたしは、どうしたらいい?」

 あたしはとっさに出た自分の言葉に、あちゃーと思った。本人に聞いてどうする。ここはオトナとして、あたしがベンギをはかってあげるシーンだろうに。

 が、子どもはうっすらほほえんだ。

「じゃあ、たかいたかいして」

 あたしは目を見開いた。やっぱり。やっぱりこの子が『たかいたかい坊や』か――。

 でも、このシーンでねだるのが「たかいたかい」とはと、あたしはちょっと胸の奥に痛みを覚える。この子はたかいたかいが大好き。そして、きっと……寂しい。この子の親は、どれだけこの子をたかいたかいしてあげたのだろう?

 彼がもう一度、せがむように言った。

「ねえ、たかいたかいしてよ」

 あたしは少し笑った。彼のために笑顔を作った。

「うん――わかった」

 あたしは一度まっすぐ立ち上がり、それから少しかがんで、子どもの脇の下に手を差し入れる。それなりに重そう。でも、あたしだって運動部。持ち上がらないことはない。

「いくよー。そおーれっ」

 思い切って力をこめる。子どもの足が地面を離れ、全部の重みが手にやってきた。うっと思ったけど、そこをがんばってぐっと頭上まで差し伸ばす。

 空高く差し上げられた子どもが、両手をいっぱいに広げ、キャハハと笑い声を立てた。暗い空をバックにした彼の顔が、上を向いたあたしの顔と真向かいになった。輝くような笑み。

「どうもありがとう、お姉ちゃん」

 うん――腕は震えていたけれど、あたしも微笑み返す。

 と、ふっと、彼の顔に影がかかった、ような気がした。

「……でもね。ぼくが言ってるのは、このたかいたかいじゃないよ」

 え? たかいたかいって、他に何が?

 と、思っているうちに、子どもの目がぐるりと回った。

「ぼくがしてほしいのはね」


 ――他界、他界たかいたかいだよ――


**


 公園の近くの家で、不幸にして子どもが亡くなったということを、あたしは後で知った。やっぱり、ネグレクトだったのだそうだ。ひとり家に残され、閉じ込められたままで、死んだ。10歳だけど、見た目は4歳くらい。死因は栄養失調だった。

 あたし? あたしは、その本人と一緒に歩いている。

 一人では怖くて還ってこれなかったんだって。でも、あたしをつかまえたから、今は寂しくないし嬉しいって。あたしと手をつないで、楽しそうだ。


 安心して。『たかいたかい坊や』は、もう出ない。

 あたしと一緒に、他界するから――。

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