次の目標
雲一つない真っ青な空が頭上には広がっていた。
その中で一際、輝きを放つ太陽を恨めしく睨んでいると不意に体育館の方が騒がしくなる。
吹奏楽部の門出を祝うような明るい音楽と一緒に拍手がひとつ、またひとつと数を増えていく。
—————どうやら入学式も佳境を迎えたらしい。
「やっと…解放される」
ひとつ、背筋を思いっきり伸ばすと、凝り固まっていた筋が伸びていく。
入学式の手伝いということで、俺と琴音は体育館前のテントで案内の役割を任されていたのだが、これが思ったよりも大変だった。
なにせ、この長丁場を外で待ちぼうけはそこそこ退屈でその割にたま~に顔を見せる学校関係者の視線にビクビクしないといけないのだから気が休まる暇がないのだ。
だから、このくらいの愚痴は見逃して欲しい。
「雅哉、起きてる?」
「起きてるよ、…というか、この状況で寝られるほど俺は厚かましくない」
ちょっと前に入学式の様子を見に行った琴音が
戻ってきたと一緒に軽口が飛んできた。
「それで、入学式の方はもう終わりそうか?」
「うん、そろそろ新入生は退場するみたい…もしかして可愛い子でも最後に確認するつもり?それだったら、私は邪魔しないからいってらっしゃい」
そう言うと、俺の顔をじっと見てニコッと笑う。
良い笑顔で、意地悪なことを…。だったら、こっちにも手はある。
「他人事みたいに言ってるけど。
新入生が入ってきたら琴音はしばらく大変だと思うぞ」
すると、今度はちょっとだけ驚いたように笑う。
だが、付き合いの長い俺にはわかるぞ。本当は驚いてないと…。
あれは何かを企んで驚いた振りをしてるだけだ。
そうなるとヤバい、嵌められた気がする…。
「雅哉は私をそんなふうに評価してくれてるんだ?
それはありがたいけど…安心して」
「この……謀ったな」
「何のこと?」
先程よりも数段、余裕のある笑みを浮かべると
心底楽しそうにコロコロ笑う。
「この…人の皮を被った悪魔め」
「…何か言った?」
「いいえ、何も言ってません」
その癖、俺が反撃するとこの調子でしっかり仕返しを受けるのだから理不尽だ。
俺の惨敗で終わった後。
新入生達は体育館を出ると担任に連れられてそのまま各自の教室に向かっていき、
その代わりに余計な人がこちらに来た。
見慣れないピッシリとしたスーツ姿の須藤先生は、その完璧な装いとは裏腹にさっきから終電を逃したおっさんのように不貞腐れていた。
「どうせ俺たちが休んでも発表されるわけでもないんだから、自主欠席ってことにしてくれよ」
「そんなこと言わないでくださいよ、先生がいてくれたおかげで新入生の中に問題行為を働くような子も居なかったじゃないですか」
褒めているようで、冷静に聞くと須藤先生が怖いとしか言っていない。
それに、うちの高校は偏差値もそこそこに高いのだ。
絵に描いたような問題生徒はそこまでいないのがうさん臭さに拍車をかけている。しかし、稀に褒められることに極端に弱い人間もいるわけで、言葉通りの意味で喜ぶこの先生に関しては簡単にこういう手に引っかかる。
黒い笑顔をこちらに向けた翔太先輩に愛想笑いを返していると体育館の方から更にもう一人やってきた。
「須藤先生、色々とお話があるのでこちらに来ていただけますか?」
そこにはいつものように怖い顔をした相良先生が。
…いや、いつもは怖い顔じゃないですよね。わかってます、はい。
須藤先生に向けられた視線のはずだが、
本能的に自分が睨まれたように感じてしまった。
『怖っわぁ…、今度から心の声にも気をつけよう』
そのまま相良先生が須藤先生の首根っこをいつものごとく
捕まえてどこかに連行する姿を眺める。
最近、思ったのだが、須藤先生の方が身長は
遙かに高いはずなのになぜ首元を掴めるのか…。
その答えに行きつく前に、その様子を眺めていた俺たちと
こちらにふと振り返った相良先生とで目が合う。
「伊織君、あの件二人に伝えておいて私は須藤先生の教育に忙しいから」
須藤先生の教育の方に少し興味を
持っていかれそうになるがそこはぐっと耐えた。
あの件とやらの方が俺たちにとっては重要になりそうな気がする…。
先生達から視線を外すと、目の前にいた先輩に意識を移す。
「まずは、二人とも入学式の準備と案内お疲れ様。大変だったでしょ」
この流れで普通に話を進めるのか…。
さっきのはノータッチ?OK、了解です。
こっちも頭の中で即座に整理をつけて切り替える。
「先輩こそ、生徒会長の挨拶お疲れ様です」
「事前に書いてたのを読んだだけなんだけどね」
何でもないように、呟かれた言葉に。
それが大変なのでは?と考えてしまう俺とは決定的に違うのだろう。
事前に文章を考えるのも、一人、壇上で話をするのも俺だったら御免被る。
「それに一番大変だったのは入学式の準備だよ。それに比べれば僕のやった事はただそれらしいことを皆の前で話しただけ。入学式の準備を手伝ってくれたみんなの方が貢献度は高いよ」
少なくとも俺は指示に従っていたに過ぎない。
それなのにこの先輩ときたら俺たちの方が凄いときっぱりと言い切ってしまった。
翔太先輩は価値観の物差しがいまいち理解できない。
それが表情に出ていたのか。先輩からさらにもう一言付け加られた。
「実際のところ、生徒会だけで成立するような行事なんてものは無いんだよ。どこかで誰かの助けがあって初めて成立するんだ」
生徒会長という責任ある立場にありながら
支えてくれている人たち全員とまではいかなくとも周りに気を配る。
こういったところが、翔太先輩に人が集まってくる理由の一つなのだろう。
一朝一夕に真似しろと言われても土台無理な話だ。
「先輩のあとを引き継ぐことに自信がなくなりそうですよ、ほんとに…」
琴音が自信なさげに肩を落とす。
ここで勇気づけられる言葉の一つや二つ掛けられればいいが
今の俺では、そんな気休めを言えるほどの余裕はない。
従って俺もここでは無言で同意するように頷くしかなかった。
だが、当の本人は俺たちの様子を知ったことないと言わんばかりに
俺たち二人に向け、こう言った。
「それは困るよ、これからもう一仕事してもらわないといけないんだから」
こんなところで落ち込んでいる暇はないと…、
従業員が二人しかいないのに次々に仕事を任せられる…どこのブラックだろうか。
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