春を感じて

春らしさを感じる清々しい風に紛れて、

俺の肩口には薄ピンク色の花びらが着地した。


肩に乗っかた花びらを払い落とそうかと一瞬考えるが、…すぐにその考えをとめる。

それから少しだけ土が盛り上げられている桜の木の下にそっと花びらを置いた。


——————四月某日。


その日は、早朝にも関わらず多くの生徒が校内で動いていた。

目的は今年、入学してくる新入生のための式の準備。


既に中庭には入学式時の出席確認用テントが体育館の入り口両脇には構えられており一年前にも見た懐かしい装いが広がっていた。


そこから視線を移動させると体育館の中の方でも、部活動生が中心となって動いているのが遠目に確認できる。


先生が指示を出すと統制の取れたテキパキとした動きで次々と体育館内が整備されていく。


「二人ともここはもう終わりそうだから、中の方を手伝ってもらっていいかな?」


「はい、わかりました」


体育館前の設営管理を任されていた三年生の先輩に返事を返して

椅子運びを始めた体育館に踏み入れる。


朝早いこともあってか、体育館の地面はヒンヤリと冷たい。


そこでは体育館の準備を進めていた部活動生が

椅子を横一列に綺麗に並べる作業に進んでいた。


その作業の両端には椅子を綺麗に一直線に並べるためメジャーで椅子を置く位置を調整する須藤先生。そして反対側にはもう一人。


表情をほとんど変えずに、淡々とこなしている様子が印象的な先生の姿が見える。

見覚えがないから、おそらく二年生の先生ではないのだろう。


「私から見て5番目の君。もう少し前に」


淡々と述べられる指示に指名された人がおっかなびっくり椅子を動かす。


『随分と神経質な職場みたいだな…』


「……よし、そこで止まってください」


一列一列、完成されていくのと同時にようやく

解放されたと生徒の力が一気に抜けていくのが見て取れた。


幸い、俺の時は誰も指示は受けなかったが、

それでもあの張り詰められた緊張感は…なぁ。


あの先生の授業はきっと息が詰まるどころか、窒息しそうな気配すらあるだろう。

そんな人が須藤先生とペアだと、さぞ相性が悪そうな気がするのだが

案外、そうでもないらしく、上手く連携されていた。


そこでちょうど、周りと同じように肩から力の抜けた琴音を見つけて声を掛ける。あの緊張感に当てられていたせいか、少しだけ目の据わっていた様子にたじろぎつつも、一つ疑問に思っていたことを聞いてみる。


「なぁ、あそこにいる須藤先生と一緒に指示出してる先生知ってるか?」


その質問にまず返ってきたのは、呆れたような顔だけ。

知らないの?と言いたげに目を細めるが、知らないものは知らない。

まず知ってたら聞かないだろ…とは思いながらも無言で肯定する。


「知ってるも何も、私たちが説得しないといけない教頭先生本人」


そんなこと言われてもな…、普段あんまり関わらないから覚えようがない。

…と思って、琴音にもう一度目を向けると、じーっとジト目を向けられていた。

これ以上、余計なことを口走ると何を言われるかわからない。


「ほらっ、サボってないで早くやるぞー」


逃げるように行動を再開すると、さすがに追いかけてくるようなことは無かった。


とりあえず、ひとつわかったのは教頭が骨が折れる相手ということ。

それだけは遠目に見ただけで理解できた。


————————!!


入学式の準備が整った体育館には横一列にズラーッと

並べられた椅子が一寸のズレもなく置かれている。


あとは両脇に先生もしくは来賓が座るための椅子がちらほらと並んでいるくらい。


このあとの入学式が本題なのだが、次に俺がこの光景を見るのは入学式が終わって

片付けの時になるだろうから、そうなるとこの壮観な景色の見納めまでの時間は少ない。


「お疲れさん」


声の方に振り返ってみれば、いつの間にか須藤先生に後ろを取られていた。声まで掛けられるとさすがに気づかない振りをするにもさすがに不都合が多い。それにおいそれと簡単に逃がしてくれる気もないだろう。


ここは大人しく反応を返しておく。


「お疲れ様です。先生はこんなところで油打っていていいんですか?」


それと同時に、体育館の前の方に集まっている先生達を指さすと須藤先生はあっけらかんとした態度で言いのけた。


「あぁ…、あれは入学式には必要な先生だからな」


必要な先生?独特な言い回しにどこか違和感を感じつつも追及をする。


まぁ…何で参加しないかは、なんとなく予想はつくのだが。


「先生は参加しなくてもいいんですか?」


すると、今度は苦虫を嚙み潰したような表情で顔を逸らした。

こういうとき、自分には関係ないという態度を貫く先生にしては珍しい。


「……まぁ、そういうわけにもいかんのだが」


「だったら…」と俺が口を出す前に、割り込まれた。


「入学式なら一年生の担任と校長、教頭が居れば役者は十分なんだよ。俺とかは置物みたいなものだ、どうせやることもないしな」


つい一年前の出来事を思い出してみれば、確かに周りの先生が何かしていた覚えはない。


とはいえ…だ。それを理由に入学式をサボるわけにはいかないのだろうから

入学式に関する話し合いなら参加する必要があるのでは…。


それにここで須藤先生がサボっていることを相良先生にチクったらどうなるのか

…ちょっと興味が湧く。だが、俺がそれを実行する前に須藤先生の方が動いた。


「それよりな、ここに残ってたのはお前に頼みごとをしに来たからであってあのクソ面倒な話を聞きに来たわけじゃない」


突然、真面目な表情になった須藤先生にこちらも自然と身構えた。


普段からてきとうな人だが、たま~にこういう真剣な顔で結構重要なことを話すことがある


逆のパターンも勿論あるんだが…。


「さっそく本題に入るが、明日の朝、朝練の手伝いを頼んだ」


「……はい?」


早口で捲し立てあげられた言葉だが耳を傾けていたこともあり、はっきりとその内容を聞き取っていた。


そのまま、用事は以上だからもう話すことは無いと言わんばかりに逃げ出そうとする背中を摑まえる。


用件はわかったが情報が不足し過ぎている。

それにわざわざ俺を指名する理由がわからない。


「朝練って野球部のですか?俺はもう野球部でも何でもないんですけど」


「じゃあ、広川にやってもらうかなぁ…」


そんなこと本気で考えていないことは馬鹿でもわかる。結局は、俺にYESとそう言わせるための方便でしかないのだろうが。だからこそ、俺の疑問は深まるばかり。


「俺に何をさせたいんですか?」


「…最初から言ってるだろ朝練の手伝いだよ。お前がいなくなってからあいつ職員室まで来るんだよ」


顔は面倒なことに巻き込まれたと言わんばかりなのに

言葉からはそんな気配は感じられなかった。


今の言葉が全て「嘘」とは断定できないが。こっちが本当の理由でもない。


それだけは確信をもって言える。

であるなら、こちらとしても首を縦に振る理由はない。


「いつもは先生が手伝ってるんですよね、それだったら今回もそうすればいいじゃないですか」


そう言うと、無言でこちらを見透かすような視線でじっと見つめてくる。

だから俺も、その視線から目を逸らさずに真正面から捉えた。


「…わかった、わかった、言い方を変える。これはお願いじゃなくて命令だ」


「なっ…!、ちょっと待ってください!」


つい声を荒げてしまったせいで、周りの訝し気な視線が集まる。その視線に気を取られている間に、既に体育館に須藤先生の姿は無かった。

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