転機
「で、もう一仕事は…、今度は何をするんですか?」
先に質問したのは先程まで肩を落としていた琴音の方だった。
そこにはさっきまで自信なさげなだった様子の琴音はいない。
たしかに落ち込んでいる暇はないなら、前のめりになるしかないか。
その様子を満足げに見ると気合を入れ直すように
翔太先輩の方もコホンと一息入れる。
「部活動紹介。昨年までは体育館で一括で行ってたけど今年から趣向を変えてみようって話になってね、今度はそのお手伝いをお願い」
部活動紹介か…。
確か、昨年までは体育館で紹介があって、
あとは個人個人で体験入部の運びだったはず。
俺は目的の部活に一直線で終わってしまったから、
他の部活がどんなことをしているのかは知らないが
あとで祐樹が聞いた話だと各部活動、勧誘のために策を打っていたらしい。
今になって考えてみれば、他の部活を見るだけでも悪くない気がする。
何しろ、高校の部活となると中学とはレベルが違ったり、
中学にはそもそもなかった部活動というのもある。
琴音もそんな去年のことを思い出しているのか遠い目をしていた。
「陸上部だけ、体験入部するのにも数日待ちとかありましたもんね…」
しれーっとその視線が渦中の人に集まるが、
当の本人は気にした素振りも見せずに話を進めた。
「まぁ、そんなわけで、二人も知っての通りだとは思うけど体験入部の影響力が圧倒的に大きくてね。部活体験に来る生徒が入部に直結していると言っても過言じゃなかった。ただ、それだと…、部活動紹介であまり実力を発揮できなかった部活動は部活動体験にすら来てもらえない。それなら、いっそのこと部活動のツアーにしたらどうかって意見が出てね」
一年前の俺のように、高校に入った時点で部活動を決めているようなやつは例外としても、どの部活動に入るか迷っている生徒にとっては気楽に楽しく部活を知る機会になる。
それに、さっきも少し話に出ていたが部活側にもこの話は大きな利益に違いない。
「それにね、僕たち三年生と一年生はどうしても関わる期間が短いから疎遠な関係性になりがちだけど、こういう形で少しでも繫がりを持てたら良いんじゃないかって発案者は、そうも言ってたかな」
そういうことを考えそうな人には心当たりがあった。
頭の中でニシシと少年のように笑う顔を思い浮かべる。
ならきっと、校長先生も快くその提案を受け入れたのだろう。
「それで俺たちは何を手伝うことになるんですか?」
「それは……、また今度でいいかな?」
俺と琴音に向けられていた翔太先輩の視線が、ふと俺たちの後ろに向けられる。翔太先輩は、どうやら俺たちの後方から来た人を見てそう言ったらしい。
翔太先輩の視線を追うように、俺たちも後ろを振り返るとそこにいたのは誰かさんと違ってピシッとしたスーツ姿がやけに似合う教頭。
その教頭は俺たちには目もくれず翔太先輩に告げた。
「伊織君、入学式の片付けについて打ち合わせがあるから、ちょっと来てくれるかな」
「はい、…ごめんね、二人ともまた今度」
「はい、頑張ってください」
俺は頭を軽く下げるだけで済ませる。
隣の琴音も同じようにすると軽く手を振って翔太先輩は
先程まで入学式が執り行われていた体育館に入っていく。
その一方。翔太先輩を呼びに来た教頭先生は何故かここに残ったまま。
何か俺たちに用だろうか。
そう思った途端、教頭が口を開いた。
「広川さんと…穂村君だったかな…、君たちのことは最近よく耳にする」
突然、話しかけられたことにまずは素直に驚く。
俺達は路傍の石くらいにしか見えてないのだろうと思っていたから。
だが、その驚きも次の言葉で消えていく。
「君たちが何をしようと、結果はもう決まっているんだ。あまり余計なことをする必要はない」
不意に投げ掛けられた言葉はあまりに衝撃的で
処理するのにちょっとした時間を要する。
「それはどういう意味ですか…」
勝手な言い分を受けて引き下がるほどこちらもお人好しじゃない。
いきなり出てきて、頭ごなしにそんなことを言われても
『はい、そうですか』とは納得がいかないのだ。
それに俺個人の感情を抜きにして考えても、
ここまで身勝手過ぎる言い分には引き下がる理由は皆無。
だからこそ、だろうか。
ここで感情に身を任せて同じ土俵についてしまうのが良くないことは
冷静さを欠いている頭でも理解できていた。
もし、そうなってしまえばここまで積み上げてきたものを全部台無しにしてしまう。頭に血が上るのを、昂る気持ちが前に出ないように一息つけてどうにか落ち着けた。
「雅哉…落ち着いて」
そんな俺の身を案じたのか袖を引っ張る琴音の小さな手に
自分の手を重ねて目を合わせると大丈夫だと視線を送る。
そして、再度こちらに冷たい視線を向ける教頭に向き直った。
「…もう一度、お尋ねします。教頭先生。
これ以上余計なことをするなとはどういうことですか」
「いま申し上げた通りの意味です」
返ってきたのは、先ほどと変わらない温度の感じられない冷たい言葉。それだけ。
水と油。どうやっても理解は得られないか。
「辞めさせたいなら、納得できる説明をしてください」
その説明がないことは既に相良先生から聞いた職員会議での一幕で知っている。
どこまでいっても平行線であることはもうわかっていた。
それでも、一縷の望みを賭けて聞いてみたかった。
——視線が重なり合う。それもそれほど長い時間じゃなかった。
もう用はないと、教頭の方から視線を外すとこちらに背を向けて元来た体育館に入っていく。
琴音は依然として俺に不安そうな視線を送ってきたが、
少しだけ張り詰めていた頬を緩めて言った。
「もう大丈夫だから」
「………」
すると、袖に掛けられていた力が緩んで、ピンと張っていたシャツに皺が出来る。
「私も雅哉と同じ気持ちだから気持ちはよくわかるよ
でも…もし今度同じことが起きても抑えてね」
シャツにかけられた手が弱々しく震える様を見て
自分が考えていた以上に琴音が心配してくれていたことに気づく。
「わかった…」
「…………」
シャツを掴んでいない方の右手が軽く俺の腹にポンと押し当てられる。
「約束…守らなかったら一週間は口利かないから」
—————それはどんな罰よりも重い。
「わかった、気を付ける」
「それなら、もう許してあげる」
そう言うとすぐに後ろを向いた琴音の瞼に一瞬、光るものがあったような気がするが
これも一つの戒め。見なかったことにしよう。
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