心配してくれる存在

夕暮れに染まる街並みを眺めていると窓から見える道路では忙しなく動きまわる車が見えた。


帰宅ラッシュの時間帯。


車の群れがひしめき合うようについて離れずの位置関係のまま少しずつ動き続ける。その光景を眺めていると、ふと反対側で廊下の方から足音が近づいてくるのに気づいた。


少しづつ大きく、早いテンポを刻む足音に俺も視線を扉に向ける。それが不意に俺の部屋の前の扉で止まった。


それから程なくして部屋の扉が開く。

扉を開けた張本人は真っ直ぐに俺を視界に収めるとどこか気が抜けた表情で見つめる。だがそれも長続きはせず、怒りとも嘆きとも区別がつかない表情でこちらに向かってくると、そのまま俺の胸に拳を叩きつけた。


叩きつけられた拳はそこまで痛くなかった。

そこから少し遅れてコテンと俺の胸に頭を持たれかけてくると。


「バカ‥、もう!もうもう!馬鹿ぁ!どんだけ心配させるのぉ…」


「その…悪かった琴音、心配かけて」


色々と迷った挙句、素直に出てきたのは謝罪の言葉。それでも琴音は下からキッと俺を睨みながら威嚇を続ける。


「うぅーー」


どうしたもんかと、路頭に迷っていると開けっぱなしの扉には藍沢の姿。


「まぁまあ、琴音。それくらいにしといてあげて穂村君も今、起きたばっかりだろうし」


良いタイミングで戻ってきてくれた。本当に。。

目の周りを真っ赤に晴らした琴音は逢沢の言葉を受けてようやく俺の胸から離れていく。


それにしても、琴音の泣き顔なんて久しぶりに見た気がする。幼稚園から高校までずっと一緒で。とはいえ、中学に入ってからはお互い難しい時期もあり、昔ほど同じ時間を過ごすことは無くなっていた。


面倒見が良く優等生。周りからの信頼も厚い。

俺も昔はよく無茶して怒られていたものだ。


「久しぶり…でもないか」


何と声を掛けてよいものか迷った挙句、出てきた言葉はそんなもの。


そんな俺の情けない姿に少しだけ落ち着きを取り戻したのか目尻の涙を拭うと琴音は小さく呆れたようにして笑う。


安心したようにほっと一息つく姿を見る限り随分と心配を掛けてしまっていたようだ。


そのことに若干の申し訳なさを覚えつつも心配してくれて嬉しい、そんな風に思ってしまうのはどうしようもない。


「今回はまぁ…その運が良かったみたいだな、もう二度と試したくは無いけど」


「………」


「冗談です。すみません…」


「本当、どれだけ私が心配したとーー」


「はいはい、そこまで。穂村君も照れ隠しで余計なこと言わない」


逢沢の言葉で俺も琴音も自分たちの言動を思い返すと、気まずくなってお互いに顔を逸らす。


「ひとまず良かったよ、穂村君が寝てる間。琴音ずっと気張りっぱなしだったし」


それは言わない約束でしょ!みたいな表情で逢沢を責め立てるが、あまりにも分が悪い。それは本人も理解したようで大人しく引き下がった。そのまま逢沢に体を向けると。


「綾乃もその、色々とありがとね」


「それは穂村君の前で醜態を見せる前に引き止めてくれてってこと?」


「そうじゃなくて…」


「あー。でも私、穂村君に寝顔見られちゃったから、醜態を見られたのはどちらかというと私の方かな?」


「一応確認だけど…何もしてないよね?」


「え?うん、別に何もしてないと思うよ」


「そうなんだ、ちょっと…雅哉、話があるんだけど」


随分と低く抑えられた声音。

本能的に理解する。怒られるやつだ、と。


「あ、はい、何でしょうか」


ビクビクしながらもなんとか返事を返すと今度は何故かとても良い笑顔で見つめられる。蛇に睨まれた蛙の如く今か今かとその時を待つ。


…しかし、しばらく待ってみても琴音は大きな瞳を真っすぐ向けてくるだけ。無言の圧で洗いざらい吐かせようという意図を感じる


「ご心配掛けてすみませんでした」


「……」


残念ながら、それでも琴音の視線は俺を捉えて離さない。それどころか、さっきより圧力が増しているような…あれ?もしかして間違った…?


それとも言葉だけでなく、土下座して誠意を見せろと…そういうことか?


そんな膠着状態に耐え切れなくなった俺がそっと顔を逸らすとそこに追撃が鳩尾に入る。


「…謝ればいいと思ってるでしょ」


「………」


浅ましい考えは夕焼けに消えていく。

白旗降参を振りながら、勘弁してくださいと狼狽した俺にあと残されたのは外に助けを求めることだけ。


「えぇっと、そんな見られると照れる…」


「嘘つけ!!さっき普通に顔見て話してただろ!!」


「ふーん…そうなんだ、そういうことなんだ」


変なところで誤解が生まれて、また話が良くわからない方向に…。それも俺にとって良くない方向に話が進んだ。


「違う、違う、今のは逢沢の悪ふざけだから!おーい、頼むから逢沢さんや、そっぽを向かないでくれない?」


「とりあえず元気そうなら、それでいいけど」


琴音がプイッと顔を逸らすと、最終的にオロオロと慌てる俺だけが残された。この空気をどうにかしてくれと逢沢に目で訴えかけるが意地でも関わらない気なのか、もはや反対側を向いている。


震源地である琴音も時々、こちらに視線を向けるが俺と視線が合いそうになると逸らす。それが幾度も繰り返されるだけ。


『あー、わかりました…わかりましったって…』


「あー、えっとな、その…色々と心配してくれてありがとう。だから、あのこっちを向いて下さるとありがたいんですけど」


俺の心を反映するように尻すぼみに小さくなっていくと最後の方は言葉になっていたかもわからない。


「ぷっ、ふふふ…」


そっぽを向いた琴音の肩が次第に小刻みに揺れ始めるといつの間にかこちらを見ていた逢沢の視線が生暖かいものになる。その視線を受けて、ようやく自分がからかわれていたことに気づいた。


「…っ、笑ってる場合じゃないからな!」


ようやくこちらを向いた琴音はさっきまでの怒り心頭の表情はどこに置いてきたのか。笑いが抑えきれない様子で目の端に涙を浮かべていた。


普段は仏頂面…いや、なんで睨むんだよ…

そんな琴音が笑う時だけ見せる子供みたいに無邪気な姿は男子の中では天然記念物との呼び声が高かったりする。


そういえば一度だけ、琴音の笑顔を引き出そうとクラスの勇者が挑戦したことがあったがあの時は他人行儀な笑顔で撃退されていたっけか。


それ以来、あの笑顔は自然体でしか見せないとわかりそういった経緯で琴音の笑顔は天然記念物と名付けられた。


凛とした琴音が見せるちょっとしたギャップ。

こうしたものに総じて男は弱いのだ。


俺もこれ以上その姿を見ていると、余計なことを言ってしまいそうな気がして急いで目を細めて不満であることを示す。


するとようやく笑いを収めた琴音が軽く右手を立てて謝る仕草を見せた。


「ごめん、ごめんって、本当無事でよかったよね。さっき、おじさんとおばさんにも連絡しといたからすぐ雅哉の方にも連絡してくると思うよ、佳那ちゃんも心配してたし」


「ん…あぁ…わかった」


とりあえず色々と気が抜けたことで安堵を覚えて生返事を返す。


それにしても本当に色々とあり過ぎてしばらくは整理がつきそうにない。ようやく、一件落着の兆しが見えたことで今更ではあるが言っておかないといけない言葉があることを思い出した。


「なんか色々世話掛けたみたいで悪いな、あと、お見舞いもありがとな」


二人とも驚いたように顔を見合わせると同じタイミングで笑い出す。


仲間外れにされたような気持になるが心が広い俺は気にしない…気にしない。


「まぁ、雅哉も今日は色々あって混乱してるみたいだし、今日のところは帰ろうか」


「そうだね…、また明日来るね」


「別に無理して来なくてもいいんだぞ」


あの様子だと俺が目を覚ますまでに長いこと待ってくれてたみたいだし明日も来てもらうことには気が引ける。


「私たちが来たいからいいの病人はおとなしく厚意を受け取りなさい」


それを言われたら、こちらとしては何も言えない。


こうなった琴音は梃子でも動かないのだ。

こっちが諦めるしかない。


「それじゃあ、お願い…します?」


二人とも鳩に豆鉄砲でも喰らったように、大口開けて間抜けな顔をするのが見えるがすぐに暖かい笑みを浮かべた。


※※


ちなみに二人が帰った後で、見回りに来た看護師さんに目を覚ましていたことをビックリされ何の報告もしなかったことでたんまりと怒られた。


今日は怒られてばかりだ。


窓から見える景色に目を向ければ、

ふわふわと雲が仲良く連れ添っているのが見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る