眠り姫

窓から入ってくる光が夕方を知らせるオレンジ色に変わっていく頃。外から吹き付ける風でカーテンが大きく靡いて揺れた。


窓から吹き付ける風に肌寒さを感じて、忌々しくそちらを眺めていると横で寝ていた彼女の体が少し動いた気がして今度はそっちを見る。


【逢沢綾乃】


隣で寝ていた同級生の女の子…なんて文字に起こすと変な誤解が生まれそうだが、実際その通りなのだから何とも困った。


思い返せば、彼女との出会いもよく考えるとおかしなもので。


いきなり声を掛けられて警戒していた俺の懐にすんなりと入り込むと、そのまま雑談するような仲になっていた。


それからたまに話をするくらいの仲だったはず…なのだが、この状況を見る限りいくらか認識を改める必要がありそうだ。


ふと懐かしい思い出に思いを馳せていると逢沢が不快そうに体をよじった。


「寒い…」


…さっきから寝言がやけに多いな。


もしかして起きてて俺の反応を見て楽しんでるわけじゃないよな。だとしたら不躾に見ていたことを追及されたりしたらかなり気まずい。ただ、それは杞憂だったようで、すぐに寝息を立ててうつらうつらしだす。


逢沢から目を離して、そっと窓の方に目を向ける。寒いのは窓を締めればすぐに解決する問題ではあったりするんだがおそらく病室には俺だけじゃないだい。同室の人がいた場合、許可も取らずに勝手に窓を閉めてしまうのも悪い気がしてしまう。


それに、窓を閉めるためにはベットから立ち上がらないといけないことまで考えると立ち上がった音で横の逢沢を起こしてしまうこともあり得る。


———————そうなると、やっぱり行動には移そうとは思わなかった。


いっそのこと逢沢が目を覚ますことは無いのかと、

目を向けるがこれが色んな意味で悩ましいことに目を覚ましそうな気配は一切ない。


椅子でどれだけ熟睡しているのやら…。


病院の椅子で。しかも同級生の異性の近く。

挙げられるだけでも寝られなそうな理由は二つもあるのだが。場所・状況問わず、どこでも寝られるとかそういうタイプかもしれない。


初対面の人間にあれだけ、馴れ馴れしいのだ。

あながち間違いじゃないかもな。


『しかし、このままってわけにもいかないしな…』


どうするべきかと周りを見渡していると、

ふと予備のタオルケットがベットの手すりに掛かっているのが目に留まる。


「これだな」


綺麗に畳まれた状態のそれを広げてみると

ふわっと洗濯物のいい匂いが鼻腔をくすぐる。


これだったら大きさ的にも逢沢の体に掛ける分には申し分ないだろう。


「こんなものしかないけど、ないよりはマシだよな」


いまだ眠りから覚めない姿はまるで眠り姫に出てくるお姫様みたいだな、なんてらしくない感傷に浸りながらタオルケットを掛けようと体を傾けた


「っ!!痛ったあぁぁ、…っんん」


突然、体に走った鋭い痛みに声が反射的に漏れる。

が、それも一瞬のこと。すぐさま、自分の口を手で覆う。


予期せぬ事態に、自分の浅はかさを責めるが、

それよりも対応すべき、問題が目の前には転がっていた。


「ん…ぅん…ん~」


突然の大声に逢沢の体が不愉快そうにたじろぐのが見える。


不味い…この姿勢のままで起きられたら絶対に誤解は避けられない。


ーーー何故ならだ。


タオルケットを掛けようと俺の手は逢沢の背中側にまわされている。これでは傍から見ると、寝ている女の子に抱き着こうとしている変態にしか見えないのだから。


『どうか今だけは起きないでくれ…』


そんな祈りとは裏腹に目と鼻差の先まできていた

逢沢の形の良い眉毛が不規則に揺れる。


『終わった…』


「あれ?わたし…」


まだ、寝ぼけた様子の逢沢の顔が上がってくると

そのまま半開きの瞼で目の前の不審者をじっと見つめる。


「あー、えっと、悪い起こしちゃったみたいだな」


最低限の抵抗として出来るだけお茶目に、悪気なんてなかったように取り繕うも、困ったような表情でこちらを見つめる純粋な瞳に猛烈に罪悪感を感じ始める。


これは事故なんだ!なんてこの状態で説明しても信じてもらえるかはわからないが…。うん、少なくとも、俺が当事者だったら信じないな。


「穂村君?…何してるの?」


眠り姫なんてさっき考えていた手前、はっきりと言葉が出てこないまましどろもどろになりながら、何とか言い訳に費やすので精一杯。


「いや…これは事故と言いますか…ね。その…ごめんなさい」


あと、俺に出来ることとしたら手にしていたタオルケットを勢いよく自分の後ろに隠すことくらい。


とはいえ、その行動は更なる悪手。再び襲い掛かってきた全身を刺すような痛みに今度はタオルケットで塞がっていた手を遣わずになんとか耐えた。


「んっ!!い…たぁ……ぁ」


「だ、大丈夫?」


心配そうに顔を覗き込んで向けられた視線はさっきまで目の前で不審な行動をしていた人物に向けられるには純粋過ぎるくらいのもの。


「…だ、だ大丈夫、大丈夫だから」


大丈夫だから、なんだというのだろうか…。

自問自答しながらも、それ以外の答えは出てこない。


一方の逢沢はそんな俺の姿を見て至って冷静に対応した。


「…本・当・は痛いでしょ」


見え透いた嘘は、通用しなかったようで今度は確信を持って追いつめられる。ここまで来るともう開き直るしか選択肢は残されていない。


「痛いけど、まぁ…我慢できるくらいだから」


「あー、うん…そっか、そっか」


すると、逢沢が何を思ったのか、じっとこちらを見つめる。何も言わずに黙り込んで見つめてくるから、俺も同じようにする。


「………………」


長い沈黙が二人の間に入り込む。

————が、それも長続きしなかった。


目の前の逢沢が真面目な表情をパッと変化させて

悪戯をする前の子供みたいに表情をニヤニヤさせる。


「本当は?」


「……やせ我慢です」


楽しそうにコロコロと笑う逢沢に何がしたいんだと目を向ければ。


「ごめんごめん、ついつい我慢する穂村君が面白くて」


隣から聞こえてくる声は少しだけ反省の色を見せたけど、目が合うとすぐおちょくるほうに方向転換した。


たっぷりといじられた俺はしばらく首を項垂れてから落ち着きを取り戻してもう一度、目の前の逢沢に目を向けたとき。その視線は俺ではなく俺の少し斜め後ろを見ていた。


「もしかして…、私にその手の後ろの掛けてくれようとしてた?」


変なところで勘がいいな…。


だが、ここで変に誤魔化すと火傷するのはさっき覚えた。俺は学習する男なのだ。二度も三度も間違いは起こさない。


「まぁ…そんなところだな」


「それなら最初からそう言ってくれればいいのに…ありがとう」


素直に感謝されるのに慣れていないからか、ありがとうと言った彼女の微笑に目を向けていられなくなって目を逸らす。


訂正。やっぱりどっちに転んでも気恥ずかしいことには変わりない。


そんな様子を苦笑しながら見つめてくる逢沢は俺が逸らした目を逃がさないようにしつこく俺の視界に入ってこようとする。


そのせいで肩口にまで伸ばされた黒髪が動きに合わせてサラサラ揺れることでふわりと流れてきたシャンプーの匂いで再び、ゆるーい空気感に流されそうになるのをなんとか踏みとどまった。


「一応、一応な、確認だけど、ここ…病院だよな?」


何故そんなことを聞いてくるのかと、逢沢は不思議そうに首をかしげる。


「うん、穂村君、車にはねられてそのまま救急車で

ここまで…ってもしかして覚えてないとか?」


車に轢かれた?はて?そんなアクロバティックな体験をした覚えはない。からかわれてるのかと思って逢沢を見るが、そんな様子は一切無かった。


「はぁ……?本当に、俺が?…覚えてないというか…」


病院のベットで寝ていた時点である程度の覚悟は

あったが思った以上に物騒な話になってきたことに驚く。


そして肝心の事故についての記憶がないのはどう考えるべきか…。


考え込む俺の顔を覗き込むようにして小さく整った顔が視界に入り込んできたところで深い思考の渦に入りかけた意識を引き戻される。


「大丈夫?なんか深刻そうな顔してたけど?まだ体調が悪い…とか?」


「いや、そういうわけじゃない、体はあちこち痛いけどさ。それよりも…事故に遭ったときのことが思い出せないみたいで逢沢は何か知ってるか俺がその…事故にあったときの話とか」


事故の記憶が無いからか、随分他人行儀な聞き方になってしまう。だが、すぐにそんなこと気にならなくなっていた。


俺の言葉を聞いて居住まいを正す逢沢に少しの驚きと、見慣れない表情に今度は俺の方が戸惑いを覚えた番だった。

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