第3話 「まるみ」と思想界念

一話、二話と書いてきて、これを読んだ人はどう思うのだろう。

そんな事が頭の中をよぎる。

ゲームキャラや宗教観念など、様々な事を書いてみたが、誰しも訪れる誕生日という日について、そろそろ話をまとめようと思う。


いつかは死ぬ。

それは分かっている。

どんな死に方かは分からないけど。


事故物件になってしまうような死に方をする人もいるし、自殺を選んでしまう人もいる。

そういう自殺した人の魂ってどうなんだろうっていう考えはあるが、先程話した通り、この世には様々な宗教が存在し、皆「宗教観」が同じ人もいれば違う人もいて、それを頭の片隅に置き、これを読んで欲しと書いたが(書いたっけ?)死についても、死後についても様々な意見がある物なのだと私は思う。


産まれてきて、私は生きてきた中で、明日、37歳になるが、私の母親は「生まれて来てくれてありがとう」的な事を私にいうタイプである。


12ヵ月、あなたの誕生日がどの日になろうとも、どんな人生だったとしても忘れないで「光あれば闇がある」という言葉。

私は闇だらけだけど、人嫌いだけど、同時に人を愛する心も(一応)持っている。

人の心にどんなに闇が広まりすぎても、光が広まりすぎてても、あなたはそれでいいって事、産まれてきた以上、魂の学びがーとかいう人もいるけど、どんな思想界念を持ってても良いのよ。


どんなに人々に愛されていて光り輝いて見えても、その人にしか分からない闇があったりするもんよ、多分。

嫌われキャラとして、制作側に作り出されたあのキャラにも「裏側から見れば」そのキャラの大事な人を殺されたから、憎しみ恨んでしまったのだから、本当はそのキャラにだって「誰かを愛する心」があるのよ、だから別の視点で見れるのは、すごくありがたいと私は思った。

私もそういう作品書きたいわ。

というかそれが「アーテル国に住む者達のドキュメント」という作品に繋がっていくのだけど。

この「アーテル国に住む者達のドキュメント」という作品も、闇をテーマにしているのです。

でもたまに、光が差し込むのです。

人生ってそういうものだと思います。


光と闇はどちらが多くても良いんだよ。

個人個人の思想界念の中に生きるんだから、または生きて行くなら。


何を言いたいのか、言ってるのか、分からないとか思うかも知れないけど。

それで大丈夫。

私も頭の中がゆるふわだから、分かってないもの。


最後に私は自分に言ってあげたいことがある。

それは、「あなたが生きてくれたから良かった、私、生きててくれてありがとう」

私は私が生きててくれたことに感謝したい。

そう思う36歳の最後の日です。


終わり

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「まるみ」 産まれる直前の日 まるみ @marumi-tama

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