逢いたくていま

T.KANEKO

逢いたくていま

 私の名前は相澤たまき、先月、四歳の誕生日を迎えた長男・勇樹の母親だ。

 夫の名前は相澤かずき。

 ちなみに夫とはもう二年以上、会っていない…・・・


 彼との出会いはスキー場だった。

 スノーボーダーと交錯して、崖の下へ落ちた私を助けてくれたのが彼だった。

 その逞しさと優しい笑顔に、私は一目惚れした。

 そのあと、偶然同じリフトに乗り合わせた。

 ラッキーな事に、そのリフトは強風で長い時間停止して、その間に二人の距離は縮まった。

 好意を寄せていたのは圧倒的に私のほうだが、その後の展開からして、彼のほうもまんざらではなかった気がする。

 リフトを降りた後、私は彼の後を追いかけた。

 一緒にスキー場へ行っていた親友の雪乃と小百合を置き去りにして……

 私は友情よりも、愛情を選んだ。


 そして私は、出会ったばかりの彼に気持ちを打ち明けた。

 コースの脇に作られていた、大きな雪だるまの前だった。

 「かずきさんの事が好きになってしまいました。付き合って頂けませんか……」

 今思えば、自分でもびっくりするほど捻りのないストレートな告白だった。

 彼はサングラスを外して直立し、緊張感を漂わせながら、口を動かした。

 「ごめんなさい……」

 この言葉を聞いたとき、私の目の前の景色は、白銀から漆黒に変わった。

 出会いから失恋までの、最速記録を更新したかと思った。

 しかし彼の言葉は、これで終わりではなかった。

 「本当なら僕が言うべき事を、たまきちゃんに言わせてしまって……本当に申し訳ない」

 私の頭の中は、錯乱状態に陥った。

 さらに続きがあった。

 「良かったら僕と付き合ってください」

 彼は深々と頭を下げ、右手を差し出した。

 どこかのバラエティー番組で観たような光景だった。

 私は彼の手を両手で掴み、「お願いします」と伝えた。

 彼の後ろに居た大きな雪だるまが、なんとなく微笑んでいるように見えた。


 ちなみに彼の素顔を見たのは、この時が初めてだった。

 素顔を見る事無く告白するなんて、どうにかしていると思うが、それだけ必死だったのだろう。

 素顔の彼は、厳つい外見に似合わず、優しい目をしていた。

 真っ黒に雪焼けした顔に、サングラスの跡が白く残り、目は少したれ目。

 雪乃が言っていたようにタヌキみたいだったが、私には微笑ましく思えた。

 私は、雪乃と小百合を置き去りにして、彼の車で帰ることになった。

 スキー場を出発するとき、雪乃は笑顔で手を振り、小百合は少し涙ぐんでいた。

 私の過去の失恋経歴を熟知している小百合は、きっと感極まったのだろう……

 (私に彼氏が出来たから、悔しくて泣いた訳ではないと思う)


 彼は自分が住んでいる大宮を通り越して、横浜にある私のマンションまで送ってくれた。

 この日に初めて会ったとは思えないほど、車の中では会話が弾んだ。

 彼の前では、気取る事無く、ありのままの自分をさらけ出す事が出来た。

 そういう雰囲気を彼は作ってくれたのだと思う。

 今までの恋愛と違って、好かれる様なキャラを演じなくて良いので、一緒に居る事が底抜けに楽しかった。


 私が住んでいるのは横浜、彼が住んでいるのは大宮、距離にして70km近くある。結構な距離だ。

 でもお互いの勤務先が大手町だったので、終業後に待ち合わせてデートをする事が出来た。

 食事をしたり、映画を観たり、ナイター観戦をしたり……

 包容力のある彼は、素のままの私を受け入れてくれて、一緒に居る事が、とにかく楽しかった。

 デートが終わると逆方向の電車に乗ってお別れする。

 またすぐ会えるのに、いつも寂しかった。


 大人の関係になったのは交際が始まってから10ヵ月後だった。

 「デートの後に別れるのが寂しい……」と甘えた私を気遣った彼が、「それじゃ、今度はお泊りしよう」と言ってくれたのだ。

 私は「東京駅の中にあるホテルに泊まってみたい」と言った。

 すると彼は、二日後に手配をしてくれた。

 彼の裸を見たのは、この時が初めてだった。

 洋服を着ているときは気づかなかったが、筋肉がもりもりしていて、想像以上に逞しい身体だった。

 スキー場で崖の下から助けられたとき、私の身体がふわっと浮いたのは、この肉体によるものだったのだなと妙に納得した。

 その日、私は彼の逞しい身体に抱かれた。

 交際してから、身体の関係に至るまで10ヵ月というのは、私の中ではもっとも遅い記録かもしれない。

 雪乃は「半年経って何も無かったら、ずっと何も起きないよ」と言った。

 彼と付き合うまでは、その意見に賛成だったが、彼と付き合い始めてから考えは変わった。

 焦る事も、気負う事もなく自然な流れでそうなった。


 私たちは仕事が終わると毎日のように会い、僅かな時間でも顔を合わせた。

 八重洲口から歩いて5分ほどのダイニングバーで待ち合わせをするのが定番になり、時間がたっぷりとあれば、夜の街へ繰り出し、そうでないときは、このお店で お喋りをして別れた。

 話が盛り上がりすぎて、ホテルに宿泊する事もあった。

 どちらかの家に泊まる事もあった。

 二人で過ごす時間は増えていったが、それでも足りないと思うようになる。

 そして、交際してから2年ほどで私たちは結婚した。

 結婚式はお互いの家族と、ごく親しい友人のみを招待してレストランで挙げた。

 この時も小百合は泣いていた。毒舌キャラの小百合の涙もろさに誘われて、雪乃も泣いた。

 そして、私も……

 私たちは、東京の郊外に住んだ。

 一緒に暮らすようになり、彼と会う時間は、特別ではなく日常になった。

 朝、目覚めたときに、いつも彼がそばにいるというだけで幸せを感じた。

 私にとって、彼は申し分ない存在だった。

 たったひとつの事を除けば……


 結婚して一緒に暮らすようになったら、気になる事がひとつ出来た。

 彼は登山を趣味にしている。趣味と言うよりも、生き甲斐に近いのかもしれない。

 その事は、結婚する前から知っていた。

 でも一緒に住んでいなければ、会っている時間よりも、会っていない時間のほうが長い。

 別々に過ごす週末だって、珍しい事では無かった。

 だから、彼が登山をしていても、そんなに気にはならなかった。

 私だって、雪乃や小百合と旅行に出かけたりするし、彼だって友達との付き合いがあるのだから……

 そこにはお互い干渉しなかった。

 それが、結婚して一緒に暮らすようになると、気にしなければいけない事の1つになる。

 夫がどこへ出かけるのか、いつ帰ってくるのか、誰と出かけるのか……

 それを放っておくわけにはいかない。

 妻である以上、そういった事は把握しておかなければならないのだ。

 夫は隠し事をしない人だったので、詳らかに教えてくれた。

 そして、それを聞かされた私は、とても驚いた。

 夫は冷蔵庫の様に大きなザックを背負って数日間、長いときは1週間近くも山に滞在するという。

 それも、ただ山登りをするだけではなく、数百キロにも及ぶ行程を縦走したり、雪山を登って山頂からスキーで降りたり、切り立った崖を、ロープでよじ登ったりと言った過酷な山行をするのだ。

 体育大学出身の私は、スポーツには寛容な方だと思う。

 でも、ちょっと度が過ぎているように思えた。

 夫の身体があれほどまでに鍛え抜かれていたのは、私を抱きしめる為ではなく、この為だったのだなと得心した。


 結婚したての頃は、夫が「山へ行く」と言い出すと、心配で仕方がなかった。

 だから、登山口まで見送りに行ったり、途中まで一緒に登ったり、降り口へ迎えに行く事もあった。

 それでも夫の登山計画は完璧だったから、予定通りに帰ってくるか、予定よりも早く下山して、私を安心させてくれた。

 慣れというのは恐ろしいもので、いつの間にか夫の登山に対して、危険という認識は薄れた。

 結婚して1年後には長男の勇樹が産まれた。

 勇樹の誕生によって、夫の事を心配している余裕が無くなった、というのもある。

 夫は、妊娠から出産に至るまで、それに一歳の誕生日を迎えるまでは、一度も山へ入らなかった。

 子煩悩な父親として、息子の事を大層、可愛がった。

 会社から帰ってくると、息子にべったりと寄り添い、お風呂にも入れてくれたし、オムツも替えてくれた。その姿は微笑ましく、あまりの溺愛ぶりに息子へ嫉妬したくなるほどだった。

 このまま登山への意欲が薄れて、子育てに励んでくれたらいいのに……と私は思った。

 勇樹の首がすわるようになると、夫は勇樹を背負って近くの山を登るようになった。

 高尾山や、箱根や、大山などファミリーが登山する簡単な山だったので、私も一緒に登った。

 お弁当を作っていって、山頂から絶景を見下ろしながらランチをしたり……

 それは絵に描いたような幸せだった。

 しかし、本格的な登山を生き甲斐にしてきた夫が、これで満足する筈はなく……

 勇樹が2歳になった頃から、また過酷な山登りを再開する。

 さらには、「いつかは海外の大きな山を登りたい」などと夢を語り始めた。


 そして冬のある日、夫は登山計画を知らせてきた。

 この頃になると、私も登山に関して詳しくなっていて、その計画を見ればどれくらいの難易度か想像がつくようになっていた。

 その登山計画は1泊2日の行程で、2000mを少し超えるくらいの山をいくつか縦走するというルートだった。

 これくらいの山ならば、夫の実績からすれば安全な部類に入る。

 冬山と言うのは少し心配だったが、経験豊富な夫にしてみれば、どうって事のないレベルだと思った。

 ただ1つ気掛かりなのは、1人で山に入るという事だった。

 1人で行く事はこれまでにも何度かあったが、大抵は学生時代の友人達と一緒に行っていた。

 いくら卓越した登山経験を持っていたとしても、不測の事態が起きないとは限らない。 小さなアクシデントが起きたとき、1人だと大きなトラブルに繋がる可能性だってある。

 私は「やっぱり1人で行くのは、やめた方がいいんじゃないか」と言った。

 すると夫は、「1人で行くときは、仲間と行動するときよりも、何倍も安全策を取るから大丈夫だよ」と私の忠告を聞いてくれなかった。

 私は、それ以上は言わなかった。

 この程度の行程で、夫がどうにかなる筈がない。

 これまでの経験からして、そう信じるのが妥当だと自分に言い聞かせた。

 でも、何か根拠のない不安が心の奥に潜んでいた気がする。


 出発の日、息子の勇樹が熱を出した。

 それほど高熱だった訳ではないが、何か嫌な予感がしたので、今回の登山は見送って欲しいと言った。

 しかし夫は、下山予定を繰り上げて、明日の午前中には帰ってくると言い、聞き入れてくれなかった。

 その時の夫の態度が、いつもとは少し違って、どことなく頑な感じがした。

 いつもなら、私の言葉を優しく受け止め、丁寧に説明して安心させてくれるのに……

 私は少し不機嫌になった。

 夫が家を出る時も、いつもなら玄関の外に出て、姿が見えなくなるまで見送るのに、この日は「行って来ます」という夫の声に、「気をつけてね……」と声を掛けただけで、目を合わせて見送る事すらしなかった。息子の勇樹がぐずっていたせいもある。でも、やはり私は不機嫌だったのだと思う。


 そして翌日……

 夫は夜になっても戻らなかった。

 携帯電話もつながらない。

 私は夫の学生時代の友人に連絡を取り、夫の登山計画を話した。

 友人たちは、その山岳エリアの知人に問い合わせて、消息を探ってくれた。

 1日経ち……2日経ち……3日目を迎えた。

 しかし、消息は掴めない。

 予定では、山頂直下の非難小屋で一泊する事になっていたが、そこに泊まった形跡は無かった。 そこに泊まっていないのか、泊まったのだけれど形跡を残さなかったのか分からない。

 それは登山ルートも同じだった。

 もしも滑落していたら、その痕跡が何かしら残るものだが、季節は冬だ。雪が降れば全ての痕跡を消してしまう。

 警察や、消防や、山岳会などが捜索に当たってくれたが、有力な情報は掴めなかった。

 最初のうちは大勢で捜索活動をしてくれていたが、その人数は日に日に減っていった。

 私は憔悴した。

 親友の雪乃や小百合は私の事を心配して、事あるごとに家に来てくれた。

 彼女たちと一緒にいると、ひと時は気持ちが落ち着くが、息子と二人きりになるとまた絶望の闇が広がる。

 いつも一緒だったベッドが、とても広く感じた。

 朝、目覚めたとき、隣に居るはずだった人がいなくなり、そこに漂っていた温もりや匂いが消えた。

 「たまきちゃん……勇ちゃん……」という私たちを呼ぶ声も途絶えてしまった。

 寂しい毎日を何日も、何日も過ごした。

 「いつか必ず帰ってくる」という希望の灯りを消さないように頑張ったが、それは容易い事ではなかった。


 春になって、雪が溶けるのを待ち、私は山へ入った。

 雪乃と小百合、それに夫の友人にも付き合ってもらった。

 私たちは、夫の登山計画に沿って、コースを辿ってみたのだが、何も手がかりは掴めなかった。

 あの日、夫は本当にここへ来たのだろうか?

 もしも来たのなら、ここで何を見て、何を思ったのだろう……

 雲ひとつない空がとても近くに感じ、空の青さが目に沁みた。


 あの日から2年と3ヶ月が経過した。

 勇樹は4歳になった。

 絶望の毎日を誰よりも支えてくれたのは、勇樹の存在だった。

 夫の遺伝子を引き継いだ勇樹を抱きしめると、夫の存在を感じる。

 もしも1人だったら、どうにかなっていたかもしれないが、私には子どもを育てるという使命があった。 だから、ギリギリのところで踏ん張る事が出来たのだ。

 夫が帰ってきた時に失望しないように、優しくて、逞しい男の子に育てたつもりだ。勇樹の成長は、私にとって唯一の救いだった。

 すくすくと育っていく勇樹の姿を、早く夫に見せてあげたい……

 そんな思いで、毎日過ごしてきたが、夫は帰って来なかった。

 二度目の冬を越えたとき、もうこの世にはいないのだろうなと思い始めた。


 先月、別の遭難者を捜索していた山岳救助隊から連絡があった。

 夫の所持品とみられるザックの破片が見つかったというのだ。

 見つかったのはザックのショルダーベルトで、切り立った崖の下にあったそうだ。

 夫が使用していた物と同じである事は確認できたが、これが本当に夫の物かどうかは分からない。でもきっと、そうなのだろう……

 見つかった場所は何度か捜索されたエリアだったそうだ。

 専門家は、野生動物か何かがここへ運んだのではないかと言った。

 何か止むに止まれぬ事情があって、山に入らず、どこかでひっそりと暮らしているのでは……という妄想を描く事もあったが、その可能性は消えた。


 今、私は思っている……

 あの時、出掛けようとする夫の手を離さなければ良かったと。

 「行かないで」と涙を流して、訴えかけるべきだったと。

 それも叶わないのなら、せめて、いつものように玄関の外へ出て、後姿が見えなくなるまで見送ってあげれば良かったと……


 夫が山へ出かけた日、東京の空は青かった。

 あの日のような青空を見ると、私は空に向かって語りかける----

 あなたが居なくなって二年以上が経過しました。

 あなたが可愛がって育てていた勇樹は公園を元気に走り回っています。

 少したれ目なところは、あなたにそっくりで、私が悲しそうにしていると頬にキスをしてくれます。

 そう言えば、私の親友の雪乃と、あなたの親友の浩司さんが付き合い始めたようです。

 あなたの捜索活動を通じて知り合い、お互い惹かれあったようです。

 二人を結びつけたのは、あなたと言う事になるのでしょうか?

 他にも、たくさん伝えたい事があります。

 私の思いは、もうあなたのところへ届く事はないのでしょうか?

 私はもう、あなたとの思い出を振り返る事しかできないのですか?

 出会った日の事は、覚えていますか?

 あの日、もしも出会わなかったら、こんなに辛い思いはせずに済んだのかな……

 そんな事を考える夜もありました。

 あなたと出会わなかったら、どんな人生を歩んでいたのだろうと……

 でも、やっぱりあなたと出会えて良かった。

 あなたと過ごしてきた、かけがえのない日々。

 特別だった日も、特別じゃない日常も、全てが輝いていて幸せでした。

 目を瞑ると、あなたの笑顔が浮かびます。

 あなたは、ささくれ立っていた私の心から、一本一本、丁寧にとげを抜いてくれました。 美しい景色をたくさん見せてくれて、知らなかった事をたくさん教えてくれて、どんな時でも、やさしく包み込んでくれました。

 そして、勇樹という宝物まで授けてくれました。

 やっぱり、あなたと出会えて良かった。


 もしも、あの日に戻れるのならば、私はどんな試練でも受け入れます。

 もしも、これが夢であるならば、早く醒めてほしい……

 サイドボードの上に置かれたあなたの写真は、いつも微笑んでいます。

 本当に、あなたは思い出の人になってしまったのですか?

 本当に、あなたはこの世の中にいないのでしょうか?

 私は、ずっとここにいます……

 私は、ずっとあなたの事を想っています……

 だから、今すぐあなたに逢いたい……

 出会ったあの日の様に、もう一度、抱きしめて欲しい。


 あなたは今、何を見つめていますか?

 そして、何を思っているのですか?

(完)

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