第二章 穢れ満ちる③
ずっと状態のよくない道ばかりを走っていたのが、ようやく石畳の敷かれた道に入った。蹄の音が変わったのを聞いて、サイラスが口を開いた。
「もうすぐ、町に到着しますよ。聖森に行く前に宿で一泊しましょう」
今夜は野宿じゃないと聞かされ、芽衣は手を叩いて喜んだ。エイラもあまり表情には出さないが、嬉しそうにしている。
旅を始めてからずっと、沢で軽く身体を洗ったり拭いたりするくらいしかできていなかったのだ。だから、久々にお風呂に入れるのではないかと芽衣は期待している。
だが、それに対してサイラスの顔は暗い。何やら困った様子で、ナールもチラッと荷台を振り返った。
「あの、町に何かあるんですか?」
不安になって芽衣は尋ねた。
「人の多いところに近づけば、それだけ治安が悪くなるということだ」
「そういうことです。こういった街道付近では行商人を襲う盗賊も出ますから」
アラインが先に答えれば、補足するようにサイラスが言う。難しい表情をしていることから、盗賊の問題が深刻なのだとわかる。
「盗賊は怖いけど、私たちは何も盗まれるものを持ってないから、大丈夫じゃないの……?」
誘拐や人殺しが目的ならともかく、物取りとは縁がないのでは、と平和ボケした芽衣は思う。それに対してサイラスは、口をもごもごとさせたが、何も言わなかった。
「盗賊がいるってわかってるのに、何で野放しにしてるの? そういうのを取り締まるのが騎士の仕事なんじゃないの?」
芽衣と同様、あまり深刻さがわかっていないエイラがサイラスを責める。それに対してもサイラスは何か言いにくそうにする。
「管轄がちがうんだ。街道の警備は、各領主の采配だ。もちろん、国に要請があれば我々が出向くこともあるが、基本的に自分の領地で起きた問題は自分たちで片づけるというのが当たり前なんだ」
「片づいてないじゃない」
「……まあ、いくら取り締まってもキリがないということもある」
エイラの容赦のない指摘に、サイラスの顔はどんどん渋くなる。各領地の警備といえば、同業者のようなものにちがいない。擁護もできないし、悪し様に言うこともできないらしい。
(警視庁と地方の警察のちがいかな? それとも、自衛隊と警察のちがい?)
大人の事情を感じ取り、芽衣はのんきにそんなことを考えていた。
そんなとき、ナールが焦ったような声をあげて、馬車が急停止した。
「どうしたの? ……キャッ!?」
それは、一瞬の出来事だった。
幌のあいだから外をうかがおうとする間に、複数の男たちが荷台の中になだれこんできた。そして、あっというまに芽衣たちを荷馬車の外へと引きずり出してしまった。
「金目のもんはあったか?」
「何にもねえ」
「は? 聖女様ご一行がこんなシケた様子で移動してんのかよ」
「でも、変な服着た女がいるから間違いねえだろ」
男たちは怒鳴るようにして会話をしている。どうやら、芽衣たちのことを知って襲ってきたらしい。何も持っていないと言ってやりたかったが、ガッチリと身体を押さえられているのが怖くて、声が出せなかった。
何より、アラインやサイラスが何も言わずにいるということは、声を出さずにいることが懸命なのだろうと悟った。
「おやおや、震えちゃって。大丈夫ですよ。聖女様には浄化の旅を続けてもらわねえとならんから、傷つけやしませんって」
芽衣を後ろから抱きかかえた男が、下卑た笑いを浮かべながら言った。
「旅に戻る前にちょーっと俺たちの浄化をしてもらいますがね」
「……っ」
下半身を押しつけながら男が言うと、他の男たちからもドッと笑い声があがった。
いくら芽衣がものを知らない少女といっても、さすがにこの異様な雰囲気はわかる。そして、これから自分がどんな目にあわされるのかということも。
アラインたち男性は、刃物を突きつけられ、数人がかりで抑え込まれている。男たちの人数を見て、芽衣は絶望した。こんな大勢を相手に、心も身体ももつわけがない、と。
「……待ちなさい。その人に手を出さないで!」
このままなすすべなくひどい目にあわされるのかと震えていると、エイラがそう声を上げた。彼女も、芽衣と同じように震えている。
だが、恐れをおさえて男たちに訴えた。
「女が必要だっていうなら、あたしがお相手するわ。あたしは、聖女様に何かあればお助けするようそばにいるんだから。お金が欲しいなら、あんたたちが好きにしたあと、どっかに売り飛ばせばいいわ。……まだ若いから、それなりの金額にはなるでしょ」
捨てばちになっているわけではなく、強い意志を持ってエイラが言っているのがわかった。そのことに、芽衣は頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。
「まあ、聖女様に何かして祟りでもあっちゃかなわねえからな。威勢のいいお嬢ちゃんは嫌いじゃねえし、たしかにその髪色と目の色なら、酔狂な御仁が買ってくれそうだ」
リーダー格と思しき男が、エイラを好色そうな目で見ている。どうやら、お眼鏡にかなったらしい。
このままでは交渉が成立してしまうと思い、焦った芽衣は叫んでいた。
「お、お金が欲しいなら、もっといいものがあるわ! 私の上着のポケットに入ってるから」
何か、エイラを救うために男たちが食いつきそうなものをと考え、芽衣が思いついたのは自分の持ち物だった。
めずらしいものを差し出せば、それで納得するのではないかと思ったのだ。といっても、あるのはスマホだけだ。価値がわからなければ、ただの小さな箱と思われるかもしれない。
「はいはい、上着の中ね。どれかなあ?」
「へ、変なところ触らないで!」
「細いのにやわっこくて、たまんねえなあ……」
芽衣を羽交い締めにしている男は、ポケットを探るふうを装って身体をまさぐった。ブラウス越しに胸を、太ももをゴツゴツした指が這い、しばらく堪能してからようやくポケットにたどり着いた。
「これか? 何だ、このちっせえ板は」
「私の世界の道具よ。ここの世界の文明では到底作ることができない、すごいものなんだから!」
「な、何だ? 板の中にカシラたちが……」
スマホを手にした男は、適当に画面をタッチしたりスワイプした結果、カメラを起動させた。そして、目の前の景色が小さな画面の中に切り取られているのを見て、驚きあわてている。
「理解できなくても、それがすごいものだってことはわかるでしょ? だったら、それで手を打って。えっと……これは慈悲よ! そう、慈悲! 本当は今すぐ神に祈ってあなたたちに天罰を下したっていいけど、恵んでやるって言ってるのよ!」
芽衣は精一杯、威厳があるように聞こえるように言った。だが、威張ったことなどない上、語彙力がないため、どうにも拙い言葉しか出てこない。
それでも、やはり異世界の文明というのは興味をそそられるものだったらしい。男は芽衣から離れ、リーダー格の男のところへ行くと、スマホを見せて騒いでいる。その興奮はさざ波のように広がっていき、芽衣たちを取り押さえることなどそのうち忘れてしまった。
「たしかにこれは、すげえものらしいな。じゃあ、威勢のいいお嬢ちゃんと聖女様に免じて、これで手を打ってやろう」
ひとしきり盛り上がったあと、リーダー格の男が宣言すると、盗賊たちはやってきたときと同じようにすばやく去っていった。
気配がなくなり、ようやく安心できるとわかった途端、芽衣はへなへなと膝から崩れ落ちた。
気を張っていただけで、本当はすごく怖かったのだ。今になって恐怖がドッと押し寄せてきて、芽衣は震える自分の身体を抱きしめた。
「……申し訳ございません!」
アラインとナールが芽衣のそばに寄ろうとしていたとき、サイラスが叫んだ。そちらを見れば、彼は地面に額をすりつけて平伏している。
「騎士の私がそばについていながら、聖女様を危険にさらしたことを、どうお詫びすればいいか……」
「そんな! あんな大人数でいきなり襲いかかられたら仕方ないよ。それに、みんな無事だったわけだし」
放っておけばすぐに腹を切りそうな勢いを感じて、芽衣はあわてて首を振った。
だが、彼が顔をあげることはない。それを見て、芽衣はうろたえた。
「あんた……何てことしたのよ!」
そんなとき、エイラが怒気をはらんだ声で言った。てっきり、サイラスに対して怒っているのだろうと思っていたのに、エイラが向かってきたのは芽衣のところだった。
オロオロしているうちに間合いを詰められて、芽衣は頬を両手で挟まれた。
「……ご、ごめんなさい、嘘なんてついて……」
天罰が下るなどと適当なことを言ったのを怒られているのだと思い、芽衣は謝った。盗賊たちがあれで引き下がったからよかったものの、自分でもあの嘘はよくないと思っていたのだ。
しかし、どうやら理由は別のことらしく、エイラは目を吊り上げたまま芽衣を見つめた。
「どうして……どうしてあたしなんかのために大事なものを差し出したのよ! あれは、あんたのお守りみたいなものでしょ? あの中には、あんたのお父さんやお母さんの姿があったじゃない。いつも寂しそうに見てたの、知ってるんだから! それなのに、あたしなんかのために……」
エイラは、芽衣がスマホを差し出したことを怒っているようだ。怒っているというよりも、心底すまないと思っているのだろう。思いは大きく振り切れると、怒りに似た形で発露してしまうことがあるのだ。
「だ、だって、嫌だったんだもん……」
怒っているのではないとわかって、芽衣はほっとした。ほっとすると今度は涙が出てきてしまった。先ほど感じた恐れや悔しさを押し流していくように、涙は次から次へとあふれ出る。
「エイラを差し出すことが、嫌だったんだもん。あなたがひどい目にあうことが……スマホなんて、あげちゃってよかったんだよ!」
最後のほうはえずきながら、悲鳴のように言い切った。芽衣よまた、感情が高ぶりすぎてしまったのだ。
「……馬鹿じゃないの」
「馬鹿じゃないもん」
泣き笑いの表情になって、ふたりの少女はかたく抱きあった。そこには、何の隔たりもない。
「メイ、もう恐ろしい思いをしていないか」
ようやくふたりが泣きやんだ頃、アラインがおだやかに問いかけた。芽衣は涙でぐしゃぐしゃのままの顔を上げ、こくんとうなずく。
「そなたはあの場をどうにか切り抜けるためにああ言ったのだろうが、実際にわれはあの賊たちに罰を下すことができるのだ。あの者たちを今すぐ水の底に沈めてしまおうか?」
きわめて静かに、アラインは言った。だが、彼は面に出さないだけで、ひどく怒っているのが芽衣にはわかった。
そして、芽衣は思い出したのだ。
水は命を守り育むものであるが、同時に無慈悲な荒々しさで命を奪うものでもあることを。
アラインは清い水のようにおだやかで優しいが、その中に荒ぶる気性も持っているのだと気づかされた。
「……ううん。沈めなくていい」
願えばきっと、そのとおりにしてくれるのだろう。それがわかったから、芽衣は首を横に振った。
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