この部屋に幽霊がいます。
夕藤さわな
第1話
「すなわち、この部屋に幽霊がいるという私の言葉は
自分の腕で、自分の体を抱きしめて、ぶるぶると震えながら
「へー、そうなんですかー」
俺は、言った本人もびっくりするほどの棒読みであいづちを打った。でも、俺の棒読みごとき、気にするような先輩じゃない。
彼女は同じ大学に通い、同じオカルト研究部に所属している先輩だ。美人だけど、変人で有名。同じオカルト研究部の先輩たちも困っていたようで、後輩の俺に子守り……もとい先輩の面倒を押し付けてくる始末だ。
棒読みに気付ける程度に空気が読めるなら、先輩たちからそんな扱いを受けたりしないし、一人暮らしの部屋に男の俺を連れ込むような真似もしない。
ここは撫子先輩が暮らしているボロアパートの一室だ。
さらさらの黒髪に、人形のように整った愛らしい顔立ち。楚々とした仕草や上品な服装から、どっかのお嬢さまだろうと噂される撫子先輩だけど、まさにそのとおりのお嬢さまだ。
じゃあ、なんでボロアパートに住んでるかと言うと――。
「家賃一円の訳あり物件。いるだろうと思って借りたけど……本当に悪寒に襲われると、ぞくぞくしちゃうわね!」
「悪寒でですか。興奮でですか」
「もちろん興奮でよ!」
オカルト好きが高じて、訳あり物件に住み始めてしまったのだ。
「瞬間的に物事の本質をとらえた結果、私は悪寒を感じ、幽霊がいると直観した!」
ちなみに、先輩がボロアパートで暮らし始めてから一週間以上が経っている。全然、瞬間的に物事の本質をとらえられていない。
「ここに幽霊がいると、論理的に説明できるというのは……?」
「これよ! 不動産屋の頬を札束で叩いて手に入れた資料!」
先輩はファイルに閉じられた資料を見せびらかして、フフン! と、胸を張った。かと思うと、すぐさま小さくなって、ぶるぶると震え出した。悪寒がひどいようだ。
「この資料によると……二年ほど前のことよ。一階の住人が天井にシミが出来ているのに気が付いて、大家さんに連絡したの。大家さんはすぐに真上の部屋に向かったわ。でも、ノックをしても返事がない。水漏れだと困るからって電話を掛けてみたら、部屋の中からスマホの着信音が聞こえてくる」
俺は先輩の背後をじーっと見つめながら、話に耳を傾けた。
「ドアノブを回してみると、カギが掛かっていない。大家さんが部屋の中をのぞいてみると……」
「|この部屋に住んでいた女性が倒れていたんですね。……包丁でめった刺し」
俺が顔をしかめながら言うと、先輩はパッと目を輝かせた。
「よくわかったわね! やっぱり、この部屋にいるのね! そう、包丁でめった刺しにされて死んでた。誰かに殺されてたのよ!」
目をキラキラさせながら言うことじゃない。俺は額を押さえて、ため息をついた。
「彼女の血が畳に染み込んで、さらに奥へ……助けを求めるように、下の部屋の天井にシミを作ったの」
「そんな理由でシミが出来たわけじゃないと思いますよ」
「女性を殺した犯人は、まだ捕まっていない。……と、いうことは未練のある女性は幽霊となって、ここに留まり続けているはず。つまり、この部屋には幽霊がいると論理的に説明ができるわけだから、私の悪寒は直観だと言えるわ!」
ぶるぶると震えながら、ぐっと拳を握りしめる先輩を見つめて、俺はあきれ顔になった。ザル過ぎる論理だ。ツッコミを入れるのも面倒くさい。
ただ、
「どう? 大正解でしょ!?」
「大外れですよ、先輩」
正解かと問われれば、否定ぐらいはする。
先輩は不満げに唇を尖らせると、
「じゃあ、正解は? キミにはもう、見えているんでしょ?」
そう尋ねた。
先輩が俺を気に入った理由は――。
金に困っている俺の頬を札束で叩いて、オカルト研究部なんぞに引きずり込んだ理由は――この目だ。
俺は、幽霊が視える
「先輩の悪寒の原因……と、いうかこの部屋にいる幽霊は、そもそも人間じゃありません」
「すでに人間ではない恐ろしいモノに変わっているということね!?」
「違う。そうじゃない。最後まで話を聞け」
敬語も、先輩であることも、すっかり忘れて先輩をじろりと睨みつけたあと。俺は先輩の背中に覆いかぶさっているソイツに目を向けた。
「先輩、大型犬を飼ってませんでしたか。白くて、耳が垂れてて、よだれがすごいヤツ」
「グレートピレニーズを、実家で」
「庭にお墓がありますよね」
「えぇ、私が大学に入る前に死んでしまって。だから、今は庭のお墓に……」
寂し気に俯く先輩の背中に覆い被さったまま、白い大型犬はゆっさゆっさと尻尾を振った。
「ねえ、もしかして……」
「はい、この部屋にいる幽霊は先輩の飼い犬です。先輩が一人暮らしをするときに、心配で追い掛けてきたみたいです」
「あの子が……グレ子!」
「なんて、グレそうな名前!!」
名前のセンスの悪さに思わずぎょっとする俺を無視して、先輩はシルクのハンカチでそっと目元を拭った。
「グレ子ってば、死んでまで私のことを心配してくれているなんて。さすがは私のお姉ちゃん。でも、幽霊だから……私は同じ部屋にいるだけで悪寒を感じてしまう」
「悪寒の原因は背中を伝う、よだれです。幽霊だからとかは関係ありません。……全っ然、関係ありません」
「私がオカルト研究部に入ったのは、もう一度、グレ子と会いたかったからなの」
俺のツッコミをすっぱり無視して、先輩は潤んだ目で俺を見つめた。
「……グレ子と、ずっといっしょにいられる?」
グレ子も俺をじっと見つめている。
わかっていると言うように、俺は小さく頷いた。
「ここに居続けたら、グレ子は消えてしまいます。庭のお墓から、あまり離れちゃいけないんです。でも、先輩がこの部屋にいる限り、心配で家に帰ることもできない……」
先輩の潤んだ目が、大きく見開かれた。
「グレ子は云十年後、先輩が死んだときにいっしょに天国に行けるのを楽しみにしています。だから……」
***
ボロアパートの前に場違いな黒塗りの外車が止まっていた。
「それじゃあ、また明日。大学でね!」
窓から手を振ったのは先輩。先輩の肩越しに尻尾を振っているのはグレ子だ。先輩はボロアパートを引き払って、グレ子と実家に帰ることを選んだ。
先輩がオカルト研究部に入ったのは、幽霊でもいいからもう一度、グレ子に会いたいと願ったからだ。
先輩の願いは叶った。
これでオカルト研究部と先輩から解放される……かと、思ったのだけど――。
「私はグレ子の姿を見たいの。だから、まだまだ付き合ってもらうわよ!」
と、札束で頬を叩かれた。
外車が走り去っていく。
安心したのだろう。グレ子の姿はすーっと消えて、見えなくなった。悪寒が止まったのだろう。先輩があたりをきょろきょろと見回しているのが一瞬、見えた。寂し気に俯くのも。
でも、これでまた、グレ子は庭のお墓でのんびりと日向ぼっこを楽しめるはずだ。
「まあ、その点ではめでたしめでたし……なのかな」
ポリポリとえり首をかいたあと、
「良かったら、いっしょに行きませんか」
先輩が借りていた部屋の真下――一階の部屋の前で、立ち尽くしている女性に声を掛けた。
ショートボブの黒髪をさらりと揺らして振り返った女性は、しばらく考え込んだあと。こくりと頷いた。
歩き出すと、女性は俺のあとを黙ってついてきた。
どこをどう歩いたのか。三十分ほど歩いたところで、正面から歩いてくる一人の男性が目に入った。
「すみません」
声を掛けると、男性はいぶかしげな表情で俺を睨みつけた。
「以前、××ハイムの102号室に住んでらっしゃいましたか?」
「…………」
答えない男を見上げて、俺はにこりと微笑んだ。
「彼女があなたのことを探していたので、お連れしました」
グレ子が先輩を心配して、ボロアパートまで追い掛けてきたのは本当だ。
でも、先輩がボロアパートにいるあいだ中、背中に覆いかぶさって離れようとしなかったのは、彼女が理由だ。
先輩が借りた部屋で殺された彼女の血は、畳に染み込んで、さらに奥へ、奥へと染み込んで……下の部屋の天井にシミを作った。
コイツが犯人だと、殺してやると――訴えるように。
男が引っ越したあとも、それを知らない彼女はずーっとボロアパートの一階に立ち尽くしていたらしい。
微笑む俺の横を、後ろをついてきていた女性がすっと通り過ぎた。胸や腹にはいくつも刺された傷があった。
訳あり物件の理由は彼女だろうとわかっていた。先輩の部屋にあがる前から――。
どこをどう歩いて、この男に辿り着いたのか。俺には論理的に説明することができない。
直感に従ったとしか言いようがない。
でも――。
「どうして彼女があなたを恨んでいるのか。あなたは論理的に説明できるはずです」
背中に彼女が覆いかぶさった瞬間、
「な、なんだ? 彼女……? まさか……」
男は自分の腕で、自分の体を抱きしめて、ぶるりと震えた。
青ざめる男を見つめて、
「その
俺と、そして彼女も――にこりと微笑んだ。
この部屋に幽霊がいます。 夕藤さわな @sawana
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