球友

次の日。俺は早朝から学校に足を運んでいた。


久しぶりに早起きしてきた俺の顔を見て母さんがビックリしていたが、すぐに顔を綻ばせると安心したように『朝ごはん作るからちょっと待っててね』とそれだけ言って準備してくれたことを思い出す。


何故、突然早起きしてきたのかについて、何も聞かれなかったのか

今考えると不思議だが聞かれても上手く答えられるか、

不安だから聞かれなくて良かったかもしれない。


いつもよりも静かな通学路。

いつもなら生徒で溢れかえっている校門には誰の姿もない。


それは学校に入ってからも同じ。

どこからか話し声が聞こえるようなことは無い。


早朝、特有の静かな雰囲気と肌を撫でる冷たい風。

——この空気感を俺はよく知っている。


靴箱を通り過ぎて、少し歩くとだだっ広いグランドが眼前に広がった。


そのグランドに入る前にいつもの癖で一礼をすると足元に目が行く。

そこにあるのはくたびれて薄汚れたトレーニングシューズ……ではなく

白色の方が目立つスニーカー。


ここに来るまでは、まだここが自分の居場所だと感じていた節があったがこうして、あの頃との違いを一つ一つ見つけるたびに離れていた実感があるものだ。


薄くそんな自分を嘲笑する。自分で決めたはずなのに。

ここに残してしまった欠片が今でも俺の足を引っ張っている。


ついつい感傷的な気分になりそうになるが頭を振って足を進めた。


これから行く目的地は、最も思い入れがある場所。


こんなところで立ち止まっていたら、ここまで来た意味が無くなってしまう。


**


ほぼ毎日来ていた場所に数ヶ月来なくなるだけでも懐かしく感じるものだ。

同時にこの場所に戻れてしまったことに辟易する気持ちも。


そんなことを思いながら、野球部の管理する場所に足を踏み入れるとすぐに奥から見覚えのある顔がこちらを見つけて近づいてきた。


「ここで何してる?」


不愛想な表情で眉一つ動かさず、低い声が俺に向けられる。

機嫌でも悪いのかとそう疑ってしまいそうになる

物言いだが決してそういうわけじゃない。


湊雄大。二年生の野球部。


元チームメイト。

県外の強豪校からスカウトが来るくらいの実力を持っていたのにも関わらず普通の公立高校なんかに入学してきたちょっと変わったやつ。


それだけじゃなく、極端に感情を伝えるのが下手くそで、余計なことは話さないからよく誤解されやすい。まぁ悪い奴じゃないが変な奴という理解が正しい。


ついでに須藤先生の話に出てきた「あいつ」はこいつのことで間違いなさそうだ。


「須藤先生に言われてな、朝練、手伝いに来たんだよ」


「そうか」


短くそれだけ言うと、それ以上は何も言わずに再び奥の方へと戻っていった。

あまり追及されるのも困ったものだが、ここまで興味なさげにされるのも何とも言い難いものがある。


その背中を追いかけていくと、地面が抉れている場所があった。

きっと、俺が来るまでそこでバットを振っていたのだろう。


一応、周りを確認するが俺と雄大以外に人はいない。


須藤先生は誰の朝練を手伝えとまでは伝えていなかったが

とりあえず雄大を手伝えばいいのだろう。


「あれだったら俺がボール投げようか?」


そう声を掛けるとこちらに向き直る雄大は少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。


「でもお前。まだ肩出来てないだろ」


肩が出来てない?どんなのを想像しているというのか…とそこまで考えて雄大の視線がグランドの少し盛り上がっているマウンドにあることに気づく。


「ちょっと待て、誰が朝練で真剣勝負するんだよ、ティーバッティングの方だよ」


そう言って、道具倉庫の横にあるネットを指さす。


「そうか」


今の「そうか」は若干残念そうに聞こえたが、

さすがにその要望には答えられないものがある。

朝っぱらからそんなことしたら確定で職員室に呼ばれる。


慣れた手つきで道具倉庫から一箱のボール籠を運び出すと

俺はネットの右側から雄大の前にボールを置くようにして下から放り投げる。

テンポよくネットにボールが吸い込まれ、そのたびにバットが快音を飛ばしていく。


カキーン、カキーン、カキーン。


一箱をほぼペースを落とさず打ち終わると、ネットのボールを回収した頃には朝のHR前に余裕を持って教室に入れるくらいの時間になっていた。


「よし、今日はこれでって……何だよ」


バットを構えのままの姿勢で動かない雄大に動揺しながらも、すぐに動かない理由に思い当たる。


懐かしいことに。俺はこの光景を見るのが一回や二回じゃない。


「あと一箱だけ」とか言えば良いのに、目だけで訴えかけてくるのに毒気を抜かれてこちらもついつい許してしまう。


「あと、一箱だけだからな」


「わかったから、早く投げろ」


「このやろう、ペース上げるからな…」


しかも、ペースを上げてもしっかりと付いてきた。


そして最後のティーもついに最後の一球。


「ラスト」


その瞬間、ボールを下から投げていた俺の背筋にピリッとするものが走る。


それは真剣勝負の場において感じるものに酷似していた。


ボールが手を離れて雄大のバットが届く位置にきた瞬間にはすでにボールがネットに吸い込まれていく。だが…それだけに留まらなかった。


スパン…カシャーン——————。


ネットに吸い込まれた音がしてすぐ、金網にボールがぶつかる音がする。


ちょっとの間、雄大と二人で顔を見合わせてネットを確認してみるとネットにはボール3個分くらいの特大の穴が開いているのがわかった。


最後の一球でここまでの穴が開いたにしては大き過ぎる気がする。


もしや…。そう思い雄大を見る。


「このネット、…前からこんな風に抜けやすかったのか?」


「知らん」


本当に身に覚えがないのか、それとも興味が無いのか判断はつかないが

とりあえずの処置はしていた方が良い。


「まぁどちらにせよだ、このネットはしばらく使用禁止だな。どこか邪魔にならないところに横に倒して紙でも貼っとけ」


素直に俺の言葉に頷くと、片付けは自分でやるとそれだけ言われて俺はグランドをあとにした。


————————■□


補足説明です。


※ティーバッティングとは


ティーバッティングとは、トスされたボールをネットなどに向かって打つ簡単な練習方法。


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