記憶の蓋
さっきまでの様子とは打って変わり、少しだけ緊張を感じさせる逢沢が静かに口を開くと俺は黙って逢沢の話に耳を傾けていた。
話を聞いている最中も何が起きたのか記憶を引っ張り出そうとするがまるで記憶にモヤが掛かったように一向に事故に関する記憶は見つからない。
まるで思い出すなとそう言外に言われているような気分になりどうにも落ち着かないが、ひとまず逢沢の話を整理すると俺は車に轢かれてこの病院に入院しているらしい。
一生で交通事故に遭う確率は30%もあるとテレビで聞いたことがある。数字通り約三分の一の人が事故を経験するのだとしたら、その一回がこのタイミングでも何ら不思議な話ではない話だ。
———ただ、俺が事故に遭った。
それだけでは逢沢の様子に説明がつかない。
薄々と俺もそのことを感じ始めていた。
神妙な雰囲気の逢沢が重い口を開くと俺もそれに従って姿勢を正す。
「あのね…穂村君は私の妹を庇って事故に遭ったの」
その言葉を聞いて、ようやく逢沢が病院の椅子で寝落ちするほど根を詰めていた理由にも見当がつく。
俺の思考を肯定するように目の前に座る逢沢が申し訳なさそうに体を小さくするのが見える。
「ーー庇ったってことは俺が勝手にやったことだろ。だったら逢沢がそんなに責任を感じる必要なんてない」
「…そういう訳にはいかないよ」
お互い譲らない線だけは、はっきりしていた。
きっとこの話はどこまでいっても平行線だ。だからこの場は、とりあえずこのまま話を進めることにする。
「……それで…妹さんは無事だったのか?」
「うん、穂村君のおかげで軽い擦り傷だけで済んだよ」
「そうか…それならよかった」
「やっぱり………なんだね」
逢沢の小さく呟かれたその言葉の続きはすぐに何事もなかったように続けた次の言葉にかき消される。
「ちょっと話が前後しちゃったけど、ありがとう穂村君。妹を助けてくれて」
自分の中にその覚えは無いのにお礼を言われるのは人の手柄を横取りしてるみたいで気後れするがそれでも人の厚意を無下には出来ない。
「それはどういたしまして」
そう言って少しだけ暗くなった雰囲気を明るくしようと笑うと、それに合わせるように逢沢も笑顔を見せてくれた。
ただ、そうはいっても簡単に割り切れるものでもないらしく笑顔には少しだけ陰りが見える。
あれが精一杯だとすれば、俺がこれ以上気休めを言ったところで仕方ないな。
しばらくしてお互い、言葉が途切れたタイミングで逢沢がそっと席を立った。
「それじゃあ、私は穂村君が起きたことを伝えに行ってくるね」
「あ、あぁ、任せた」
離れていく逢沢のうしろ姿に目を向けていると不意にドクンと大きく心臓が脈打つ。何かを訴えかけるように心臓の鼓動は早まる。まるですぐにでも小さくなっていく足音に追いつくようにと。
それでも、俺の体は人形になってしまったように意思に反して動かなかった。
しばらくしても、ただ漠然とした不安を残すように心臓の鼓動がバクバクと鳴り続けていた。
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