マッチアップ【テーマ:直観】
大きく手を振り出して、出したのはパー。相手の手はチョキだった。
私は天を仰いだ。勝った彼女は、その場でぴょんぴょんせんばかりに全身に喜びをあふれさせている。あーもー、羨ましい! 彼女はこれで会長候補から外れるんだ。
「皆さん、じゃんけんはすみましたか? では、勝った方はお座りください」
司会をしているPTA現会長が、会場に声をかけた。
本日開催、「次期PTA会長選抜じゃんけん大会」。「子ども一人につき一回は、役員ないし各種委員を担当すること」というPTA規約のために、私たちは招集された。ここにいるのは、次年度5、6年生になる子の親にして、今まで役員・委員を経験していない親たちだ。
当然だけど、ここまで役員をやってないのには理由がある。すっごく忙しい仕事をしてるとか、親の介護、本人や子どもの病気、その他もろもろ。役員の義務って、本当に平等なんだろうか。使える時間も事情も適性も違う人をつかまえて、何でもいいから役員をやれ、苦手な役でも絶対やれ、拒否と退任は認めませんって、むしろ不平等じゃないんだろうか。
さっきの対戦の勝ち組たちが教室の後ろに行って座ってしまうと、その場には10名ばかりが残された。現PTA会長が顔ぶれを見回して軽くうなずいた。
「では、ここからは全員でじゃんけんをお願いします。お残りの方は、適当に輪を作ってください。掛け声は、不肖わたくしがつとめさせていただきます」
「……」
みんながのろのろと動いた。私も仕方なく動いた。
あーあ、やりたくない、こんなじゃんけん。私はどちらかといえば裏方派だから、毎年広報委員にすべりこもうと頑張っていたのに、いっつも他の立候補者とのじゃんけんに負けて。運悪く、ここまで来てしまった。
入学式で挨拶? こういう会の司会? むり、絶対ムリ、本当に無理。それなのに、他の委員になれなかったばかりに、強制的に会長選抜に参加させられて。ここで負けたらどうなる? こんなことで、じゃんけんなんかで、来年一年の生活と精神的安定が左右されてしまう――。
……こんなこと? じゃんけんなんか?
ふと、私の心の中に、ぽっと小さな火がついた。
私は今さっき心をよぎった言葉を否定した。「ちょっとまて、そうじゃない」と。
「こんなこと」じゃないのだ。このじゃんけんは運命のじゃんけんなのだ。これですべてが決まるのに、なぜ私は、このじゃんけんにすべてを賭けようとしないのだ?そうだ、それが間違いなんだ。どうして今まで気づかなかったのだろう。
心の中の小さな火は、めらめらと勢力を増し、あっという間に大きくなる。
私は握りしめた右手を静かに見つめた。そして誓った。私は勝つと。
「はい。ではいきますよー」
現会長が教室を見回して声をかけてきた。
私は呼吸を整え、10人の顔をさっと確認する。そして、構えた。
「さーいしょーはグー」
軽く手を振って、グー。これは全員。当然、私もだ。
「じゃーんけん」
ここからだ。集中しろ。
「ぽんっ!」
どりゃああ! パーーッッッッ!!
1秒の半分ほどの時間のあとで、その場が声、声、声に満ちた。きゃーという喜びの声と、あーという落胆の声と。
私は声も挙げられず、またもや天を仰いだ。
なんてことだ。渾身のパーは負けの手だった。チョキ:パー=6:4。これだけいてあいこにならず、いきなり勝敗が決するって珍しくないか。
現会長が、少しその場が静まるのを待って、口を開く。
「綺麗に分かれましたね。じゃあ、勝った皆さんは抜けてください。残った方は引き続きお願いします」
私は上を向いてふーっと息を吐いた。他の三人も、それぞれ腕を回したりストレッチしたりしたりし始めた。あれだ、PKを蹴る前のサッカー選手。フリースローの前のバスケのプレイヤー。決めなくてはならない決意と重圧を前にした私たちの、儀式的行動。
「では、もう一回いきますよー」
2回戦開始。
「最初はグー。じゃーんけーん」
私は必死に考える。さあどれだ。どれでいく。
右隣の人は鋭い目だ。気迫とともに手を振り出そうとしている。前にいる人は、アンダースローのような動作。左隣は表情暗く、あまり大きな動作はしない。
彼女たちの手は何だ!?
「ぽーんっ!!!」
あっ――私はうめいた。いろいろ逡巡したせいで出遅れかけて、とっさにグーが出てしまった。
と、また、わっと嬉しそうな声が上がる。私は手を出した瞬間目をつぶるくせがあるらしく、じゃんけんの結果を把握するのが遅れる。喜んでいるのは向かいにいるアンダースローの人と、楚々とした動作の左の人。彼女たちは――パー。
え、ということは。
嘘。また負けてる!
「うぐううーっ!」
大きく吠えたのは右隣だ。私と同じグーを出した手を、「があっ!」と近くの机に叩きつける。ポニテにしたウェーブの髪はみだれ、ほおは紅潮し、最大限見開いた細めの目はつり上がって充血していた。なかなか激しいお人だ。
いや、他人事のように観察している場合じゃなかった。これで、残りは私と彼女だけ。彼女に負けたら、彼女に勝たれてしまったら。私が、私が――次期PTA会長――?
やだ。やだやだやだ、それだけはやだ!
「えーと」
現会長がのほほんと、私たちふたりに視線をよこす。
「あとふたりですね。じゃ、最終決戦ということで」
最終決戦――。
その言葉を聞いた途端、さっき私の心の中についた火が、めらっと勢いを増した。
同時に、私ははっとした。対戦相手の、彼女の姿がゆらめいたような気がしたからだ。
いや、気のせいじゃない。発せられる、すごい圧。何かが……何かが陽炎のごとく、身体全体から立ち上っている。
これは――これは、闘気……!?
分かる。この人は本気だ。本気で私に勝ちにくる!
「では、いきますよ」
圧に屈しないよう私は歯を食いしばり、対戦相手の彼女をきっとにらむ。
彼女も、私を見ている。
目と目を合わせる。互いの目が互いを探る。地鳴りがし、地が揺れる――瞳が光る。
「最初はグー」
静かにグーを振り出す。
こぶしが合う。合わせると、伝わってくる。「負けない」――彼女の思い。強い思い。
ああ、わかる。きっと彼女には守りたいものがあるのだ。私に負けられない理由があるのだ。彼女はきっと、この一年を、司会や式典の挨拶や学校との折衝に費やすわけにはいかないだけの何かを背負っている。
「じゃーんけーん、」
彼女が目を細める。指先をばらばらと動かし、そしてぐっと握る。
私は唇を引き結んだ。
対戦相手よ、あなたが真剣なのはわかる。だけど――だけど。
私は手を振り上げた。
――私にも、守らなければいけない
「ぽんっ!!」
チョキーーーーーっ!!!
「ぐっ!」
彼女がうめいた。
「くうっ!」
私もうめいた。
お互いにチョキ。あいこだ。
「……ふっ。やるわね」
彼女が小さく口の端をゆがめた。私は、いま出したチョキを胸の前に構える。
「簡単にやられるわけにいかないし」
「ふうん。でも――次は獲るよ!」
「そうはさせない!」
現会長が口を開いた。
「あーいこーで」
集中!
私は耳を澄まし、タイミングをはかる。
対戦相手の身体がわずかに斜めに傾ぐ。後ろに大きく振られた手先は開いている。
何で来る!?
「しょーっ!!」
渾身の、グー!
「ああ、またぁ!」
対戦相手がのけぞった。彼女もグー、またあいこ!
私と彼女はにらみ合う。続けざまに掛け声がかかる。
「あーいこーで」
次こそ。次こそだ。集中しろ。心血を注げ。すべてを賭けろ。相手を読むんだ――そうだ、相手を読め。
と意識を向けた瞬間、彼女の気迫にあてられた。つ……強い! ビシビシと身体の周りで何かが弾ける。
負けるな! 足を踏ん張る。対戦相手が動く。後ろに手を振り、そして振り出す。その手の動きはコマ送りになって、一つひとつ、私の目に捉えられる。
読め。読むのだ。動きを読め――ここまでのあいこ、いやその前。大勢で対戦したときの記憶も呼び起こし、私はデータを探し求める。
これは――この手の動きは。チョキか――!?
ならば――!
「しょーっ!」
その瞬間。
時が止まった。
「あ、あああ……」
彼女が、自分の手を見て震え出す。
その手は――グー。
私の手は――パー。
「――やったああああーーー!」
その場にいる者たちの歓声が押し寄せる中、私はパーの手を高々と空に差し上げた。
対戦相手ががっくりとひざを折る。
「そ、そんな馬鹿な……。私の読みは、完璧だったわ……。そうよ、私たちは似ているのよ。10人になってからずっと、同じ手を出し続けているんだもの……。だから私は、私は、自分が出したくなった手を……チョキをとっさに変えて、それに勝てる手を――グーを出したのに。それなのに、まさか……!」
「……そう」
私は彼女を見下ろした。
「私はあなたがチョキを出そうとするのかわかった。だからこそパーを出した」
「なぜ――」
「とっさの判断。直感……ううん、字が違う“直観”かな。自然に手が開いていたよ――パーの形に」
「……」
「あなたとのここ数回の対戦の経験が、気づかせてくれたんだと思う。今あなたにグーを出しても勝てないと」
彼女は床にくずおれたまま、肩を震わせ始めた。
「ふ、ふふふ……」
彼女は静かに笑っていた。やがて立ち上がった彼女は、薄い諦めの漂う、でもどこかさっぱりした顔をしていた。
「“直観”か。私の負けよ。でも――楽しかった」
彼女が手を差し出してくる。私は彼女に笑みを返し、その手を握った。
ああ、さっきはこの手と戦ったのだ。
「私も。ありがとう」
彼女はもう一度微笑む。綺麗な笑みだった。
彼女は私に軽く手を振り残すと、背を向けて――黒板のそばにいる司会のほうに、静かに歩んでいった――。
「はい。えーと、厳正なるじゃんけんの結果、来年度のPTA会長が決定いたしました。皆さん、一年間、新会長を盛り立てていってください」
それじゃあ、会を終わりにしまーす。
気が抜けたような現会長の言葉が、私の耳をさらさらと通り過ぎていった。
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